another Beatle

フリースタイル、且つ、創造的。(これが、理想ですが--)

SUB ワンステージだけ/ Short stage but big stage

2012-10-26 22:58:09 | Weblog


チャンスがあったのでSUBに行きました。

今日も少しだけでしたが、

SUBでのジャズを堪能しました。http://subjazz.blogspot.jp/

 

Because I had a chance to go to SUB tonight,

I went to SUB and enjoyed JAZZ so much.

 

ありがとうございました。

楽しめましたね。

ノンアルコールのビールも美味しかったし。

 

Thank you very much for your play.

I have had a wonderful time tonight.

Taste of non-alcohol beer I had was pretty good.

 

Personnel/

SAX/ Ro Hasegawa 長谷川朗     Bass/ Yasushi Gonjo 権上康志     Drums/ Takuro Adachi 足立拓郎

                                   権上さんが亡き西山さんのベースを弾いていましたーーー。

 

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少しだけJAZZ   またSUB

2012-10-20 10:30:02 | Weblog

 I was in another place to see the ballet act by my daughter.

On the way back to home,I dropped in a Jazz spot SUB.

Because I had not enough time to see all the act on that day, 

 I decided to see some part of it.

I  could stay there for 1.5 hours and enjoy Jazz.

When I have a lot of time, I will go to listen to Jazz in SUB again in the near future.

 

娘のバレエを見るため外出していました。

その日の帰り道ジャズスポットSUBに寄りました。

その日の演奏を全部、見、聴くための時間は無かったのですが、

少しでも聴ければと思い入りました。

一時間半位聴けましたが。

十分に時間のある時に又行きたいです。

 

                                                                                                                               

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城の崎にて / 志賀直哉  私の文学紀行

2012-10-08 23:36:01 | Weblog

こんな書き出しであれば小説が書けるのかな、と思いました。


まあ、ちょっとあり得ないような書き出しでしたので、


作者の創作だと思いましたが、


解説を読むと、実際の作者の体験だったそうで、


これは怖いと思いました。

 

 

山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。 (冒頭)






要するに、リハビリに来たのですね。

それにしても、強烈な書き出しですね。生きている方がオカシイくらいです。

作者は城崎に泊まり、そこで、三種類の小動物の死に出会います。

まず最初には、蜂の死です。

泊まった宿の玄関の屋根の上に蜂の屍骸を見つけます。

現在の宿の外観




他の蜂は本当に死んだ蜂には冷淡で自分たちの事で精一杯でした。

それだからこそ死んだ蜂は本当に静かな外観を呈していました。

それを見た作者は本当に寂しく感じます。そして雨が降り、

3日位してその蜂はどこかに流されてしまいます。


蜂が自分の眼界から消えて暫くしてからある午前

、作者は円山川の傍を通り東山公園に行こうとします。

「一の湯」という所から近いところにある


 

現在の「一の湯」




円山川に続く小川に来た時、

人が橋のところに立って騒いでいるのに出くわします。

川の中で、首に魚串を刺され逃げ回っている鼠を見ていたのでした。

 


二三人の子供がネズミに向かって石を投げたりしていました。

大人も一緒に石を投げていました。首に串が刺さったまま鼠は逃げていました。


それでもなおも子供や大人は鼠に石を投げていました。

作者は嫌になりその場から逃れます。


作者はこう思います。


静かな死の前にあんな苦しみがあるのだと。

人間もこうなのだと。



そんなことがあって、またしばらくしてから、

ある夕方に今度は山陰線のトンネルを越えて少しずつ道の狭くなってくるところを歩いているとき、

小川のほとりの半畳敷きぐらいのところに、たまたまイモリがいるのを見つけて、

 

おそらくこの川のもっと上流

 

作者としては、石でも投げて、少しイモリを驚かして、

小川のほうに入れてあげようと思い、石を投げるわけですが、

これがたまたまイモリの体に当たりイモリは死んでしまうのです。

これには作者も相当滅入ったようです。

 

三種類の小動物の死を

目の当たりにして、作者は死に思いを馳せます。

電車に跳ねられ九死に一生を得た身として、

小動物の死を真摯に受け止めたわけです。

 

無残に放り投げられたような蜂の死。

周囲から忘れられた死。

その死の中に自分自身の死を見た作者。

鼠の死に関しても、

イモリの死に関しても同様でした。

皆どれもさびしい死でした。

 

作者はこの小説の最後の部分でこう言っています。

 

ーー死ななかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済まぬような気もした。

然し実際喜びの感じは湧き上がっては来なかった。生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった。

それ程に差はないような気がした。 (本文よりの引用)

 

このラストに近い文章を読んで私は同時代の太宰治の小説「人間失格」のラストの文章を思い出しました。

確か、幸福も不幸もなく、ただ時が流れて行くだけだーーというような内容の文章でした。(正確な文章ではないですが、

今、手元にこの本がありませんので)

一方はある程度の年まで生きて、もう一方太宰治の方は40歳前後で入水自殺したわけですけど、

何かしら似たものを感じたのですが。

彼らは仲が悪かったらしいですけど、何か通じますね。

 

宗教的な認識をせず、自分のハートで精一杯人生の中身を考え

一種の救いの境地に到達している気がします。

そこに打たれます。                                                                        

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