(前回の続き)
さて、先日私は不景気の原因をめぐる「構造派」と「金融派」の議論の存在を示した。
そしてもし私が彼らの議論を紹介するとしたら、互いの仮説を並べて比較、検討するという手順をふむことになるはずである。
しかしこの議論は、そんなおとなしい紹介で済むものではなくなっている。
そしてこの議論が単なる学問上の論争だったならば、このケンカがこれほど面白くなることもなかっただろう。
不幸なことに、この議論は極めて娯楽性の高いプロレスになってしまったのである。
なぜそんなことになってしまったのか?理由は2つある。
1つはこの議論が「善と悪の戦い」になってしまったからである。
学説と人格は関係がない。というのは自明なことである。
善良な人も間違った仮説を唱えるし、嫌な野郎でも素晴らしい業績をあげたりする。
しかし彼らは、特に「構造派」の人たちはそうは思わなかったようだ。
自分と異なる学説を唱えている人間は、無責任な議論で日本を混乱におとしいれている悪人である。
無知無能な悪人どもは徹底的に罵倒されてしかるべし!
こうなると議論は人格攻撃の嵐に変化する。
モラルがない。謙虚さが足りない。思慮が浅い。卑怯だ。こそくだ。恥知らずだ。
議論の根底にあるものが「理性」ではなく「正義感」になったとき、論敵は「話し合う相手」から「殲滅(せんめつ)すべき相手」に置き換わる。
こうなると議論は坂道を転げ落ちるように楽しくなる。
もう1つは素人や外野がたくさん議論に参加してきたことにある。
科学の議論において、よく分かっていない人間や科学を否定する人間が来れば混乱するのは当然のことである。
たとえば西洋では進化論をめぐり、進化論を知りもしないのに自分の学説に取り入れたり、創造主義をとなえて裁判を起こしたりする人が大勢いる。
その一方でまともな議論、「自然淘汰説」VS「中立進化説」の存在感が薄くなったりしてしまうのである。
この議論も同じで、不況や政治という注目度の高いテーマを持つために一家言ある人たちが次々と議論に参加してくる。
その中には経済学を知らない人や、それ以前に経済学を否定する人が多く混じっている。
しかも始末の悪いことに、経済に関しては「世間知」や「常識」はオカルトの味方をしてしまう傾向があるのだ。
世間では、よく啓蒙主義者とオカルティストが議論を交わしたりしている。
たけしのTVタックルや「と学会」のオカルト批判(愛好?)が有名だ。
そしてその議論において大半の人は啓蒙主義者の味方をした。
それは啓蒙主義者の意見に説得されたからというよりは、オカルティストたちがあまりにもあからさまに怪しくて胡散(うさん)くさ過ぎたからである。
「百聞は一見にしかず」という言葉は彼らのためにあると思えるほど、彼らの振る舞いはダメダメであった。
つまり「世間知」や「常識」は「宇宙人と政府の密約」だの「人類滅亡の予言」という主張を受け入れたりはしなかったのである。
しかし経済に関して世間様は以下の発言に味方する。
「デフレは高すぎる日本の物価が正常値にむかっているだけだ」
「日本は国際経済の競争に勝ち上がっていかなくてはいけない」
「インフレは常に悪しき現象である」
「構造改革をしないと景気は良くならない」
「ハイパーインフレが起きて日本経済が破綻する」
「日本が不景気なのは政府や経営者にモラルがないせいだ」
どれもこれも常識的には正しく、経済学的には嘘が多い話である。
普通の科学の論争は今までの成果、つまり既存の学問体系を土台にして議論をすすめる。
