ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

死んだ後の話

2018-11-12 06:54:40 | 思うこと
自分が死んでしまった後どうなるのか、ということは大概の人が考えることだと思う。頭の良い人もいっぱい考えてきたはずなのにいまいちこれっていう決め手がない(表現が軽率ですな)宗教の一番大事な部分もここにあって多くの人が死後の世界をあれやこれやと思考し模索し続けてきた。天国があり、地獄があり、それらにも様々な階級やらがありそこへ至る道のりも様々だったりする。
死んですぐはまだよく自覚がなくて地上を彷徨うとか、未練があるとそこに霊として居ついてしまうとかしまいには怨霊となって祟ったりする。

そういうものを描いた宗教本、小説、漫画、演劇、映画、歌やお笑いまで数えきれないほどの死後の世界のスタイルがある。それらからどれを選べばいいのか、それとも真実の死後の世界は別にあるのか、自分にとって都合の良い死後を選択するか、それとも恐ろしい地獄へ行くことを考えて悩み慄くか。どちらにしても本当にそうなるという確証はどこにもない。
それならば、こうなって欲しいという気持ちの良い死後を説いたものをチョイスして安心して生きられるなら、それでよいではないかという考え方もあるだろう。

しかしそうやって史上多くの人々が考えあぐねたものを一掃してしまう考え方が「死んだらそこでおしまい」という一言である。
あのホーキング博士もそう言われたということらしいけどのでは、ホーキング博士がそういうのなら正しいのではと考えながらも本当にそうなのかなあ?と思ってしまうのは自分がやはり「死後」というものがあると思ってるからなのだろうと思う。

PCのコンセントを抜くように「」とすべてが終わってしまう。無。それで終わり。
それはそれで良いし、そうなるのならもうそうなってしまうのだからどーのこーのということもない。終わり。それだけ。だからこそ毎日を大切に生きよう!とか言ってもだらだら楽しむのももちろん大切なことだからそういうことなら思い切りだらだらしよう、と思うのか必死で毎日を駆け抜けるのか、それもまた人それぞれなわけで。
大体いつ死ぬのかなんて誰も判らないのだしね。

死んで天国に行ったら愛する人、愛する家族とまた会えるね、とかいう涙ものがあるけど、会いたくない人もいるだろうし、その理屈だと恋人・友達がいない人は天国に行ってもぼっちじゃない?

とかいう理屈はさておいて。

とにかく死後の世界、まずは大まかに分けると二つの道になる。
死後の世界があるか?➙ある
          ➘ない

ないと答えた方はここで終わり。ないのだからそれ以上考える必要なし。

あると答えた方はさらに様々な道を考え続けねばならない。
天国か地獄にいくのか。宇宙に飛んで火の鳥の一部になるのか。生まれ変わって誰かになるのか、人間じゃない動物か植物もしくは鉱物、風になりたいのか。
星になるってのもある。惑星なのか、恒星なのか、流れ星なのか。
可愛いあの子のパンツになるのか。

多いのは天国か地獄みたいなある場所に行く派と転生輪廻派。
天国・地獄派はそこがどういうとこなのか、何故そこへ行くかをかんがえなければならない。
転生輪廻派はどういうものに生まれ変わるのか、どうしてそれに生まれ変わるのか、法則はあるのか。適当っていう人はあまりいない気がする。
天国地獄というより異世界みたいなのも面白いかもしれない。冒険をしてお宝をゲットしたらより良い天国へ行けるチケットを手にするみたいな。

じゃあお前はどう考えてるんだ?と問われたらうーむそれは判らない。判らないけど、どうせ判らないし死んでみたら判る、というだけだし、そういうことを考えてる時間が無駄、という人なら考えなければよいし、どうせ考えるなら自分にとって楽しいほうを考えた方がいいよね、とは思う。
そんなことを言ったら悪い奴の示しにならない、かもしれないけどここでは自分だけの死後の世界の話なので続けさせてもらう。
自由に生きることのなかった人生だったので(あちこち行けなかったくらいの意味)死後は色んな所へ飛んで行ってみたい。危ない場所でも死んでるからもう死なないし?旅費もいらないし?疲れるのかどうかわからないけど、疲れないといいなあ。
宇宙へも行けるなら行ってみたいし。あちこち行くことでレベルアップして強くなっていくようなシステムだと楽しそうだ。誰かを助けたりするとよりポイントアップとかいうメリットもあるといいな。
末は宇宙自体を創るような気宇壮大な力を持てるようになるとか?作りこみが大変そうだ。
ある程度作ったら自分たちで動き出すのを見て楽しめるんだろうけど。

とかね。

死んだ後どうなるか。
死んでみないと判らない。

物凄く怖くて(マジで怖い)(ぶるぶる)
物凄く楽しみでもある。