日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

負の歴史を読むことの難しさ

2024年06月28日 08時02分09秒 | 政治
 「国立ハンセン病療養所<菊池恵楓園>(熊本県合志市)は24日、第二次世界大戦中から戦後にかけて開発中の薬『虹波(こうは)』を入所者に投与する試験が繰り返され、激しい副作用や死亡例が出た後も、医師らは中止する判断を取らなかったとする調査報告書を公表した。『当時の医師らの医療倫理の在りかたに疑問が持たれる』としている」(2024/06/24朝日新聞)
「人権」などというもの、おくびにも存在しなかった戦中のことかと思いつつ本文を読んでみると、この「研究」は戦後も続けられていたというから、「優生保護法」をつい最近までもっていた国ニッポンなればこそ有り得ておかしくない訳だと奇妙に納得してしまう。この「虹波」なる<毒薬>、感光色素を主成分とする薬剤で、旧日本陸軍が火傷治療などの外用薬としていたものを「らい病」に適用できないかと熊本大学医学部に研究委託したものだという。投与中に9人の死亡例が出たというから尋常一葉のお薬というわけではなかったらしい。戦後も大学による「研究」は続けられたが、それがいつ沙汰止みになったかは記事からは分からない。人権感覚が外来の思想であり続けた戦後日本の内実が、「優性保護」などの名目でこの種の歴史に紛れ込んでいるのである。
ハンセン病療養所における活動で有名な小川正子は、山梨県笛吹市の出身。映画「小島の春」(豊田四郎監督夏川静江・菅井一郎・杉村春子、1940年製作)で一躍有名になった。しかしコトがハンセン病療養の普及と献身であったからその評価はめまぐるしく変遷するところとなった。戦中は、そのり患による自らの生命を厭わぬ「献身」が評価され「女子」のカガミ(鑑)と持ち上げられ、戦後は「ヒューマニズム」の発露として評価された。しかし、ライが隔離政策によるべき病気でないという時代になってもなお「優生保護法」の対象として強制隔離政策を続けられたことの不条理が知れ渡るや、正子はそのお先棒を担いだ人として評価は完膚なきまでに色あせてしまい、一部の過激派からは「ツブテ」を投げ込まれる羽目にまで至ったという。
その当事、筆者の友人でもあった「小川正子記念館」の館長さんから、「手の平返し」のこういう国民的反応への悔しさを縷々聞かされたことがあった。歴史を読むことの難しさを知ったのはその時だった。すべては「政府」による誤りであり、その究極はそれを担ぐ汝人民にあることを忘れない利口な国民であってほしい。小川正子は今も昔も「白衣の天使」であった!。菊池恵楓園の自らの報告書公表も大いに評価したい。
 


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