しかしこの論争は今までの成果を否定する人たちを説得するところから始めないといけないのである。
大変である。
しかしそのおかげで経済学者たちは私たち素人にも分かるように議論をしてくれるようになった。
そして一般人でもこのプロレスが観戦できるようになったのである。
さて、それでは最後にこのプロレスの面子を紹介しよう。
優れたエンターティメントは外野席でのパフォーマンスを忘れないものだが、このプロレスもその点にぬかりはない。
彼らは論争とは関係ないところで様々なスキャンダルを起こし私たちを楽しませてくれる。
この場所では、今後そういう彼らの素晴らしいパフォーマンスも下世話に紹介していく予定である。
(2chや苺えびすで既に色々と紹介されているそうですが、私は未見なので知りません。興味と暇のある方はそちらを覗いてみるといいかもしれません。)
「リフレ(金融)派」
岩田規久男
(誠実な啓蒙家。私はこの人の入門書から経済学を学んだ)
ポール・クルーグマン
(天才経済学者。ユーモア精神にあふれる人物)
山形浩生
(サブカルチャーの有名人。バロウズやクルーグマンの本の訳者としても有名。インフレ派の普及に多大な貢献をしている)
「リフレ(財政)派」
植草一秀
(別名ミラーマン。痴漢事件で全てを失う。しかし学説と人格は関係がないのである)
「構造改革(不良債権)派」
木村剛
(金融界の超有名人。政府や経営者のモラルの欠如を厳しく糾弾する正義の人。国が立ち上げた不良債権対策チームのメンバーでもあった)
宮崎義一
(「銀行の貸し渋り」説を最初に指摘した人物)
金子勝
(日本資本主義の欠陥を厳しく糾弾する正義の人)
「構造改革(良いデフレ、構造改革)派」
野口悠紀雄
(日本型資本主義の研究で有名。「超」整理法や「超」勉強法などのベストセラー本の著者でもある)
榊原英資
(別名ミスター円。10万円金貨発行で有名な人物。市場原理批判を行う)
長谷川慶太郎
(元新聞記者、元証券アナリスト。デフレに大賛成している)
中谷厳
(経済学の良い教科書を書いている名のある経済学者)
大前研一
(テレビでおなじみの人気者。サラリーマンを応援し、国際経済競争に生き残る道を模索している)
「経済学限界説」
西部邁
(保守系の論客)
松原隆一郎
(消費不況を唱える)
(参考文献「エコノミストミシュラン」)
さて、先日私は不景気の原因をめぐる「構造派」と「金融派」の議論の存在を示した。
そしてもし私が彼らの議論を紹介するとしたら、互いの仮説を並べて比較、検討するという手順をふむことになるはずである。
しかしこの議論は、そんなおとなしい紹介で済むものではなくなっている。
そしてこの議論が単なる学問上の論争だったならば、このケンカがこれほど面白くなることもなかっただろう。
不幸なことに、この議論は極めて娯楽性の高いプロレスになってしまったのである。
なぜそんなことになってしまったのか?理由は2つある。
1つはこの議論が「善と悪の戦い」になってしまったからである。
学説と人格は関係がない。というのは自明なことである。
善良な人も間違った仮説を唱えるし、嫌な野郎でも素晴らしい業績をあげたりする。
しかし彼らは、特に「構造派」の人たちはそうは思わなかったようだ。
自分と異なる学説を唱えている人間は、無責任な議論で日本を混乱におとしいれている悪人である。
無知無能な悪人どもは徹底的に罵倒されてしかるべし!
