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学ぶ沖縄戦11・10代の男女学生2000人が動員、戦闘や砲弾が飛び交う中の医療作業で半数が犠牲/少数派

2022年06月20日 | 戦争を繰り返すな
少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
Okinawamanabu 毎日新聞「学ぶ沖縄戦」1945年 第11回 
10代の男女学生2000人が動員、戦闘や砲弾が飛び交う中の医療作業で半数が犠牲
沖縄戦での日本軍の組織的戦闘の終結から6月23日で77年。
なぜ沖縄が戦場となり、多くの悲劇が生まれたのかを考える。

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沖縄戦に動員されたとみられる14歳の少年兵(左)=1945年7月撮影(沖縄県公文書館提供)

Q.77年前の沖縄戦では10代の学生たちも戦場に駆り出されたと聞いたけれど?
A.沖縄戦では14歳以上の男子学生約1500人と15歳以上の女子学生約500人が学徒隊として日本軍に動員されました。14~16歳の男子学生の動員は法的な手続きに沿ったものではなかったと指摘されます。こうした学校単位の動員とは別に、遊撃隊や義勇隊などとして戦場に動員された少年兵もいました。男子学生は「師範鉄血勤皇隊」や「一中通信隊」などと呼ばれ、日本軍の部隊に分かれて配属されました。軍の弾薬や食糧を運んだり、壕(ごう)を掘ったり、破壊された橋を修理したりしました。米軍との戦闘や陣地への斬り込みに参加させられた学生もいました。

女子学生は野戦病院となった壕で負傷兵の世話や手術の手伝いにあたりました。砲弾が飛び交う壕の外で食事を運んだり、遺体を埋葬したりする危険な作業もありました。「ひめゆり学徒隊」などが知られています。日本軍とともに沖縄本島南部に撤退した後に突然、解散を命令された学徒隊も多く、米軍が掃討戦を展開する戦場に放り出され、命を落としました。学徒隊で亡くなった学生は約1000人に上ります。

2021年、毎日新聞が同タイトルで10回の連載を掲載したものです。
戦後77年など時間的な表現は、一部変えております。


■復帰50年(沖縄の課題)毎日新聞
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投稿者からのひと言/写真は大柄の米兵との比較なので、捕虜になった少年兵と言えども14歳には見えない。あどけない少年に、米兵は笑っているようにも見える。そもそも戦前の日本人(子供や年少者)は食べるものがなく、総じて背丈が驚くほど小さかったと聞く。今で言えば中学2年生(身体は小学生並みか)に当たり、気の毒にも戦争に駆り出され幼くして大勢が亡くなった。南方へ出兵しゼロ戦攻撃したのは、16歳・17歳もいた。操縦訓練不足から、米航空部隊の餌食(えじき)にされた。学生は後方の部品製造などに関わらるならともかく、前線へ送り込まれるようだったら戦争の行方はもう終わりだ。彼等は役目を果たせず、無駄に命を落としただけだった。別の機会に書こうと思っているが、太平洋戦争で日本の兵隊2百数十万人が亡くなった。言い方に差し障りがあるが、半数以上が「名誉の戦死」ではなかった。死因は、飢餓(餓死)と病死だった。南方戦線、沖縄戦も、昭和天皇と旧日本軍が起こした無謀な戦争、大勢の兵隊が死ぬことをいとわない戦争だったと言える。

Sankoub
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Akahatatop

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