防災ブログ Let's Design with Nature

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ARCHITECTURE WITHOUT ARCHITECTS - 建築家なしの建築 -

2010年05月13日 | Design with Nature
ネットの使えない山里に長くいたので、携帯でお気に入りのサイトを確認していたのですが、下山先生のサイトに”まさにARCHITECTURE WITHOUT ARCHITECTS - 建築家なしの建築 -”という文章がありました。

http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/a37c66384f5b275de18a1ec89f881ebd
“ALTE BAUERNHAUSER IN DEN DOLOMITEN”から、イタリア・ドロミテ地域の建物を観てきました。いずれも、「それぞれの場所で暮す必然が生みだした(と考えられる)いわば建物づくりの原点」そのもののつくりかたで、まさに ARCHITECTURE WITHOUT ARCHITECTS 。それゆえ衒いがありません。

そして、この「ARCHITECTURE WITHOUT ARCHITECTS」の訳書が鹿島出版会から出ており、詳しい解説が掲載されていました。

http://www.kajima-publishing.co.jp/theme/syohyou/20010608-3.html

50年代後半から60年代以降にかけてのテクノロジーの高度化=技術革新によって、巨大な建設需要とそれに見合う巨大な生産組織と技術が生み出される。そしてテクノクラートの主導の下、新しい建築機能や都市機能を実現する大規模で複合的な建築計画が押し進められることになる。一方、テクノクラートに与することを拒否する建築家=デザイナーたちは<テクノロジーを主題とする近代建築の解体>の担い手として登場する。だがこの両者に共通するのは、意識的であれ無意識的であれ<神に代わるデザイナー>としての存在である。<計画者>の意識である。この点にこそ、決して風化することのない『建築家なしの建築』の今日的意味がある。

「正統的建築史の中では、建築家個人の仕事に重点が置かれているが、ここでは共同体による事業が強調される」のであり、しかも「ここから得られるべき智は単に経済的あるいは美学的な思索の範囲にとどまるものではない」のである。すなわち本書に取り上げられた個々の建築の豊かな造形性に感動するばかりでなく、それが「伝統を共有し、経験の共同性に基づいて働く、全住民の自発的継続的な作業によって生み出された共同作品」であるという事実、そして「なかでも特にわたしたちの感動を呼び起こしているのはこの種の建築のもっている人間性に違いない」というルドフスキーの指摘にこそ注目しなければならないのだ。

私は建築物の個々を詳細に観察することは少なく、地すべりや火山岩類の貫入などの地質学的背景やそれに基づく生態系の発達などから、いかにして現在の風景が出来たかを考えることが多いわけで、それゆえブログのタイトルにDesign with Natureなどとつけているわけです。

参考 http://www.xeriscape-jp.org/ecology/070409_3.html

土木の世界では、砂防堰堤などを作るときに”現地発生材をコンクリートに混合しているから経済的でエコだ”という論調がありますが、なんというかスケールの小ささを感じてしまいます。

アマゾンのサイトで「建築家なしの建築」を調べてみたら、専門書には珍しくカスタマーズレビューが3件入っていたので良書なんだろうと思います。興味を持ちました。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4306051846/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

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