模試、受験で点を取りたい、
ならば、何をすべきか。
短絡的な単語・熟語・文法暗記で
よいのですか。違いますね。
それは勉学ではありません。
いかに沢山働いたか、という「量」に過ぎません。
「質」的な勉学法はほんの一握りの生徒しか、
行っていません。
「高校-大学-就職」という人生の構図。
FPも必要です。
只、それで、社会はうまく繋がっていくのですか。
一部の人たちしか、日本、世界について考えていません。
「木を見て、森を見ず」になり過ぎ、
身近な「家庭」「会社」「地域」または「家庭」「学校」「地域」
、またそこから逸脱した第4世界に足を踏み入れた平成10年以前、
それ以降は、NEET・FREETOR・PARASITEに第4世界は
置き換えられたと私は考えております。
「現代文のカラクリ」と題して、哲学について語っていますが、
もう頭は飛んでいったのではと懸念しています。
「心ここにあらず」は残念です。
今、そうなっている諸君は眼鏡をかけ替えて下さい。
眼鏡が合っていないのです。見える眼鏡を私が差し上げます。
抽象的眼鏡ですが。
「倫理」には西洋哲学・東洋とありますが、
「哲学-宗教-科学」という流れで、
「近代科学」が確立されたのです。
今、キミたちが学んでいる学習は
元祖は「哲学」だったのです。
倫理-科学から政治経済へと人間文化に
まで倫理は影響を及ぼしています。
哲学(科学)なくして、真の学問がありえましょうか。
本気、真剣に人生を生きていくなら、真の学問を
やるしかないのです。
国語・英語・数学・理科・社会と教科は
複数ありますが、只、与えられた課題に
受動的に取り組む姿勢は、人生無駄です。
積極的人生は、受験テクニック等には走りません。
哲学(科学)は複雑な世界を簡素化してくれています。
キミたちは模倣するだけでいいのです。
今は何も発明はできません。
公式を知り、只、演繹的に使うだけ、といった
作業を繰り返しているのです。(演習)
これも勿論、大事です。
しかし、私の言っていることは、帰納です。
公式の根源、一般化の根源のことです。
見なくてはならないにはここです。
こうすることで、自然、社会を見る目が出来るのです。
受験勉強は模倣。学問は智慧(内から出てくる抽象物)です。
-哲学への挑戦-
近代の彼方へ 第3章
浪漫主義から実存主義の系譜(けいふ)は、
暴虐(ぼうぎゃく)の限りを尽くす資本と科学と
産業に対する反論の拠点であった。
しかし、それらはすべて挫折した。
20世紀の後半は、資本と産業の暴虐を意識しながら、
しかし、それに対する反論を見出せない時代であったのだ。
有為(ゆうい)な拠点はないのか。
哲学は資本と産業を乗り越え、
克服する新たな力を私たちに与えてはくれないのか。
その答えはまさに、この現在において、
かすかな光があるに過ぎない。
それはまず、抑圧する権力を外にあるものではなく、
私たち自身の内面を侵食するものであるとみる視点、
そして次にその権力を構造と関係性によって
とらえようとする視点によって得られるものだと規定できる。
宗教でもなく、貨幣でもなく、人間がその生を満たされたもの
として位置付けるために、新たな価値観を構築するものとして
指名されるのはやはり哲学しかないのだ。
だから私たちは、今身に付けている価値観を脱ぎ捨てる
準備をしなければならない。
自らの自明の価値観を抑圧装置として捉え直さなければならない。
求められているのは、
それ故に、自らを救うことではなく、自らを壊す行為に他ならないのだ。
2003.05.17.SAT (493字)
GES進学予備校
ならば、何をすべきか。
短絡的な単語・熟語・文法暗記で
よいのですか。違いますね。
それは勉学ではありません。
いかに沢山働いたか、という「量」に過ぎません。
「質」的な勉学法はほんの一握りの生徒しか、
行っていません。
「高校-大学-就職」という人生の構図。
FPも必要です。
只、それで、社会はうまく繋がっていくのですか。
一部の人たちしか、日本、世界について考えていません。
「木を見て、森を見ず」になり過ぎ、
身近な「家庭」「会社」「地域」または「家庭」「学校」「地域」
、またそこから逸脱した第4世界に足を踏み入れた平成10年以前、
それ以降は、NEET・FREETOR・PARASITEに第4世界は
置き換えられたと私は考えております。
「現代文のカラクリ」と題して、哲学について語っていますが、
もう頭は飛んでいったのではと懸念しています。
「心ここにあらず」は残念です。
今、そうなっている諸君は眼鏡をかけ替えて下さい。
眼鏡が合っていないのです。見える眼鏡を私が差し上げます。
抽象的眼鏡ですが。
「倫理」には西洋哲学・東洋とありますが、
「哲学-宗教-科学」という流れで、
「近代科学」が確立されたのです。
今、キミたちが学んでいる学習は
元祖は「哲学」だったのです。
倫理-科学から政治経済へと人間文化に
まで倫理は影響を及ぼしています。
哲学(科学)なくして、真の学問がありえましょうか。
本気、真剣に人生を生きていくなら、真の学問を
やるしかないのです。
国語・英語・数学・理科・社会と教科は
複数ありますが、只、与えられた課題に
受動的に取り組む姿勢は、人生無駄です。
積極的人生は、受験テクニック等には走りません。
哲学(科学)は複雑な世界を簡素化してくれています。
キミたちは模倣するだけでいいのです。
今は何も発明はできません。
公式を知り、只、演繹的に使うだけ、といった
作業を繰り返しているのです。(演習)
これも勿論、大事です。
しかし、私の言っていることは、帰納です。
公式の根源、一般化の根源のことです。
見なくてはならないにはここです。
こうすることで、自然、社会を見る目が出来るのです。
受験勉強は模倣。学問は智慧(内から出てくる抽象物)です。
-哲学への挑戦-
近代の彼方へ 第3章
浪漫主義から実存主義の系譜(けいふ)は、
暴虐(ぼうぎゃく)の限りを尽くす資本と科学と
産業に対する反論の拠点であった。
しかし、それらはすべて挫折した。
20世紀の後半は、資本と産業の暴虐を意識しながら、
しかし、それに対する反論を見出せない時代であったのだ。
有為(ゆうい)な拠点はないのか。
哲学は資本と産業を乗り越え、
克服する新たな力を私たちに与えてはくれないのか。
その答えはまさに、この現在において、
かすかな光があるに過ぎない。
それはまず、抑圧する権力を外にあるものではなく、
私たち自身の内面を侵食するものであるとみる視点、
そして次にその権力を構造と関係性によって
とらえようとする視点によって得られるものだと規定できる。
宗教でもなく、貨幣でもなく、人間がその生を満たされたもの
として位置付けるために、新たな価値観を構築するものとして
指名されるのはやはり哲学しかないのだ。
だから私たちは、今身に付けている価値観を脱ぎ捨てる
準備をしなければならない。
自らの自明の価値観を抑圧装置として捉え直さなければならない。
求められているのは、
それ故に、自らを救うことではなく、自らを壊す行為に他ならないのだ。
2003.05.17.SAT (493字)
GES進学予備校