防災ブログ Let's Design with Nature

北風より太陽 ソフトなブログを目指します。

エンジニアは謙虚であれ - 神戸地震から13年 - 『地盤工学会誌』

2008年07月06日 | 防災・環境のコンセプト

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国も自治体も、いろりろな地震対策を進めており、研究面でも世界をリードする成果を生み出していた。(略)
相対的に見ればという意味である
 それにもかかわらず、なぜあんなに惨めな震災を受けてしまったのだろう。地震の揺れが想定していたものより強かった言って片付けてしまうわけにはいかない。
 (略)要するに、
 「専門家の勉強不足」「専門家の自己満足」「専門家の説明不足」 にあった(略)。被害を受けた人たちの責任は小さかった。
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 今日届いた地盤工学会誌56巻7号(通号606号)の総説(片山恒雄:東京電気大学)

 私も一応専門家の端くれ、専門的知識を使ってどうにかこうにか飯を食い、いまは家族も持ったわけです。勉強不足は、個人的には真摯に受け止めるとしても、向学心に燃える専門家の方も何人か知っているので(このブログにブックマークしている皆様のような)ちょっときついなあと思います。

 が、自己満足、説明不足は納得です。

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・地震学者は自分たちがやっている地震学の基礎研究を、世間が「地震予知」と勘違いしていることに気がつかなかった。
・破壊的な地震に見舞われたとき、いったい誰が、「断層面の向きや傾き、破壊の特徴、地震モーメント」に興味を持つだろうか 
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 私がこのブログをはじめたり、あるいはホームページのデザインにこだわったりしているのは、エンドユーザーに背を向けた議論はすべて空虚である と思っているからです。最近いろんな偽装問題が発覚していますが、これらは結局「自己」の欲求に走った結果、「事故」よって「自己」の真実を知るというブラックジョークです。
 
 例えば、私がよく関わる斜面問題では、よく「断面図」と「平面図」を見ます。そして、「地質調査者」が熱をこめて語るのは、縦断面図を用いていることが多いのです。考えてみれば「斜」面なのに、「断面図」と「平面図」の『垂直的二次元思考』が、現実にあっていないことに気がついていません。まして、エンドユーザーと一緒に問題に取り組むとなると、その感覚は伝わりません。「平面図」と「断面図」をジアゾ焼き(古っ!!)を納品する感覚に慣れすぎたとか、100万円なら100万円なりの成果でいいだろうという感覚は、実は公共事業になれきり最終決断を下してこなかったことなどを、理解してもらえるのは難しいこといなのです。道路や宅地といった生活に密着した問題であるにも関わらず、技術者という職業が社会に認知されていない状況は改善されなければなりません。

 地震が起こるたびに、いわゆる地質屋さんは、震源の位置とかプレートテクトニクスや地震が発生した背景や道路や橋脚の耐震性がどうのこうのという話、ようはメカ二ズム論にはいきいきと興味を示すのですが、家屋が被災しないために保険料をどう捻出するか、地盤のメンテナンスに関してどこまでリスクを許容し、個人負担がナンボで、公共補償費用がナンボで、といった社会科学的観点になると、やれ建築屋は地盤・地質を知らない、文系人間は自然がわからないなど愚痴るひとも見かけるくらいです。

 片山先生も「お役所の縦割りが問題だ」という研究者は多いが、まずは「隗よりはじめよ」とおっしゃっています。トレースなど図面表現は女性アシスタントの仕事、俺の仕事じゃないといっていないで、どういう表現が、専門知識をどうように説明したらよいか、真剣に考えないと、公共事業を民需が上回ったとき、つぶしが利きません。