玄文講

日記

貨幣(4)「その真価」

2005-03-09 16:07:09 | 経済
(「その役割」、「その種類」、「その制御」の続き)


お金がありがたいのは何故だろうか?
それは、お金があれば様々なものを買えるからである。

つまり貨幣の本当の価値とは、「それでどれだけの物が買えるのか」という購買力にある。
お金が100万円あっても、パンが一枚50万円もする世界ではどうしようもない。

しかし私たちは、つい、購買力よりも見せかけの賃金や物価の上下に注目し、一喜一憂してしまう。
給料が上がれば嬉しくなり、物価が下がると得をした気分になる。

だが給料が上がれば、私たちを雇う企業はその分のコストを商品代金に上乗せし、物価も上昇する。
物価が下がれば、企業の収益も下がり、私たちの給料も下がる。

時間がたてば賃金の上昇率と物価の上昇率は同じように上下する。
本当に私たちの購買力が高くなるのは、つまり賃金の上昇率が物価の上昇率を上回るのは、生産力(GDP)が向上した場合である。
(そして今の日本のデフレは生産力の減少を伴うため問題となっているのである。)

私たちの本当の豊かさはGDPの上昇にある。
GDPとはその経済の売り上げ金の合計のようなものである。
では2002年のGDPは497兆円であったが、1854年のGDPは5億4千万円であった。
すると私たちは明治時代より生産性を9万2千倍向上させたことになるのだろうか?

なるわけがない。

この混乱は物価の変化を考えないことから来る。
たとえば明治時代の1円と今の1円では購買力がまるで違う。
そこで正しく購買力を比較するためには、ある年の物価を基準値に設定して、以下のように「名目GDP」と「実質GDP」を区別しなくてはいけない。

名目GDP = 今年の物価  × 今年の生産量

実質GDP = 基準年の物価 × 今年の生産量

たとえば基準年に車が10円で生産量が100台とする。するとGDPは10×100で1000である。
そして今年は車が10万円で生産量が1000台とする。
すると名目GDPは10万×1000で1億となり基準年の10万倍だが、実質GDPは10×1000で1万となりGDPが基準年の10倍、つまり車の生産量が10倍になったことを正確に反映している。

(資料)
GDP・景気・経済 SITE  および
ここから藤野正三郎「日本のマネーサプライ」のデータを孫引き

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時々、この「名目」と「実質」を区別していないせいで、おかしな議論をする人がいる。
たとえば貧富の差が拡大している根拠として「豊かな層と貧しい層の賃金格差は、昔は千円だったが今年は5千円もある。貧富の差が5倍になった」と言ったりする。
しかしその賃金データが「名目量」ならば、この議論に意味は無い。

それなら明治時代の賃金格差が30円で、今の賃金格差が30万円ならば、貧富の差は1万倍ひらいたことになってしまう。
豊かになったかどうか、貧富の差がひらいたかどうかは「実質量」を見なくてはいけないのである。

多くの場合「実質量」を求めるのは簡単だ。
「名目量」を以下に定義する「GDPデフレーター」と呼ばれる量で割ればよい。

GDPデフレーター = 今年の物価 / 基準年の物価 = 名目GDP / 実質GDP

これは物価の本当の変化を計る尺度であり、今後はこれを(本当の)「物価=GDPデフレーター」として考えることにする。

すると実質量は次のようになる。

実質GDP = 名目GDP / 物価

実質賃金 = 実際にもらった賃金 / 物価

実質マネーサプライ = 名目マネーサプライ / 物価

先の貧富の差の拡大の議論は「実質賃金」で考えなかったために誤ったのである。

私の給料が100万円でもパン1斤が50万円ならば、私の購買力はパン2斤でしかない。
私の給料が1万円でもパン1斤が10円ならば、私の購買力はパン1000斤になる。
「実質賃金」こそが購買力を正確に反映する量なのである。

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同じような混乱は、国内と国外を比べた場合にも起きる。

先の例は「過去」と「現在」の豊かさの変化について考えた。そして本当に豊かさを比べるためにすべきことは「購買力」の比較であった。

今度の場合、国内と国外の豊かさを比べる場合にすべきことは、各国の購買力の比較である。
つまりA国の購買力は、A国の賃金とA国の物価で決まる。B国の購買力は、B国の賃金とB国の物価で決まる。

間違った議論はA国の賃金でB国の物価を考えたりした場合に起きる。

たとえば「アフリカのある国の賃金はアメリカドルで10ドルしかない。だから彼らは貧しく、貧富の差は恐るべき速度でひらいている」と言ったりしてしまう。
しかし彼らの給料「ブル」紙幣とかを、単純に為替ルートで変換してドル(GNI係数)で比べても何の意味もない。

本当に必要なことはその国の賃金は、その国の中でどれだけの購買力を持っているかである。
彼らの給料がアメリカでは10ドルの価値しかなくとも、自国内では家が建つほどの額だったら何の問題もないわけである。

そして正しく購買力を比較するための数値が「PPP(購買力平価)(データは世界銀行のサイトで入手可能)」である。

たとえば単純に為替ルートGNI係数で日本とアメリカを比較すると

USA 34,280 ; 日本 35,010 (単位;USAドル)

となり日米の差はあまりないが、PPPで比較すると

USA 34,280 ; 日本 25,550 (単位;国際ドル)

となり購買力にだいぶ差がある。
このPPPで統計を取ると、現在、世界の貧富の差は縮小傾向にあることが分かる。

余談だが面白い数値にイギリスのエコノミストが公表している「ビックマック指数」というものがある。
(参考;君の食するところを言いたまえ
これは各国でビックマックのような規格化された商品がいくらで売られているかを示している。その結果、ビックマックの値段は

USA 3ドル ; 日本 2.5ドル

となり上のPPPと類似している。
同じ商品が各国の経済力にあわせて上下しているというのは、「市場の調節機能」を感じさせられる話である。

ところで「日本の物価は外国に比べて高い」とか「デフレは日本の物価が国際価格に近づいているだけだ」と言う人は、購買力を比較するために必要な2つの量「賃金」と「物価」のうちの「物価」だけしか見ていないのである。

それにこの世に「国際価格」などというものは存在しない。
あるのは「自国の賃金」が自国内でどれだけの「購買力」を持っているかだけである。そして私たちが求めるべきなのは「物価の下落」ではなく「購買力の増加」である。

現在のデフレは購買力を低下させているので許してはいけない現象なのである。

(参考文献「マンキュー マクロ経済学」「環境危機をあおってはいけない、第6章」)