玄文講

日記

統治と人権についての考察

2005-03-07 23:59:35 | 
若林敬子「なぜ中国は一人っ子政策を続けるのか」(フォーサイト、掲載号不明)を読んで思ったこと


人が生まれながらに持つ権利、人権。
その人権を守ることが民主主義の目的だと言う人がいる。

しかし私は政治の目的とは「統治」にあると考えている。

統治とはすなわち自国の領土を守り、法を維持し、治安を保ち、国民に生活の基盤を与え、その一方で国民に対して納税、教育、徴兵などの義務を課すことである。
そこに絶対にゆずれない原則として「人権を守る」という目的を入れる必要はない。

むしろそれは統治のじゃまになるのならば、切り捨てるべき「権利」に過ぎない。
もし国民の生活よりも人権を優先するというならば、それはもはや政治ではなく宗教である。


すると「国民の健全な生活や人生は正しく人権が守られている国でのみ保証される」と主張する人が出てくる。
しかし、たとえば分離独立を望む複数の民族から成る多民族国家は、ある程度の独裁をひかなくては各部族が際限なく争いあう内乱状態に陥ってしまうことがある。
そうして政治が不安定になれば、治安が悪化し、経済も停滞し、国民は疲弊する一方となってしまうだろう。
この場合、国民の健全な生活や人生は独裁制の下で保証されている。

衣食足りて、礼節を知る。
人は思想だけでは幸せにはなれないが、思想がなくとも経済力があれば幸せになれる。

統治、経済、人権。
この3つの言葉を並べたとき、「統治」に近い言葉は「人権」ではなく「経済」の方である。
(資本主義は民主主義国家でのみ保障されるという説を私は信じていない。
確かに経済の発展には公正な競争や開放経済が必要かもしれない。しかしそれは民主主義国家でなくともできることである。
また経済が発展すれば、一部の政治家以外の資本家も発言力を持つようになるだろう。しかしそれは民主主義とは関係のない話である。)

残念ながら世界の多くの国は「民主主義」に耐えられるだけの経済力を持っていない。
彼らにそれを無理強いすれば、待っているのは統治の崩壊だけである。

たとえば支那の一人っ子政策を考えてみよう。
この政策は人権に反するものとして民主主義者からは嫌われている。

しかし、よく考えていただきたい。
中世スペインや現代アフリカ諸国の貧困と飢餓の原因はどこにあるのかということを。
それは農村部の人々があまりにも大量の子供を生みすぎたためである。
避妊行為への無理解、即席の労働力の確保の結果として増えすぎた幼児が、乳児死亡率を高め、飢餓を招き、貧困を加速させているのである。

支那はこの悲劇を未然に防いだのだ。
闇子や男女産み分けという問題を考慮しても、一人っ子政策は英断なのではないだかろうか。
少なくとも、それ以外の解決策があるとは思えない。

それに支那政府もこれらの問題を深刻に受け止めており、2002年度に法制化された「人口・計画出産法」では超音波検査などの産み分けを可能にする技術の使用を禁止している。

また、ある人は「今の若い中国人は一人っ子なものだからわがままほうだいに育てられた鼻持ちならない小皇帝ばかりだ」と言っていたことがある。
だがいいではないか。貧困と飢餓で国は滅びても、わがままで国が滅びることはないのだから。


支那が人権を厳守する民主主義国家であったならば、かの国は今頃、貧困と飢餓で疲弊していたことだろう。
確かに人権や民主主義を尊重する国家はすばらしい。

しかしそれだけでは駄目なのだ。
この世には人権や民主主義を棚上げしてでも挑まなくてはいけない問題があるのだから、民主主義でない国家も存在していなくてはならないのである。

少なくとも「その国が民主主義国家ではない」ことを、その国と戦争をするための大義名分とするようなことはすべきではない。
(もちろんジェノサイド(別民族の大量虐殺)などの明確な非人道的行為は見逃すべきではない。ここでは「非民主主義国家=非人道的行為」という連想をすべきではないと主張しているのである)

