気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

牛尾山法厳寺 上

2023年12月10日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2023年5月4日、嫁さんの提案で、山科区の音羽山(おとわやま)にある法厳寺を訪ねました。令和五年度の春季京都非公開文化財特別公開の対象寺院に含まれた初公開の寺院であったため、嫁さんが「一度行ってみたい」と言い出したのが事の発端でした。

 4月23日に因幡薬師堂こと平等寺の特別公開に行った翌日の夕食の準備時に、「あともう一ヶ所、どこか行きたいですねー」と嫁さんが言い出し、冷蔵庫の扉に貼ってある令和五年度春季京都非公開文化財特別公開の案内パンフレットを指差して、「例えば・・・この法厳寺って、知ってます?」と訊いてきました。この時は、嫁さんの横で春菊を茹でて塩麹とすりごまを和える最中でしたが、「法厳寺?」といったん手が止まりました。

「・・・ええと、ああ・・・、音羽山の牛尾の法厳寺やな」
「やっぱり知ってますねえ、音羽山ってことは清水さん(清水寺)の近くにあるんですか?」
「いや、これは山科区の音羽山のほうや。平安時代に紀貫之とかが歌枕に詠んでた山やな。その山の続きに牛尾山というのがあって、その山頂近くにある。京都でも稀な山奥の隠れ古寺やな」
「あっ、隠れ古寺、それめっちゃ素敵過ぎません?そこ、一度行ってみたい」

 ということで、地下鉄で山科駅まで行き、京阪バスに乗り換えて「小山南溝町」バス停で降り、バス停のすぐ北の交差点で右折して、牛尾道と呼ばれるかつての参詣登山道を約1.5キロほど登って、上図の「桜の馬場」と呼ばれる広い駐車場付きの平坦地に着きました。

 この「桜の馬場」までは車道が通じているので車でも登れますが、途中の音羽川渓谷に幾つも滝があって綺麗な景色が多いため、嫁さんが「歩きながら滝とか見たい」と希望して徒歩での登拝となりました。
 かつて京都に三ヶ所所在したとされる「音羽の滝」のうちの一ヶ所が、この牛尾道の途中にあり、現在は「牛尾の音羽の滝」と呼ばれて親しまれています。落差は約6メートル、音羽川渓谷にある十数ヶ所の滝の七番目か八番目ぐらいに位置しています。

 

 「桜の馬場」は法厳寺の門前広場にあたります。そこが総門というか、参道入口にあたっていて、脇には上図の案内看板がありました。

 貼り紙から分かるように、実は法厳寺の特別公開は4月17~21日、4月29日~5月7日までとなっていたところ、4月30日に土砂崩れや倒木が発生して、いったん中止になっていました。ですが、今回は遠方からも拝観を楽しみに来られる方も多いことから、本堂の御本尊のみの公開で拝観料無料、という措置がとられました。

 

 そのことは、上図の急遽手書きで追加された貼り紙にもありました。嫁さんが「本来は絵巻物とかも公開する筈やったらしいですけど、でも本尊の仏様が拝めるんなら、充分じゃありませんか。ね?」と、嬉しそうに言いました。

 

 ですが、嬉々として周囲を見回し、春の小鳥のさえずりに耳を澄ませ、参道の階段や石碑などを元気に指差してはしゃいでいた嫁さんとは対照的に、こちらはヘロヘロ状態でした。なにしろバス停からのきつい登り坂をえんえんと一時間余りも登ってきたのですから当然でした。嫁さんとの二十六歳もの年齢差を改めて感ぜずにはいられませんでした。

 ですが、ここからが寺への長い長い登り道の入口になるのでした。あと20分ぐらいはきつい登り坂をたどることになるか、とため息をつきつつ、ペットボトルのお茶を飲みました。嫁さんも隣で同じように飲んでいて、事前にネットで調べた法厳寺の情報をプリントアウトしたものを読んでいました。

 

 10分ほど休んだ後、参道を登り始めました。途中の左手に上図の大きな龍らしき彫刻が横たわっていました。嫁さんが「建物の部材か何かかな?」と言いましたが、私も初めて見るので「さあ?」と応じただけでした。

