忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

覚醒・至高体験をめぐって01:はじめに①

2012年04月20日 | 覚醒・至高体験をめぐって
以下は、Noboruのホームページ『臨死体験・気功・瞑想』のなかの「覚醒・至高体験の事例集」に関係する考察である。一部はすでに別ブログで発表したものであるが、「覚醒・至高体験」は、それを経験した人の「原体験」になることが多い。よってこのブログに再録する価値は十分にあると思う。もちろん概念としては「原体験」の方が広い意味を持ち、「覚醒・至高体験」は原体験の一部ともなりうるということである。覚醒と至高体験の意味は、これからの考察の中で明らかにしていきたいと思う。

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「覚醒・至高体験」の事例を集めたいという思いは、私の中にかなり以前からあった。私自身が、そうした事例に接する度に深く心を動かされ、勇気付けられ、影響を受けてきたので、それらを集めた事例集のようなものを作ることは大いに意味のあることだと感じていた。また、拙著『臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』(アルファポリス刊)のひとつのテーマが、臨死体験と「覚醒・至高体験」とを比較することだったので、その意味でも事例を集める必要があった。

本格的に収集し始めたのは、1999年12月にサイト『臨死体験・気功・瞑想』を公開し、「覚醒・至高体験の事例集」という頁を作り始めてからである。事例の数が増えるにつれ、事例集は分量からしても反響からしても、このサイトの中心になった。そして、私がそうだったように、多くの読者が、事例集を読んで感動したり勇気付けられたりしているようだ。また、サイトを公開したことによって、ご自身の体験を投稿してくれたり、「この本にこんな体験が掲載されていた」と情報を提供してくれたりする人も多くなり、掲載される事例は徐々に増え、すでに80人を超える人々の事例が集まっている。

サイトの「覚醒・至高体験の事例集」では、数多い事例を以下のように整理して掲載している。すなわち「臨死体験者の場合 」「気功・ヨーガ行者の場合」「宗教家の場合」「スポーツ選手の場合 」「普通の人々の場合―1・2」 「『光』体験をともなう場合 」「『世界が輝く』場合」「病とともにある場合」「西欧の神秘家たち」「『あえて分類せず』の場合」の10項目だ。この分類はもちろん便宜的なもので、分類がないよりは、ある方が少しは見やすいだろうし、どこから読み始めるかのある程度の目安になるだろうという目的のためにすぎない。

たとえば「光をともなう場合」と「気功家・ヨーガ行者」など、性格や分類の視点が全く違う項目を並列的に分類するのは、研究という視点からはナンセンスである。また、普通の人々の体験が病をともなったり、宗教家の体験が光をともなったりする場合もある。どちらの分類に入れるかは私の感覚的な判断にしたがっている。(Noboru)


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