現在、世界は確実に良い方向へ向かっている。
科学技術の発展と人類の努力は(多くの問題を抱えつつも)食料の生産性を上げ、人類の福祉を向上させ、エネルギー枯渇の危機を乗り越え、自然環境を改善させ、貧富の差を縮小させている。

過去においては食料のため、資源のため、生き残るために戦争をしなくてはいけない時代があったかもしれない。
そして今もまだそういう時代なのかもしれない。
しかし未来には戦争をしなくとも生き残れる時代が待っているのである。

もしその時代においても戦争が起きるとしたら、それは思想や宗教のために起きることになるだろう。
そして「人権」もその思想の一つとなりうるのである。世界の不幸の原因が「人権」になるだなんて笑えない冗談である。

最後に繰り返し言っておこう。
個人レベルでは「誰もに衣食住と尊厳のある世界」を求めることは素晴らしいことである。
しかし「その国が民主主義国家ではない」ことが その国を否定する理由として認められてしまうのならば、それは無意味な宗教戦争を起こしかねないのである。

100年戦争「聖女と勝利」 ~モロワ「フランス史」(3)

2005-03-05 03:24:45 | 
 
フランスは一人の女のために取り返しのつかない状態になったが

一人の少女によって救われるだろう

(当時、フランスの人々の間に広まっていた噂)


フランス王シャルル6世を狂わせたのは愛だった。
彼の愛した外国人女性イザボ・ド・バヴィエールは逸楽的で奔放で恋多き女性であった。
王は煩悶の挙句、自分の精神を壊した。

そして有名無実となった王の権力を求めて、弟のオルレアンと叔父のブルゴーニュ公「向こう見ずのフィリップ」による内乱が始まった。

オルレアンは王妃イザボの恋人と噂された人物であり、市民階級を味方にしていた。
フィリップは前王シャルル5世から贈与されたブルゴーニュ地方で力を蓄えており、パリを味方にしていた。
王が死ぬたびに領土を分割する制度は、ここでも争いの原因となったのである。

そして1415年、イギリス王ヘンリ5世は この内乱につけこんで侵略を再開した。
彼はわずかな手勢でカレーに向かって進軍し、アザンクールでフランス貴族と戦った。
ここでもフランス貴族たちは前の戦いからは学ばず、一方的に射抜かれて切り刻まれるために敵の群れへと突っ込み、結局1万人が戦死した。

しかし兵力の少ないイギリスは自力ではフランスを奪えないはずだった。
ところがフランスは内乱に夢中で、イギリスの相手をしている暇がなかった。

1417年、フランスはイギリスに攻め込まれたノルマンディの住民からの救援要請を「ブルゴーニュ派との戦いで手一杯だ」という理由で断った。

その後、パリはブルゴーニュ派に奪われて王太子シャルル7世は逃亡した。
そしてイギリスに対抗するために必要不可欠だったフランスとブルゴーニュ公の和平は、王太子の友人がブルゴーニュ公「恐れ知らずのジャン」を暗殺してしまったことで水泡と帰した。

さらに王妃イザボは1420年、トロワの条約により自分の娘をイギリス王ヘンリ5世に与え、彼をフランスの摂政にしてしまった。やがて彼らの子がイギリスとフランスの王になる手はずであった。
そして王太子は廃位され、追放され、否認された。
この外国女はフランスをフランス人以外の人間に与えることを何とも思ってはいなかった。

しかしフランス人はどれだけイギリスの摂政が善政に務めても彼らを認めはしなかった。
彼らはフランス人の王を猛烈に望み、懸命に前線オルレアンを防衛した。
一方、彼らの希望である「祝聖されないブルージュの王」シャルル7世は戦う勇気を持てないでいた。
彼は一つの疑惑のために自分の王としての正当性に自信が持てなかったのである。