 

 参道が右にぐるりと曲がる辺りで上図の「黒門」と呼ばれる門の前に付きました。ここから階段になりますが、右に曲がるスロープの道もぐるりと回って最終的には階段の参道に合流しますから、どちらを進んでも法厳寺境内地には着くわけです。
 どちらへ行くか、と訊くと、嫁さんは真っ直ぐ「黒門」の階段を指差しました。正式な参詣ルートですから、当然といえば当然でした。

 

 しかし、「黒門」からの階段は御覧のように長く、急な登りですから、こちらの足取りは再びのろく、重くなってきて、呼吸も鼻から口に変わってしまいました。嫁さんが「ちょっと休みましょう」と私の腕をとり、一緒に階段に座りました。他に参詣者は見当たりませんでしたから、道をふさいでいても問題はありませんでした。

 再びペットボトルのお茶を飲んでいると、「そういえば、ここに初めて来られたのはいつなのですか?」と訊かれました。
「ええと、平成十二年やったかな、西暦だと2000年。清水寺の本尊の33年毎の公開の時や。その本尊を拝観して、その時に水戸の上田と清水寺の奥ノ院にもついでに行こうと相談して、ここへきたけど、当時は非公開やったからお堂の前でお参りしだだけやった」
「そうなんですか、すると23年前ですか・・・」

 

 その、23年前に登った時とは、参道筋の景観が激変していました。鬱蒼とした竹林が無くなって、倒竹が散乱し、御覧の通りに参道が明るく照らし出されていました。

 聞けば、2013年9月に、嵐山を流れる桂川の氾濫(はんらん)をもたらした台風18号が、ここにも災害をもたらして約200段の石段や門が流失、寺とふもとを結ぶ牛尾道の山道も土砂崩れで寸断されたそうです。
 その後、道は国の災害復旧支援を受けて復旧され、門は信徒らの協力で再建されましたが、境内の建物や寺宝などの文化財の老朽化は深刻となり、そのまま現在に至っているそうです。

 

 階段を登りきると、スロープの山道に合流しました。その合流点からスロープの山道を少し戻った所に赤鬼と青鬼が建っているらしいから見たい、と嫁さんが言うので、その場所まで行ってみました。合流点から約50メートルほどの地点でした。

 

 再び参道を登っていくと、上図の「牛尾山」の山号碑の立つ旧結界に達して境内地に入りました。脇には手水舎がありました。

 

 次いで左手に「大杉堂」と呼ばれるお堂がありました。上図の左が「大杉堂」です。その名の通り「大杉堂」の背後には大きなスギの老木がそびえていて、「天狗杉」と呼ばれ祀られています。

 伝承によれば、天平期の開山時に植えられたといわれ、現在は神木として扱われ、大杉坊大権現として信仰されています。高さは約30メートル、軒周りは約5.7メートルあり、樹齢は300年と伝わります。大杉坊とは天狗の名前で、この山の神であるそうです。「大杉堂」の正面の蟇股にも天狗の団扇が彫られてありました。

 

 法厳寺の本堂です。23年ぶりにここにやってまいりました。嫁さんが「ここが法厳寺ですか、ほんまに山奥の隠れ古寺ですねえ、雰囲気がとっても素敵です」と嬉しそうに言いましたが、私のほうはヘロヘロ状態に膝ガクガク状態が重なって、立っているのがやっとでした。気温もかなり高かったので汗だくになっていました。とりあえず、本堂の右手前に設けられた参詣客の休憩用テントとおぼしき白テントの下へ向かいました。

 

 テントにてへたばっていた私に代わって嫁さんが撮影した、法厳寺の案内説明板です。清水寺の奥ノ院であるとする伝承にも触れていますが、東山区の清水寺が連日の大混雑であるのに比べて、こちらは特別公開の期間中でさえも閑散としていて、参詣客は私たちの他には数名しか居ませんでした。清水寺の奥ノ院である、という点は一般観光客や海外からの観光客には紹介されていないからでしょう。  (続く)

 

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