こんにちは。今日は、広島市民にとって特別な日ですね。
昨日、いろいろしなければならないことがあり、中区の中心部に行ってきました。
自分でも気づいていませんでしたが、8/6の直前に市内の中心部に出たのは、
久しぶりでした。
これほどたくさんの(少なくとも)広島市以外からの来訪者と思われる人々が
街を歩いているのを目にして、驚きました。
先生らしき大人に引率された中学生、小学生たち。
海外から来たらしい、大きなリュックを背負った人々。
あちらにも、こちらにも・・・。
本当に有り難い、という気持ちと同時に、
この何年か自分が能動的に「原爆」に関わっていないことを
思い出さされました。
私の両親は岡山県出身で、広島市(県内も)には親戚は住んでいません。
たまたま父親の仕事の関係で広島市に住むことが長かった、というのが本当です。
でも、小学校6年間を広島市で過ごしたので、
平和教育も受けましたし、社会見学で原爆資料館にも行きました。
「原爆は二度と使ってはいけないもの」「核はこわいもの」という意識を持って育つことができたのは、
小学生時代に広島市に住んでいたからです。
本当に良かった、と思います。
親の転勤も終わり、19歳から現在まで、広島市に住んでいます。
子を持つ親となり、平和活動に関わった時期もありました。
自分なりに頑張ってきたつもりです。
でも、いつの頃からか、そんな自分を「ウソっぽい」と感じ始めていました。
小さい頃は、素直にさまざまなことを受け止めて、「原爆は二度と使ってはいけない。
平和であることは幸せだ」と心から思っていました。
しかし、子どもを育てながら、気付いたのです。
私には、自分の子どもに「原爆」を伝える言葉がない、ということに。
この町に自分の根っこはない。じゃあ、ほかにあるのか、と聞かれれば、それもない。
(ちょっと違うかもしれませんが、転勤族の私には、「幼馴じみ」という存在がありません)
中が、がらんどうのボールのまわりに、少しずつ塗り重ねてきた「原爆」という言葉。
それがどんどん膨らんで、大きなボールなのに、
振るととても軽くて、中でカラカラと軽い音が響いているような、
そんな心もとない、中身のない見せ掛けだけのボール。
私の「原爆」は、なんて軽くて中身のないものなんだろう。
そう感じてから、なかなか積極的に関わりを持てなくなりました。
変かもしれませんが、自分には「資格」がないような気がするのです。
もちろん、募金や、写真展などのイベントに行ったり、署名などは変わらず続けています。
人に話せば、「そんなの関係ないよ」と、笑われると思います。
でも、ダメなんです。
熱心に関わる人をそばにするたびに、親が、祖父母が被爆者なのよ、と聞くたびに、
何かことを一つ考えるたびに、
「身内に被爆した人がいる」人と明らかに思考の出発点が違うのです。
当然と言えば、当然ですが、年を取るにつれ、その思いは大きくなっていきました。
時には不用意な発言をしてしまい、「ああ、私は何もわかっていない」と、いまだに落ち込んだりします。
今回、古い知人のお蔭で、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトの活動に改めて触れ、
ユエで、「草の根交流の15年」という展示をしてもらえたことは、
私にとって本当に幸いなことでした。
8月1日にユエで行われた、「対話集会」も、私にとって、大変意義深いものでした。
ようやく「原爆」を自分の中で、捉えなおすことができそうです。
広島に住むものとして、少なくとも、私は、(私は、です)
原爆は、「踏まえなければいけない」けれど、「捉われてはいけない」と思えるようになりました。
原爆も、核実験も、原子力発電も、それこそ「根っこ」は同じ。
国は違えど、地域は違えども。
今回、ようやくここまで自分の思いを整理することができました。
まだまだ落ち込むことは何回もあるでしょうが、空っぽのボールの中に少しずつ
自分なりの思いを詰めていけそうです。
それだけでも、本当に私にとって意義深い2週間となりました。
感謝です。
次は、8月1日の対話集会の若者たちの意見の中から、お伝えします。
お知らせ
8月1日の対話集会も含み、カザフスタンから来てくれた2人を取材したコーナーが、
8月6日(火)、本日夕方のTSS、「スーパーニュース」で取り上げられます。
番組の中のどこで放送されるのか、よくわからないのですが、長くて5分くらいだそうです。
今日です!ぜひ、ご覧ください。
お盆休みについて
8月12日(月)~19日(月)までの8日間をお盆休みとさせていただきます。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
今日のきなことげんげん。
玄関に特大のぼた餅1こ
猫に変身!
