この作品が去年の中原中也賞を取ったということです。
因みに今年の中原中也賞はタイトル的にはこの作品よりも
普通かなと思います。
長い間生きてきたけれども こんなタイトルの作品が賞を取るのを目の当たりにしたのは初めてです。
表題の作品と他にも数編この本には収められていますが、
インパクトと扇情的なタイトルは良くも悪くも秀逸だと思います。
この秀逸さが賞を呼び込んだのでしょうか?
ただ読んでみると表題の作品はこの本の冒頭に来ていて
他の作品よりも
日本語の文法の視点から考えると良くないと思います。
これが日本語の文章なのかと疑りたくなります。
そのことによって新たなイメージを醸し出しているとも言えますが。
作者はこの作品以降の詩篇の中で、
この作品の荒々しさを調整した感があります。
このことで、私はこの本の他の詩群(散文詩)が読みやすくなった気はします。
それでも気持ちを集中していないと言葉が飛んで行く気がします。
ただこの本は思ったより卑猥でもなく(まさかエロ小説でもないでしょうから)
ところどころ面白い表現が、
敢て言えば共感できる箇所があります。
(谷川俊太郎氏のもつ共感とは少しわけが違いますが。)
文章にするのに少し抵抗はありますが、
この先端--の次に来ている詩のタイトルは(内容は散文詩です)
少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ
となっていますが、
このなかで
つぎの下りは正直面白いと思いました。
銭湯は現在四百円を番台の受け皿に置いて通過するのも照れる、照れるが今までだってこうして生きてきたではないの。湯につかってきたではないの。友達同士にしては厳しすぎる仕打ちにうなだれたあの日々を突然に思い出しながら下着をとって、鏡を見ないようにして、ドライヤーの脇をすらっと抜けて無意識に愛想するあまり体重計に乗ってしまいそうになったわたしの手首を掴んだのは可愛らしい女の子どもの視線。(本書より部分引用)
著者は大阪の出身らしいですね。
関西系の作家はどうも内面を思ったままに綴っていくようなタイプが多いですね。
町田康氏(この人も堺でしたか?)や野坂昭如氏(兵庫でしたか?)などと
若干繫がっているような気も少しします。
この本のなかには七つの詩群(散文詩)がありますが、
タイトルからのみの印象では何とも言いがたいものがまだあります。
何も扇情的なタイトルに対して中原中也賞が与えられた訳でもないでしょう。
やはり内容に関して
言葉を換えて言えば、その創造性に対して与えられたのだと思います。
多分文学における創造性とは
誰も未だ踏み入っていない
まっさらな空間に言語を落して行くことも一つの方法でしょう。
特に詩は。
そういう意味でこの詩集は中原中也賞に値するかも知れません。
まだ途中までしか読んでいませんが、
少しこの詩集には期待してしまいます。
面白いかもしれないと。
自分なりに書くことがあればまたブログで取り上げたいと思います。
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