こうなると議論は人格攻撃の嵐に変化する。
モラルがない。謙虚さが足りない。思慮が浅い。卑怯だ。こそくだ。恥知らずだ。
議論の根底にあるものが「理性」ではなく「正義感」になったとき、論敵は「話し合う相手」から「殲滅(せんめつ)すべき相手」に置き換わる。
こうなると議論は坂道を転げ落ちるように楽しくなる。
もう1つは素人や外野がたくさん議論に参加してきたことにある。
科学の議論において、よく分かっていない人間や科学を否定する人間が来れば混乱するのは当然のことである。
たとえば西洋では進化論をめぐり、進化論を知りもしないのに自分の学説に取り入れたり、創造主義をとなえて裁判を起こしたりする人が大勢いる。
その一方でまともな議論、「自然淘汰説」VS「中立進化説」の存在感が薄くなったりしてしまうのである。
この議論も同じで、不況や政治という注目度の高いテーマを持つために一家言ある人たちが次々と議論に参加してくる。
その中には経済学を知らない人や、それ以前に経済学を否定する人が多く混じっている。
しかも始末の悪いことに、経済に関しては「世間知」や「常識」はオカルトの味方をしてしまう傾向があるのだ。
世間では、よく啓蒙主義者とオカルティストが議論を交わしたりしている。
たけしのTVタックルや「と学会」のオカルト批判(愛好?)が有名だ。
そしてその議論において大半の人は啓蒙主義者の味方をした。
それは啓蒙主義者の意見に説得されたからというよりは、オカルティストたちがあまりにもあからさまに怪しくて胡散(うさん)くさ過ぎたからである。
「百聞は一見にしかず」という言葉は彼らのためにあると思えるほど、彼らの振る舞いはダメダメであった。
つまり「世間知」や「常識」は「宇宙人と政府の密約」だの「人類滅亡の予言」という主張を受け入れたりはしなかったのである。
しかし経済に関して世間様は以下の発言に味方する。
「デフレは高すぎる日本の物価が正常値にむかっているだけだ」
「日本は国際経済の競争に勝ち上がっていかなくてはいけない」
「インフレは常に悪しき現象である」
「構造改革をしないと景気は良くならない」
「ハイパーインフレが起きて日本経済が破綻する」
「日本が不景気なのは政府や経営者にモラルがないせいだ」
どれもこれも常識的には正しく、経済学的には嘘が多い話である。
普通の科学の論争は今までの成果、つまり既存の学問体系を土台にして議論をすすめる。
しかしこの論争は今までの成果を否定する人たちを説得するところから始めないといけないのである。
大変である。
しかしそのおかげで経済学者たちは私たち素人にも分かるように議論をしてくれるようになった。
そして一般人でもこのプロレスが観戦できるようになったのである。
さて、それでは最後にこのプロレスの面子を紹介しよう。
優れたエンターティメントは外野席でのパフォーマンスを忘れないものだが、このプロレスもその点にぬかりはない。
彼らは論争とは関係ないところで様々なスキャンダルを起こし私たちを楽しませてくれる。
この場所では、今後そういう彼らの素晴らしいパフォーマンスも下世話に紹介していく予定である。
(2chや苺えびすで既に色々と紹介されているそうですが、私は未見なので知りません。興味と暇のある方はそちらを覗いてみるといいかもしれません。)
「リフレ(金融)派」
岩田規久男
(誠実な啓蒙家。私はこの人の入門書から経済学を学んだ)
ポール・クルーグマン
(天才経済学者。ユーモア精神にあふれる人物)
山形浩生
(サブカルチャーの有名人。バロウズやクルーグマンの本の訳者としても有名。インフレ派の普及に多大な貢献をしている)
「リフレ(財政)派」
植草一秀
(別名ミラーマン。痴漢事件で全てを失う。しかし学説と人格は関係がないのである)
「構造改革(不良債権)派」
木村剛
(金融界の超有名人。政府や経営者のモラルの欠如を厳しく糾弾する正義の人。国が立ち上げた不良債権対策チームのメンバーでもあった)
宮崎義一
(「銀行の貸し渋り」説を最初に指摘した人物)
金子勝
(日本資本主義の欠陥を厳しく糾弾する正義の人)
「構造改革(良いデフレ、構造改革)派」
野口悠紀雄
(日本型資本主義の研究で有名。「超」整理法や「超」勉強法などのベストセラー本の著者でもある)
榊原英資
(別名ミスター円。10万円金貨発行で有名な人物。市場原理批判を行う)
長谷川慶太郎
(元新聞記者、元証券アナリスト。デフレに大賛成している)
中谷厳
(経済学の良い教科書を書いている名のある経済学者)
大前研一
(テレビでおなじみの人気者。サラリーマンを応援し、国際経済競争に生き残る道を模索している)
「経済学限界説」
西部邁
(保守系の論客)
松原隆一郎
(消費不況を唱える)
(参考文献「エコノミストミシュラン」)