玄文講

日記

日本の相撲は世界一ィィィ

2005-01-14 10:59:01 | バカな話
私の義兄さんはアメリカ人で、彼に相撲を見に行かないかと誘われた。
一年ぶりに会う義兄さんの誘いを断れるわけもなく、私は行くことにした。

しかし私は相撲が嫌いである。

なぜか?

私は相撲にも当然、八百長はあると思っている。国技と言っても、やっていることはプロレスと同じである。
しかして断じてそれは私の相撲嫌いの理由ではない。

むしろ八百長があるのは当然である。見ている方としては八百長をしてもらわないと困るのである。
八百長のない格闘技の試合の何とつまらないことか!
日本最強のプロレスラーであった故・ジャイアント馬場氏はこう言っていた。

「皆が格闘技、格闘技と叫んでいるので、私は「プロレス」をさせていただきます」       

ああ、素晴らしい。やはり彼は偉大だった。

八百長と言えば聞こえは悪いが、それは人々の注目を集め、彼らの期待に必ず応えてみせるというプロの技術なのである。
八百長の上手い選手、それはつまり人気があり期待を裏切らない選手ということでもあるのだ。
私たちは、そういう選手のことをスターと呼ぶ。


力道山という朝鮮出身の名選手がいる。ケチでわがままでかんしゃく持ちで支那(と日本)が大嫌いだった彼だが、彼はスター選手でもあった。

1954年、彼に元相棒の木村政彦選手が「お前は八百長だ」と言って真剣勝負を挑んだことがあった。
そして力道山はそんな木村選手を空手チョップで打ちのめして見事KO勝ちしたのである。「八百長」が「真剣勝負」に勝利したのだ。
これが世に言う「昭和巌流島の決闘」である。

しょせん格闘家ではスターには勝てなかったのである。

(もっともこういう話もありますが、、、)


相撲嫌いの人の中には「相撲はデブが変な格好でペチペチとぶつかりあうだけのスポーツだ」と言う人がいる。
彼らは相撲取りがどれだけ強いか知らないのである。

あの体型は筋肉だけの身体よりはるかに高い持久力を持つ。そして意外と素早い。彼らはただのデブではない。きたえた筋肉のまわりに脂肪という鎧をまとった兵士なのである。
なおかつ相撲は柔道と空手の延長にある格闘技でもある。
柔道にある技は全て相撲の中にもある。そしてあの体重を乗せた頭突き、平手、体当たり、戦いに必要なことは全て相撲の中に入っている。

優れた持久力、高い機動性、相手の力を受け流す柔術、そして恐るべき力積で打ち出される攻撃力。
絶対に戦いたくない人種である。

(でもあけぼの氏は秒殺されましたけどね、、、)

このように相撲を賛美しておいて、それでも私は相撲が嫌いである。
なぜなら私はスポーツ全てが嫌いだからである。

スポーツは公正である。
相手が素手ならば、こちらも素手。相手が足しか使えないならば、こちらも足しか使えない。そして相手が一人ならばこちらも一人で戦い、相手が11人ならばこちらも11人で戦わないといけない。
だからスポーツは嫌いである。

私はケンカでは中学生にも負けるほど弱く、運動神経が悪いので「公正」なスポーツが嫌いなのである。
相手が素手ならば、こちらはナイフ。
相手がナイフならば、こちらは山刀。
相手が山刀ならば、こちらは連射式クロスボウを使う。

相手が一人ならば、こちらは三人。
相手が三人ならば、こちらは十二人だ。

敵より常に有利な立場で戦うのが私は好きなのだ。それに卑怯な手にだって、それなりの手間と暇がかかるのである。訓練だって必要だ。
こちらだって楽に勝っているわけではないのである。
それなのに「公正」を強制されるスポーツが私は大嫌いなのである。