「あの乱行の母から生まれた自分は本当にフランス王の子供なのだろうか?」




1429年3月、その少女はやって来た。

彼は彼女の何を信じたのだろうか?
衛成部隊長ヴォルクールは、男の鎧で身を固めさせた小娘をロレーヌからシノンの城へと案内した。

そしてその少女は貴族たちの間に隠れていた一面識もないシャルル7世をすぐに見つけ出した。

栗色の肌の、たくましく、しかし物腰のつつましい百姓娘は、女らしい声で語るのだった。

自分が光を見たことを。
自分が神の声を聞いたことを。
その声がオルレアンを救うように告げたことを。
そして「貴方様がフランス王の本当の世継ぎであらせられ、また王様の御男児であらせられること」を。

少女は彼に「やさしき王太子」の称号を奉(たてまつ)った。
シャルル7世は自分の正当性を小娘から教わった。

それから彼女は少数の軍隊をもらい、ユリの花とイエス・マリアの言葉を旗印に行進し、「主よ、来ませ」の言葉を唱えながら砦を次々と陥落させ、オルレアンを解放した。

少女は「自分は一年しか寿命がない」と言い、生き急いだ。
彼女はイギリスにフランスとの同盟を勧め、ブルゴーニュ公にいさかいを止めるように諭(さと)し、反対派の妨害を退け、弱腰な王にランスへの進軍を繰り返し進言し続けた。

少女の進軍は勝利の連続であり、まるで散歩でもするかのように彼女らは5ヶ月でランスへとたどり着いた。
そして7月17日、「祝聖されないブルージュの王」シャルル7世は聖油により祝聖され、全ての信者に対してフランス王の正当性を示した。

戴冠式の間、少女は軍旗を片手にして国王の傍に突っ立っていたという。
国王にその正当性への自信を持たせ、戦略の要オルレアンを解放し、ランスで祝聖することで公式にフランス王としての正当性を確立させる。
その合理的かつ困難な任務を彼女は完璧かつ迅速にやりとげた。
だがこの時、彼女は既に自分の死を予感していたという。

1430年5月、何者かの裏切りによりコンピエーニュ城の門は彼女の出撃の直後に閉められた。
彼女はブルゴーニュ派に捕えられ、イギリスに売りつけられ、宗教裁判にかけれらた。

その少女は陰湿な追及にも立派で純潔な態度で返答をして、裁判官を当惑させた。
しかし彼女の死刑は始めから決められていたことであった。
1431年5月30日、彼女は火あぶりの刑に処され、ルーアン旧市場において生きたまま焼かれた。
享年19歳であった。



忘恩は王者の美徳。
シャルル7世はこの少女のことをすぐに忘れた。
しかし小娘が命をかけて戦ったのに、自分たちが何もしないでいることにフランス人は耐えられるのだろうか?
答えは否。断じて、否である。
軍人リッシュモン、グザントライエ、オルレアン公の庶子デュノワ、そして貴族たちは行動を始めた。

1435年、ブルゴーニュ公が起伏。内乱終結。
1436年、パリが国王に服従。シャルル7世、首都への入城を果たす。
1450年、ノルマンディを解放。
1453年、ギュイエヌを解放。

こうしてフランスからイギリス人の影は消えた。
フランスの国力は既にシャルル5世の時代に回復していた。足りなかったのは意志のみであり、少女は男たちを立たせたのである。
その後、シャルル7世は財政を再建し、近代的軍隊を編成し、税制を整え、幸福で強力なフランスを残して死んだ。

ナポレオンは言った。
「国家的独立が脅かされる状況では、フランス精神が生み出すことのできないような奇蹟はない」


この少女は、その奇蹟ゆえに1920年、ローマ教皇庁により「聖ジャンヌ・ダルク」として聖人に列せられた。

(参考)
“記念日だらけの毎日”さんによると、明日の3月6日はジャンヌ・ダルクの日だそうである。

経済プロレス

2005-03-04 14:51:49 | メモ
(前回の続き)

