another Beatle

フリースタイル、且つ、創造的。(これが、理想ですが--)

ゴランノスポン/ 町田康

2015-02-28 09:15:50 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  この人の小説は面白い。

余り期待を裏切られたことがない。

ゴランノスポン とはなんのことかわからない。でもいい。

この題の意味を特に解明しようとは思わないし、

分からなくても気にはならない。

 

出だしはごく普通の日常の描写から始まる。

どちらかというと幸せな自己周辺の描写である。

幸せ感に包まれているときは、すべてのものがGOODに思える。

と同時に時々は魂の昂揚感さえも生じる。

そのあたりの描写が的確である。

読んでいて、なるほどと思える箇所である。

共感、共鳴できる箇所である。

なぜなら、我々が幾度となく経験した、気分であるからである。

 

このような日常の流れがしばらく続く。

幸せな日常の細部が説明付きで描写されていく。

だけれども その流れが 途中で 変化してしまう。

ふと話した友人との会話の中で

主人公の疑惑が湧く。

幸せな日常から垣間見た もうひとつの日常である。

友人との会話で

友の死を知ることになる。

このあたりから

小説の流れが変わる。

 *********************

自分の友人が自殺して、その、葬式の当日仲間と一緒に、主人公が葬式に参列するわけだが、

そのあたりの描写がリアルで、ありそうで面白い。

音楽仲間でもあった個人の、作品が、葬式の中で、流されるわけだが、その作品自体が、

色々問題があって音楽になっていない。そう主人公が感じ、周囲の友人たちも感じる。

一曲ばかりか何曲も流される訳だがその内容に主人公たちはうんざりする。

 

アーリーが言葉を濁したとき、突然、妙にたどたどしいリズムの音楽が流れ始めた。ループするリズムパターンにアコース

ティックギターを重ねたトラックなのだけれども、リズムが不正確で、リズムが大幅にずれているのと、しっかりと弦を押さえていないため音が濁っていて

聞き苦しいことこのうえない。

そんなたどたどしくて情けないギターが暫く続いたかと思ったら、今度は歌が始まった。

広部君の声だった。(引用)

 

長い長い葬式の参列が終わり

主人公を含めた友の集団が

バスに乗って一緒火葬場に向かう訳だが

内容が徐々に転回して行く

暫くバスに乗っている様子の描写が

穏便に続くが

 

バスは美しい田園地帯を進んでいった。緑、光、命。感謝。

人間のいに地をつなぐ田園を走ってバスは土手を突き当たって右に曲がり、

土手下の道を暫く走ってやがて堤の上に上がった。(引用)

 

小説の最終近くの場面はこうである。

バスはずっと走っていてまだ火葬場には着かない。

 

ああ、早く着かないだろうか。さっさと骨を拾って家に帰って珪藻土を塗りたい。

と思っているとバスが停まった。

しかし、火葬場に着いたのではなかった。遮断機の下りた踏切で停まったのだ。

かーんかーんかーん、という音に多くの貧民や自転車、タクシーなどが堰かれていた。

三十分経っても踏み切りは開かなかった。(引用)

 

こんな状態が続いて 同時に 主人公の内面の描写が続く。

金がないからこんなバスに乗らねばならないのだ、とか、

そこから派生して この小説の 冒頭の幸せな描写とはまったくの反対の内面の

negativeな思いがポンポンと書かれてある。

そして最終行はこうである。

 

僕が絶叫するといっせいに罵りあいが始まり、罵りあいはやがて殴りあいに発展、

骨折する者、泣き出す者、ゲロを吐く者など続出したが、それでも踏み切りはなお開かない。(引用) 

 

 

最終行の突拍子さを誰が予想できただろうか?

もしかすると、作者自身も予想できなかったかも知れない。

冒頭の平和さ、幸せさはただ単に、endingに向けての飾り物だったのか?

静かに静かに下降していく内容に著者の、小説における、技術みたいなものを感じました。

 初めが頂点 そして頂点から最低線へと向かって行く筆力に改めて感動しました。

 

 

        TWITTER/anotherbeatle/ https://twitter.com/anotherbeatle                                    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする