「9月の自民党総裁選に岸田文雄首相が立候補しないと表明してから一夜明けた15日、首相は15日午前、閣議のために首相官邸に集まった全閣僚に対し『閣僚の中には総裁選に名乗りを上げることを考えている方もいると思うが、気兼ねなく閣僚としての職務に支障のない範囲で堂々と論戦を行ってほしい』と述べた。」(2024/08/16 朝日新聞)
素直に聞けば、この発言は「万機公論に決せよ!」と言っているように解釈してもよいのだが、当の発言者の今日まで伝えられてきた日頃の言動からして、筆者にはそんな風にお上品なお言葉のように聞こえない。それよりも、「俺は知らん! 後は野となれ山となれ、だ!」とふてくされているように聞こえる。
岸田氏の国民的人気は底を突いていたとはいえ、有力コンペチターも不在であったから決定打を欠いたままずるずると延長戦に突入していけるのではないかという雰囲気をかもしていた。決定打を欠いていることにおいて五十歩百歩の次期候補者群をみれば誰が後継者になろうとも「元老」ポストが得られるのではないか?、と岸田氏は考え違いを始めたのではないだろうか?。
現代を「戦後」という歴史の中に位置づけるのも、あれから79年を経てみれば、居座りも大いに悪いのだが、それでもこの長きにわたって直接的には「戦争」に関わることなく過ごしてきた「平和国家」の創業者吉田茂に始まり、その戦後世界の覇者を争う米ソ対立の中で反共を引っ提げてアメリカへの隷従政策へと右転向を謀った岸信介政権から、「豊かさこそ政治」の経済優先政策の池田勇人へと紆余曲折を経て、曲がりなりにも世界第二の経済大国を実現した日本政治の中では、池田氏の残した政治勢力の中から折に触れて軌道が調整されて20世紀末まで、この派閥「宏池会」は命脈を得ていたように見えた。前尾繁三郎・大平正芳・黒金泰美・鈴木善幸・宮澤喜一・小坂善太郎と、自由民主党の中でも良質な人々が集まっていたように思える。しかし、これらの人々と隣に岸田氏を立たせてみれば、如何にも格落ちは否定しがたい。足かけ3年の任期中、岸田文雄氏に筆者は「知性」というものを感じたことが一度も無かった! こういう人物に「元老」顔をされては絶対に困る。
政党は問わない。日本の政治に、最低限の「知性」をほしいと願わずにはいられない。
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