さて、先日私は不景気の原因をめぐる「構造派」と「金融派」の議論の存在を示した。
そしてもし私が彼らの議論を紹介するとしたら、互いの仮説を並べて比較、検討するという手順をふむことになるはずである。

しかしこの議論は、そんなおとなしい紹介で済むものではなくなっている。
そしてこの議論が単なる学問上の論争だったならば、このケンカがこれほど面白くなることもなかっただろう。

不幸なことに、この議論は極めて娯楽性の高いプロレスになってしまったのである。
なぜそんなことになってしまったのか?理由は2つある。

1つはこの議論が「善と悪の戦い」になってしまったからである。

学説と人格は関係がない。というのは自明なことである。
善良な人も間違った仮説を唱えるし、嫌な野郎でも素晴らしい業績をあげたりする。

しかし彼らは、特に「構造派」の人たちはそうは思わなかったようだ。
自分と異なる学説を唱えている人間は、無責任な議論で日本を混乱におとしいれている悪人である。
無知無能な悪人どもは徹底的に罵倒されてしかるべし!

こうなると議論は人格攻撃の嵐に変化する。
モラルがない。謙虚さが足りない。思慮が浅い。卑怯だ。こそくだ。恥知らずだ。

議論の根底にあるものが「理性」ではなく「正義感」になったとき、論敵は「話し合う相手」から「殲滅(せんめつ)すべき相手」に置き換わる。
こうなると議論は坂道を転げ落ちるように楽しくなる。

もう1つは素人や外野がたくさん議論に参加してきたことにある。

科学の議論において、よく分かっていない人間や科学を否定する人間が来れば混乱するのは当然のことである。
たとえば西洋では進化論をめぐり、進化論を知りもしないのに自分の学説に取り入れたり、創造主義をとなえて裁判を起こしたりする人が大勢いる。
その一方でまともな議論、「自然淘汰説」VS「中立進化説」の存在感が薄くなったりしてしまうのである。

この議論も同じで、不況や政治という注目度の高いテーマを持つために一家言ある人たちが次々と議論に参加してくる。
その中には経済学を知らない人や、それ以前に経済学を否定する人が多く混じっている。

しかも始末の悪いことに、経済に関しては「世間知」や「常識」はオカルトの味方をしてしまう傾向があるのだ。

世間では、よく啓蒙主義者とオカルティストが議論を交わしたりしている。
たけしのTVタックルや「と学会」のオカルト批判(愛好?)が有名だ。

そしてその議論において大半の人は啓蒙主義者の味方をした。
それは啓蒙主義者の意見に説得されたからというよりは、オカルティストたちがあまりにもあからさまに怪しくて胡散(うさん)くさ過ぎたからである。
「百聞は一見にしかず」という言葉は彼らのためにあると思えるほど、彼らの振る舞いはダメダメであった。

つまり「世間知」や「常識」は「宇宙人と政府の密約」だの「人類滅亡の予言」という主張を受け入れたりはしなかったのである。

しかし経済に関して世間様は以下の発言に味方する。

「デフレは高すぎる日本の物価が正常値にむかっているだけだ」
「日本は国際経済の競争に勝ち上がっていかなくてはいけない」
「インフレは常に悪しき現象である」
「構造改革をしないと景気は良くならない」
「ハイパーインフレが起きて日本経済が破綻する」
「日本が不景気なのは政府や経営者にモラルがないせいだ」

どれもこれも常識的には正しく、経済学的には嘘が多い話である。

普通の科学の論争は今までの成果、つまり既存の学問体系を土台にして議論をすすめる。
しかしこの論争は今までの成果を否定する人たちを説得するところから始めないといけないのである。
大変である。

