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カザフスタンのこと

2013-08-04 16:42:26 | 日記
こんにちは。この2、3日、朝の間はけっこう雲が出ていて陽射しが弱いせいか、
少しは気持ちが違います。
でも、やはり不安定なのか、急に大粒の雨が、バラバラッと落ちてきたりします。
昨日の早朝は雷もなってましたね。

さて、今日はまず、「カザフスタン共和国」について、
基本的な事を皆さんにお伝えしようと思います。
ぜひお付き合いください。


「カザフスタン共和国」

カザフスタン共和国の場所ですが、私もよくわかっていませんでした。
今回のパネル展示でようやくしっかり把握した次第です(汗・・・)
非常に大雑把な言い方ですが、数字の「8」を横向きにして、右側の「○」がモンゴル共和国、
左の「○」がカザフスタン。
カザフスタンの西はカスピ海。南は天山山脈(カザフスタンと天山山脈の間にいくつかの国が
あります)。北はロシア共和国。といった感じです。南東が中国に接しています。

面積は日本の約9倍。国土の多くががステップ気候で、
乾燥していて草原が多い国土です。
首都はアスタナ。
都市は近代化され、特にアルマトイという都市は中央アジアの中で最大の都市です。
しかし、都市とそれ以外の地域との差が大きいようです。


「セミパラチンスク核実験場」

「セミパラチンスク」は都市の名前で、今は「セメイ」と名前が変わっています。
そのセメイから西に70~100キロほどの草原地帯に旧ソ連の「セミパラチンスク
核実験場」がありました。現地では「ポリゴン」と呼ばれています。
面積1.8万k㎡。(ほぼ四国の面積と同じ)大変広いものです。

そこで、1949年~1991年に閉鎖されるまでの42年間に450回もの核実験が
行われました。
これは、広島に投下された原子爆弾の1,100発分に相当すると言われています。
閉鎖されてから、すでに22年が過ぎ、実験開始時からですと64年という長い時間が
経過しましたが、いまだに残留放射能の被害が続いています。

核実験場のあった地域は、もともと遊牧民族の人たちが、たくさんの動物を連れて
生活している地域です。
柵や塀で囲われているわけではありませんから、旧ソ連時代はまったく情報もないまま
危険性もわからず、いつの間にか放射能で汚染された地域に入り込む人々が多くいたと
考えられます。
まず、空気中の放射能で被害にあい、次に、汚染された草を食べた牛や羊の肉や乳を
食べたり飲んだりすることで、体内被曝まで加わり、
子ども、孫へと放射能の影響が引き継がれ、世代を越えて深刻な被害が続いています。

しかし、実験が行われていた当時の資料はほとんどなく、さまざまな障がいを持って
子どもたちが生まれてきても、それが放射能の影響だ、と証明する資料がなく、
また有効な治療法もない(資料がないため研究がなかなか進まない)状態です。


「核」のない社会

このカザフスタンの現状を見ても、言い古された言葉かもしれませんが、
本当に「平和」の大切さが思われます。

かつての米ソの対立がなければ、核爆弾の開発競争もしなくてすんだかもしれません。
そうしたら、カザフスタンに、いえ他の地域にも「核実験場」がつくられることも
なかったかもしれません。
その思いは、つまるところ、「ヒロシマ」の思いと根っこは同じ、です。


続きは、また後日。


      お知らせ

8月1日の対話集会も含み、カザフスタンから来てくれた2人を取材したコーナーが、
8月6日(火)夕方のTSS、「スーパーニュース」で取り上げられます。
番組の中のどこで放送されるのか、よくわからないのですが、長くて5分くらいだそうです。
明後日です!ぜひ、ご覧ください。



今日のきなことげんげん。

庭を観察中のげんげん。真剣!


きなこも参加。(あんまり気が入ってませんな)


今日はこのへんで。
(☆げんげんが見詰めていたのは、桜にとまっていた蝶でした)

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