another Beatle

フリースタイル、且つ、創造的。(これが、理想ですが--)

わたしを束ねないで

2008-10-26 04:39:56 | Weblog

昨日、今日と仕事の帰りに花屋さんに寄ってきました。

実はこのブログを書くために、どうしてもある花が欲しかったのです。(写真を撮ってブログに載せたかった)

 花の名前は、あらせいとう--という名前です。二件の花屋さんの店員の方は、どちらも、聞いたことがないと言ってました。結局あきらめて帰りました。

 あらせいとう、を漢字で書けば紫羅欄花となり、調べるうちに、又の名を、ストック、ということが判明しました。

 あらせいとう、の花の名を知ったのは、20代の前半でした。日本の現代詩人のアンソロジーを読んでいる時に、新川和江さんの詩の中で、初めて知りました。

        「わたしを束ねないで」 / 新川和江

  私を束ねないで 

  あらせいとうの花のように

  白い葱のように

  たばねないでください 私は稲穂 

  秋 大地が胸を焦がす 

  見渡すかぎりの金色の稲穂  

という書き出しで始まる、「わたしを束ねないで」という詩の中にでした。

  --私を束ねないで--という一行目が本当に強烈で、すぐに詩に溶け込めました。 アンソロジーに掲載されていた彼女は多分40歳前後で、和服を着た、日本美人のような感じでした。

今も健在で、産経新聞の朝刊で、「朝のうた」の詩の選者を務めています。(1929年生まれ) 

 すべてをここには引用しませんが、久しぶりに目を通してみて、巧みなラストセンテンスに目が留まりました。

 わたしを区切らないで 

 、(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落 

 そしておしまいに「さよなら」があったりする手紙のようには 

 こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章

 川と同じに 

 はてしなく流れていく 拡がって行く 一行の詩

易しい言葉なのですが、何十年たっても、風化していない新しさ、強さがあると思います。 20代の前半、私はよくジャズ喫茶店に通いました。今はもうないですが、昔の難波の大劇の地下にあった「やかた」というジャズ喫茶ですが、ある日トイレに行ったら、トイレの壁にこの詩の冒頭が書かれていました。

それは昨日のことのように覚えています。

  私を束ねないで

 あらせいとうのはなのように

多分女の方の落書きだったのでしょう。私は感動しました。

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村上龍の青春は幸せだった?それとも------。

2008-10-19 02:55:50 | Weblog

ここ二ヶ月、村上龍の、「限りなく透明に近いブルー」を少しずつ、再読していました。今日やっと読み終えました。

自分の知性が追いつかないのか、それとも、集中力が足りないのか、かなりハードでした。最初からすぐに主人公を含め、4,5人の薬、性、の描写が文学的(?)に書かれていて、全体の3分の1くらいのところまで続いています。

そこに事実としてあるのは、薬、ロック、性です。何十年も前に芥川賞を獲った作品で、私も読んで、ラストで感動したことだけを覚えていましたが、内容は余り覚えてはいませんでした。ただ、薬、ロック、複数の性の饗宴みたいなことだけ覚えていて、内容ははっきり言って、アウトロー。

 ただラストの感動があるかどうかをもう一度確かめたかったのです。

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多数の読者は最初から、かなり長い、性、薬物の描写にうんざりして、読書することを、投げ出したかもしれないと思います。私も読み返して、しんどい思いをしました。まるで、18禁のポルノ映像じゃないかと。(主人公プラス恋人リリー、プラス数名の)

次はその状況から抜け出している主人公と恋人らしきリリーの、屋外での二人だけの空間の描写が続きます。ここも薬あり、幻想ありの描写です。

 最期近くの章では、主人公がリリーから何度も「あなたは気が狂ってる--」と言われる行があって、主人公がその言葉に反撥するかのように、ブランデーグラスを床に叩きつける。

そして、グラスの欠けたガラスを自分の腕に突き刺す。

 最期の章は病院にいる主人公の内面描写が続きます。限りなく透明に近いブルーとは、主人公が自分の腕に突き刺したワイングラスの透明な破片のことを言っていたのでした。

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血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。------------ --(省略)僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。(限りなく透明に近いブルーより)

このあたりから私はこの小説に感動しました。今日読み終えた後も。ショッキングな内容でした。

(改めて)疲れました。

 作者、村上龍はあとがきで、この作品を本にするときは装丁をやらせて欲しいと頼んだと書いてあります。そして実際に装丁をして、表紙はリリーの横顔だということです。あとがきの中で、彼はもう一言付け足しています。

 リリー、もしこの本を買ったのなら、連絡してくれと------。

その後、リリーから連絡はあったのでしょうか?

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映画NANAへのこだわり

2008-10-11 21:50:13 | Weblog
ねえ、ナナ

夢が叶うことと
幸せになることは
どうして別ものだろう

それは、いまだに わからないよ
 
でも、あの夜、誓った想いは
今もこの胸にあるよ
あたしたちが描いていた夢の輝きは忘れない。

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男から女へのラブレターではない。
映画NANA2の、ラストでの心の中での奈々からナナ(中島美嘉)への問いかけである.。
NANAはふたりのナナの物語である。
基本、基調にあるのは、友情である。友情の映画である。

ここに私が打たれた訳があります。
途中恋愛のシーンもありますが、表現にいやらしさ(?)がまるでありませんでした。NANA1での中島美嘉の演技力にはびっくりしました。
主演女優賞にノミネートされたのもうなずけます。

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今夜、多摩川で、夏に台風で流れた花火大会があります。
みんなで過ごしたあの夏の日を、もう一度取り戻せたらいいなと、思わずにはいられません。
でもそんなのやっぱり夢だよね。

この奈々のメールに対しての返事は

夢じゃないよ-------- ナナ

というものでした。

過ぎ去った友情を取り戻したいと思うことはありますよね。もちろん大好きな人間に対してですけれども--。

この映画の見所はここにあると思います。
派手な現実の事象の陰に隠れた、地味だが、人間の本当の思い--。
時々私はNANA2での最後のシーンの奈々の独白を思い出します。

ねえ、ナナ

夢が叶うことと
幸せになることは
どうして別ものだろう
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