GESブログラブ -知への招待- GES PREPSCHOOL

WebLog_Love Site ∬xydx May You take a walk for Intelligence

学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか分る。

2010-10-31 08:36:15 | 学問

学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。

自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。

Albert Einstein

学べば学ぶほど、広い世界が見えてくる。

その世界は神秘的で美しい。

なぜ、美しいのだろう。

自然の規則に則って動いているからだろう。

ならば、学ぼう。更なる広い世界を見るために。


人が人を裁くことはできない。裁けるのは自然の摂理のみ。

2010-10-19 21:04:53 | 社会・経済

民事裁判では、立証が基となり、
「真実は明らかにされず、裁かれている場合が大半である」
弁護士はクライアントに依頼され、クライアントの守秘義務を課され、
クライアントに有利な発言しか出来ないことが、殆どである。
法が弁護士の「武器」となる。立証得点の争いとも言える。
刑事裁判にならなければ、ほぼ「真実を明らかにする」ところまでは進まない。

真実はいつも不確定。
人はそれぞれ自分の真実を持っている。
百人十色

規則、・・・、法に対し、ステレオタイプの大半の法曹界
コンプライアンス絶対主義という愚人。
世間体、体裁としか思えない。

まずはそのルールが本当に真実なのか。絶対的真実ではないのでは
ないのか、考えること。

専門知識盲目は社会を崩壊させる。
ライセンスが「力」ではない。
自然の摂理に則っているか、否かを見極める能力が真の「力」。

ルールに待ったを掛けるには、ルールを知ることだ。
「やたらとルール、法を振りまく者」は「力」「知性・知恵」は魅力はない。
「社会愚人」とも思える。

「人徳、正義」は人の心の中にある。

ライセンスを取得しようとしている人には「自動車学校修業中・終了直後」に
よくある規則愚人になって欲しくない。
安全に走ることがルール順守の証であろう。
ルールはそこから生まれるのだから。

ルールあっての社会ではなく、ルールの前に心ありき。

無闇にルールを盾にする人間には魅力なし。

『七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)を踰(こ)えず。』(孔子)
心のままに行動しても事故は起こらない人間になること。(仏心・生き仏)


人生の岐路そして決断-人生最も怖いのは、自分で選べないこと-

2010-10-19 21:00:24 | 人生

自分の人生を決断できない人が多い。

大海に飛び込む勇気のない人たちかも知れない。

只、進む道を決めないと前進できず、現状打破は出来ない。

怖い、失敗したらどうしよう、と決断が付かない。

知識不足かもしれないが、人生の見方を取り違えている。

たった1回の貴重な人生、失敗できない。

結果、失うものが多いのではないだろうか、と。

成功と失敗は表裏一体、期待と心配は、受験や就職、結婚、仕事

には付き物。

決断が付かないから、時間を無駄に過ごしてしまう。

失敗はしたくはないが、人生、賭けているなら、チャレンジし、

やるべきことはやった、と悔いは残すな。

失敗はしたくはないが、成功と同様、命を賭けて取り組んでいたら、

大きな財産になる。

岐路で道を選んだら、後悔はしてはならない。自分を否定したことになる。

責任を他に持って行くのも論外だが。

命を賭けてぶち当たれ。そこにまた岐路がある。

イバラの道であっても、選んだからには、突き進んで切り拓くことだ。

人生最も怖いのは、自分で選べないことではないかい。


What do you live and work and study for ?

2010-10-19 11:55:52 | 人生

Our aim for life is

    not to earn much money

        but only to realize

           some value to live

Our aim for life is

    not to earn much money

        but only to realize

           some value to live


「生を選択したなら、『生きる価値』を感じたい」

一生、金を目標とした一過性の幸福を手に入れたいかい。

「生きる、働く、学習する」活動と平行しているのは、「己の生きる価値」だろ。

苦しみも悲しみも楽しみも金では得られない。

金を得る為だけに働くこと程、空虚な人生の日々はない。

己から湧き出る芸術を人に必要とされ、お互いに交換する。

西洋ではよくある職人だ。

人のニーズに合わせ、戦略的に作り、売る、は内面は幸福とは言えないだろう。

ある時は偽ってでも売る。就活は偽りの自分を見せる場合が多い。

偽造自己を、会社に公に売ろうとしている。

雇用側はその偽りを見抜く方法を模索、実行している。

嘘はいずれ見抜かれることだ。潜り抜けても己にしこりが残る。

「金」=「通貨」=「Money」は、仕事(社会貢献度)の尺度という

評価数値と呼んでもいいのかも知れないが、社会の全体像を周知していて

この数値は上がる。能力と言ってもいいだろうが、これが「幸福」では

ない。学習評価、仕事評価を数値化する。これが金という生活活動の

パラメーターに相当する。収支が合っていない者は「自然の摂理」に

適合していないエビデンスでもある。何かが欠けている。

手段、方法が欠けているのなら、身につければよい。

重要なことは、「仕事の本質、学習の本質」を欠いていれば、「生きる価値」

も欠いているということだろう。

人間社会では「本物を作る」「正義を作る」ことが、「生きる価値」だろう。

自分を、更に人を偽っても生きようと思うかい。それは「生の選択」を

間違っていると思う。現代のシステマティック社会に欠けている「本物を作る」

「人つくり」(学校、塾、予備校)なら、本物を作ることに力を注ぐべきだ。

士業なら、客観性のある真実を貫かねば、いつかは自然の摂理に排除される。

数値目標は生活・社会活動の糧のためのもので、そこがスタート時点である。

そこから何をするかが、人の価値を決める。


生を選んだ人間の永久の幸福は「生きている価値を思いっきり感じる」ことだ。

だからこそ、「生きられる」「働ける」「学べる」のではないか。

「成果主義」は一過性の社会の一因子でしかない。

生を受けた人間は、「己の生きる価値」を感じ続けることではないかい。

成果主義仲間は、いつも入れ替わり、永久ではない。

売りっ放しのような生き方は、長続きしない。

仕事に学問に家庭に地域に「愛情」を感じなければ、短命で終わる。

やはり、行き着くところは、The giving tree(与える木)

の精神だろう。ここに本質がある。内から湧き出る必然的行為である。

難しいことではない、奇麗事でもない。

しかし、悟れる者は稀有ですね。


幸の輪

2010-10-03 21:09:19 | 人生

「幸せ」になるには「愛」が必要。

「快楽」を求めるのは「恋」

恋は求めるものに過ぎないから。

「愛」は与えるもの。

「恋」は奪うもの。

永久の幸せは「愛」

人生、最後は「愛」を築き上げ、皆で「幸せの輪」を作ることが

至上の幸せ。

驕り、怒りは「幸せの種」を消してしまう。

決して、どんな位になろうとも、驕ることなかれ。

与え続けることが「愛」という実に変わる。

The Giving Tree = 仏 = 生き仏


GESプレップスクール宇部校琴芝教室