忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

覚醒・至高体験をめぐって07:(2)至高体験の特徴②

2012年04月25日 | 覚醒・至高体験をめぐって
1 至高体験においては、自己の利害を超越し、対象をあるがままの形で全体的に把握し、認識の対象を完全な一体として見る。

2 至高体験においては、認識の対象にすっかり没入してしまう。

3 対象を、人間の目的とかかわりのある見地から見るのではなく、人間とは無関係なものとして、それ自体独立した存在としてとらえる。

4 至高体験においては、認知が自己超越的、自己没却的で、観察者と観察されるものとが一体となり、無我の境地に立つことができる。

5 至高体験においては、対象に熱中し、没入するので、主観的に時空を超越している。

6 至高体験は、相対的ではなく、絶対的なるもの、永遠なるもの、普遍的なるものとして体験される。

7 至高体験は能動的な認識ではなく、受動的である、経験を前にして、謙虚で無干渉である。

8 至高体験においては、偉大なものを眼前にして前にして圧倒され、驚異、畏敬、謙虚、敬服といった色合い、感情をもつ。

9 至高体験では、「具体性を失わないで抽象化する能力と、抽象性を失わないで具体的である能力とが同時に見出される。」また、対象を類の一員としてではなく、それ自体唯一の個別的存在として見る。

10 至高体験においては、人間性の本来もつ「多くの二分法、両極性、葛藤は融合し、超越し、解決せられる。」

11 至高体験においては、人の行動はすべて愛し、赦し、受け入れ、賛美し、理解し、ある意味で神のような心情をもつ。

12 至高体験においては、一時的ではあるが、恐れ、不安、抑圧、防衛、統制が失われ、純然たる精神の高揚、満足、法悦が体験される。

ここに挙げたそれぞれの項目はたがいに深く関係し、ひとつの現象を別の角度から捉えなおしたような表現も見られる(たとえば、1と2と4、3と7の関係等を参照されたい。)

また、既に触れたようにマスローは、高度の成長、自己実現の状態に達した人々の認識のあり方や、至高体験に見られる認識のあり方をB認識として特徴づけている。B認識は、ごくふつうの人々の日常的な認識のあり方であるD認識(D=deficiency=欠乏)と比べられる。

マスローによる以上のような至高体験の特徴と、それを認識面からとらえたB認識の特徴とを、今後「覚醒・至高体験」の事例を検討していくためのさしあたっての基準としたい。だたし、これはあくまでも出発点での目安に過ぎず、今後事例を検討していくなかで、他の重要な特徴が付け加えられたり、たんなる列挙ではなく、より構造化された記述に深められていくかも知れない。

われわれの当面の課題は、上にあげたような至高体験の特徴、とくにB認識の特徴を、具体的な事例にそって確認することである。

(Noboru)


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