食品のカラクリと暮らしの裏側

食品の安全・安心が総崩れ、また政治・社会の矛盾や理不尽さも増大
暮らしの裏側の酷さやまやかし、危険性・不健全さに迫る!

知床観光船沈没事故8・検証◇加藤登紀子さん「知床旅情」鎮魂の思いを込めて歌い続ける/少数派

2022年12月14日 | リニア・交通網
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/交通網
知床観光船沈没事故8・検証◇加藤登紀子さん「知床旅情」鎮魂の思いを込めて歌い続ける

Shiretoko10
知床半島にある「知床旅情」の歌碑

■加藤氏・事故直後は「つらくて知床旅情が歌えなくなった」と心を痛める
毎日新聞を活用しています/北海道・知床半島沖で4月23日に観光船「KAZUⅠ(カズワン)」が沈没した事故に、今も心を痛める人たちがいる。「知床旅情」をヒットさせた歌手、加藤登紀子さん(78)もその一人。事故直後は、「つらくて知床旅情を歌えなくなった」という。しかし、作詞・作曲を手がけた名優、森繁久弥さん(1913~2009年)も過去に起きた事故への悲しみを作品で表現したことを思い、歌い続けようと決めた。鎮魂の思いを込めて。「つらい週末になってしまいました。水温は2度か3度、ほんとにどんなに冷たかったでしょう。知床の春は、強い風が吹くことが言われています」。土曜日の事故発生から2日後、加藤さんはブログに悲痛な思いをつづった。さらに事故による観光業への打撃を心配する思いを伝え、「知床の皆さん、頑張ってください。遠くから見守っています」と呼びかけた。

加藤さんは70年に知床旅情を発表し、レコードは約140万枚の大ヒットを記録した。翌71年に初めて現地を訪れてから、ずっと地元の人たちと交流を続けている。05年に知床半島が世界自然遺産に登録された際は、大きな喜びを感じたという。それだけに「今回の事故は、忠告を無視した無謀な出航が原因の一つとされ、たくさんの方々が犠牲になってしまいました。厳しい自然と向き合ってきた知床の人たちは船を出すことに慎重だと感じていただけに、残念でなりません」と話す。

Shiretoko13

■知床旅情の曲の背景には羅臼の大きな海難事故、理不尽な悲劇に森繁さんは声を上げた
その知床旅情が生まれた背景にも、ある海難事故があったという。知床旅情の原曲「さらばラウスよ」は、「オホーツクの舟歌」というタイトルで映画「地の涯(はて)に生きるもの」(60年公開)の主題歌として使われた[ 下記・ユーチューブ]。映画は、作家の戸川幸夫さん(1912~2004年)の小説「オホーツク老人」が原作で、森繁さんの演じる老人が海難事故で犠牲になった息子を思い、泣き叫ぶシーンが盛り込まれた。このシーンのモデルとなったのは、59年4月に知床半島東側の羅臼(らうす)沖で悪天候の中、15隻の漁船が沈没・転覆し、89人が死亡した事故だった。事故を知った森繁さんは映画の製作を決意し、撮影ロケ地となった羅臼村(現羅臼町)を離れる際に「さらばラウスよ」を作り、現地で出会った人たちにささげたという。

加藤さんは、森繁さんから聞いた話を今でも覚えている。「『風が吹いた時は国後に逃げろ』と昔から言われていたのに、当時は(冷戦のさなかの)『鉄のカーテン』時代。国後に逃げてソ連に拿捕(だほ)されることを恐れた船が、羅臼港に戻ろうとして事故に遭ってしまいました」。この理不尽な悲劇に、森繁さんは声を上げたのです。カズワンの事故から2カ月(※補足下記)になろうとする今も心は痛むが、森繁さんの思いを共有して歌い続けていこうと考えている。加藤さんは力を込めて言った。「事故で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。事故の解明はもちろん大切ですが、事故の影響で打撃を受けている知床の漁業や観光が穏やかに回復することを願いつつ、鎮魂の思いを込めて、これからも知床旅情を歌っていきます」

投稿者の文章/半世紀以上、歌い込んだ知床旅情が歌えなくなる不安、事故後に歌うことの申し訳なさがあったと思う。今回の事故が、歌にまで影響しているのですね。同じことが阪神淡路大震災後の、前川清氏の「そして神戸」。氏はしばらく控えていたが、被災者のほうからぜひ歌ってくれとリクエストが多数寄せられ、それからは「応援歌」に変わった。加藤さんも、「知床応援歌」として歌って欲しい。森繫久彌作詞作曲・知床旅情の原曲「さらばラウスよ」は知っていたが、その背景にあったのが海難事故だことを初めて伺った。森繫氏は事故の痛ましさから、曲を書いた。知床旅情とオホーツクの舟歌とは曲調はほぼいっしょでも、詞はまるで違う。知床旅情は羅臼、オホーツクの舟歌は国後を主題にしている。どちらも半世紀前の詩ですが、後者は凍て付く北の大地を取り囲む海の厳しさを歌っている。昨今は温暖化で北海道も季節が緩みがちでも、春とは言え知床の海はまだまだ危険だ。繰り返すが、北海道の海を甘く見た人間による惨事だ。今後も国などの事故検証によって、責任者及び過去の国交省の怠慢が新たに見出せた場合や画期的な対策が講じられた際は投稿する。
補足/記事は6月に掲載されたが、投稿の順番から今回の投稿となった。

 オホーツクの舟歌 | 倍賞千恵子  ※曲前・曲後の音量にご注意下さい。(突如、削除される場合があります)

投稿者余談/事故の重大性は認識しつつも、知床の曲にも注目した。知床旅情について若干興覚めながら、ウィキペディアからの転載。『この曲については、高木東六から出だしが「早春賦」に類似していると指摘された。また歌詞にある「白夜(びゃくや)」についても、北海道では白夜は見られないことや、正しい読みは「はくや」であると指摘された。「白夜」についても、「知床旅情」以後全国では「びゃくや」の読みが一般化したとされ、NHKでも「びゃくや」を標準読みにしている。また、森繁は2番の歌詞にある「ピリカ」をアイヌメノコ=若い女性の意味のつもりで歌っていたが、羅臼地方で「ホッケの幼魚」の意味で使われることを知り、気にかかっていたという。』

Sankoub
前号/知床観光船沈没事故7・検証◇船長や責任者が緊急避難港の存在を知っていれば全員助かったかも

Ntopkeiji

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 江戸しぐさ第8話・横切りし... | トップ | 偽装魚の実態シリーズ/アプ... »
最新の画像もっと見る

リニア・交通網」カテゴリの最新記事