しかしそのおかげで経済学者たちは私たち素人にも分かるように議論をしてくれるようになった。
そして一般人でもこのプロレスが観戦できるようになったのである。


さて、それでは最後にこのプロレスの面子を紹介しよう。
優れたエンターティメントは外野席でのパフォーマンスを忘れないものだが、このプロレスもその点にぬかりはない。
彼らは論争とは関係ないところで様々なスキャンダルを起こし私たちを楽しませてくれる。
この場所では、今後そういう彼らの素晴らしいパフォーマンスも下世話に紹介していく予定である。
(2chや苺えびすで既に色々と紹介されているそうですが、私は未見なので知りません。興味と暇のある方はそちらを覗いてみるといいかもしれません。)

「リフレ(金融)派」

岩田規久男
(誠実な啓蒙家。私はこの人の入門書から経済学を学んだ)

ポール・クルーグマン
(天才経済学者。ユーモア精神にあふれる人物)

山形浩生
(サブカルチャーの有名人。バロウズやクルーグマンの本の訳者としても有名。インフレ派の普及に多大な貢献をしている)

「リフレ(財政)派」

植草一秀
(別名ミラーマン。痴漢事件で全てを失う。しかし学説と人格は関係がないのである)

「構造改革(不良債権)派」

木村剛
(金融界の超有名人。政府や経営者のモラルの欠如を厳しく糾弾する正義の人。国が立ち上げた不良債権対策チームのメンバーでもあった)

宮崎義一
(「銀行の貸し渋り」説を最初に指摘した人物)

金子勝
(日本資本主義の欠陥を厳しく糾弾する正義の人)

「構造改革(良いデフレ、構造改革)派」

野口悠紀雄
(日本型資本主義の研究で有名。「超」整理法や「超」勉強法などのベストセラー本の著者でもある)

榊原英資
(別名ミスター円。10万円金貨発行で有名な人物。市場原理批判を行う)

長谷川慶太郎
(元新聞記者、元証券アナリスト。デフレに大賛成している)

中谷厳
(経済学の良い教科書を書いている名のある経済学者)

大前研一
(テレビでおなじみの人気者。サラリーマンを応援し、国際経済競争に生き残る道を模索している)

「経済学限界説」

西部邁
(保守系の論客)

松原隆一郎
(消費不況を唱える)


(参考文献「エコノミストミシュラン」)

構造改革派 VS リフレ派

2005-03-02 01:05:35 | 経済
(昨日の続き)

今、日本では、不景気の原因とその対策をめぐる争いが行われている。
それは政策の優先順位をどのように設定するかという問題でもある。

彼らは大まかに2つのグループに分類することができる。

一方はこう主張する。

日本が不景気なのは、その経済の効率が非効率だからである。
生産性の低い産業が淘汰されないからである。
財政が不健全だからだ。
不良債権の処理が進んでいないからだ。
モラルハザードのせいだ。

だから政策で最優先されるべきなのは「構造改革」である。

*****************************

そしてもう一方はこう主張する。

構造改革派の主張する問題が解決すべき問題であることは認める。
しかしそれらは不景気の原因ではない。それらは結果である。

デフレ

これこそが日本人が不幸になった原因である。
デフレは貨幣の価値を高める。お金の価値は日々高まり続けるのだから、使わないで貯めれば貯めるほど有利になる。

経済学では、人々は一定の制約の下で自分の効用(満足度)を最大にするように活動をする。
デフレの下では投資を控え、消費を抑え、貯蓄をすることが最大の効用を得るための手段である。
しかしその結果、消費が冷え込み、雇用が減り、税収入が減り、運用資産の利ざやが減ることで年金制度や保険制度が破綻しているのだ。

私達が不幸なのは、私達が最適な行動をとっているせいなのである。
今の日本ではマクロ経済学の公式通りのことが起きているのだ。


だから最優先に行うべきは「構造改革」ではない。
「このデフレを終わらせる政策」こそが断固として行うべき最大の課題なのである。

そしてこの問題を解決する方法は、消費することが私達にとって最適な行動になるように日本を変えることである。
それを可能にするのが金融政策である。


財政再建?それは家のリフォームのようなものである。
今は日本の土台を固めることを考えるべきであり、いくら家を改築しても砂の上に建てた家ではすぐに崩れてしまうであろう。

不良債権処理?実はバブル期に発生した不良債権は既に90年代に処理が終わっているのである。
今ある不良債権は「デフレ」のせいで新たに生み出され続けているものなのである。
源泉を止めずに水をいくらくみ出しても、水がなくなるわけはないのである。

モラルハザード?確かに役人の不正は監視し、糾弾し、なくなるようにすべきだ。しかしそれは私達の不幸の原因ではない。
目立つ悪を自分たちの不幸の原因と勘違いし、彼らを叩くことで満足してはいけない。
大きな悲劇とは常に悪意のないところから生まれるものなのである。

今、すがるべきなのは金融政策なのである。
その具体的中身としては、クルーグマンの唱えた「インフレ目標政策」や「政府通貨の発行」などが提言されている。

*****************************

以上が2つのグループの大まかな主張である。
前者のグループはさらに細かく分類することができる。むしろ彼らは、その人数の分だけ主張があると言えるほど多様な提言をしている。

後者は細かい違いはあるが、大筋ではだいたい似たようなことを言っている。少なくとも経済学の定理から逸脱したことはあまり言わない。

そして私は後者の「金融政策派」を応援している。
だからここの文章もかなり後者寄りのものになっている。

そしてこの2つのグループの論争は見ていて飽きない、実にくだらなくて素敵なことになっているのである。
どのように素敵になっているかは、明日に説明したいと思う。9

日本で一番楽しいケンカ

2005-03-01 23:56:28 | メモ
先週から私は貨幣という、この不思議な発明品について考察している。
その内容はいよいよ佳境に入り、日に日に面白くなっているはずなのに、なぜかアクセス数は日に日に減っている。

何故だろうか?
長い文章がいけないのか、私の説明が分かりにくいのか、それともそもそもこの話に興味がないのか。
いずれにせよ読む人が面白くないと思うのならば、私のやっていることは
「半端な知識しか持っていないバカが、自分が物知りであることを自慢したくて大声でわめいているだけ」
になってしまう。

おそらく、この話に興味を持ってもらえないのは、私と読み手がこの話の結末を共有していないせいなのだろう。

この一連の話はある結末へ向かって進んでいる。
それは「私達は何故に不幸なのか?そしてどうすれば幸せになれるのか?」を説明することにある。

そして今、日本ではこの不幸の原因をめぐってとびきり楽しいケンカが行われているのである。
こんな楽しいケンカを見逃すだなんて人生の損失である。
これは1億2千万人の未来を左右する大ケンカである。
これに比べればイラク戦争なんてたかだか数百万人の未来しかかかっていない小さなケンカに過ぎない。しかもこちらのケンカは人が直接には死なないので良心的な方でも安心して楽しめるのである。

だから私はこの楽しい喧嘩の存在をより多くの人に知ってもらいたい。そして一緒にこの世紀の一戦を観戦していただきたいのである。ケンカはギャラリーが多いほど盛り上がるのだから。
「貨幣」の話はそのための準備なのである。

繰り返し言おう。何度でも言おう。そして知らしめよう。

私達が不幸である原因をめぐって日本では今、最高に愉快で素晴らしいケンカが行われているのである。

人間が不幸になる原因とは何か?
それは金がないことに決まっている。失敗と退廃の原因が貧乏以外にあるだろうか?
あるだろうけど、ここではないことにする。

私達の不幸の原因は日本が不景気だからである。
そしてこのケンカは、不景気の原因とその対策をめぐる争いなのである。

(続く)