りら~っくす~。
文句あるか、のドヤ顔。
いえいえ、ありませんです。
では、今日はこのへんで。6時からのスーパーニュースをよろしくです!
昨日、いろいろしなければならないことがあり、中区の中心部に行ってきました。
自分でも気づいていませんでしたが、8/6の直前に市内の中心部に出たのは、
久しぶりでした。
これほどたくさんの(少なくとも)広島市以外からの来訪者と思われる人々が
街を歩いているのを目にして、驚きました。
先生らしき大人に引率された中学生、小学生たち。
海外から来たらしい、大きなリュックを背負った人々。
あちらにも、こちらにも・・・。
本当に有り難い、という気持ちと同時に、
この何年か自分が能動的に「原爆」に関わっていないことを
思い出さされました。
私の両親は岡山県出身で、広島市(県内も)には親戚は住んでいません。
たまたま父親の仕事の関係で広島市に住むことが長かった、というのが本当です。
でも、小学校6年間を広島市で過ごしたので、
平和教育も受けましたし、社会見学で原爆資料館にも行きました。
「原爆は二度と使ってはいけないもの」「核はこわいもの」という意識を持って育つことができたのは、
小学生時代に広島市に住んでいたからです。
本当に良かった、と思います。
親の転勤も終わり、19歳から現在まで、広島市に住んでいます。
子を持つ親となり、平和活動に関わった時期もありました。
自分なりに頑張ってきたつもりです。
でも、いつの頃からか、そんな自分を「ウソっぽい」と感じ始めていました。
小さい頃は、素直にさまざまなことを受け止めて、「原爆は二度と使ってはいけない。
平和であることは幸せだ」と心から思っていました。
しかし、子どもを育てながら、気付いたのです。
私には、自分の子どもに「原爆」を伝える言葉がない、ということに。
この町に自分の根っこはない。じゃあ、ほかにあるのか、と聞かれれば、それもない。
(ちょっと違うかもしれませんが、転勤族の私には、「幼馴じみ」という存在がありません)
中が、がらんどうのボールのまわりに、少しずつ塗り重ねてきた「原爆」という言葉。
それがどんどん膨らんで、大きなボールなのに、
振るととても軽くて、中でカラカラと軽い音が響いているような、
そんな心もとない、中身のない見せ掛けだけのボール。
私の「原爆」は、なんて軽くて中身のないものなんだろう。
そう感じてから、なかなか積極的に関わりを持てなくなりました。
変かもしれませんが、自分には「資格」がないような気がするのです。
もちろん、募金や、写真展などのイベントに行ったり、署名などは変わらず続けています。
人に話せば、「そんなの関係ないよ」と、笑われると思います。
でも、ダメなんです。
熱心に関わる人をそばにするたびに、親が、祖父母が被爆者なのよ、と聞くたびに、
何かことを一つ考えるたびに、
「身内に被爆した人がいる」人と明らかに思考の出発点が違うのです。
当然と言えば、当然ですが、年を取るにつれ、その思いは大きくなっていきました。
時には不用意な発言をしてしまい、「ああ、私は何もわかっていない」と、いまだに落ち込んだりします。
今回、古い知人のお蔭で、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトの活動に改めて触れ、
ユエで、「草の根交流の15年」という展示をしてもらえたことは、
私にとって本当に幸いなことでした。
8月1日にユエで行われた、「対話集会」も、私にとって、大変意義深いものでした。
ようやく「原爆」を自分の中で、捉えなおすことができそうです。
広島に住むものとして、少なくとも、私は、(私は、です)
原爆は、「踏まえなければいけない」けれど、「捉われてはいけない」と思えるようになりました。
原爆も、核実験も、原子力発電も、それこそ「根っこ」は同じ。
国は違えど、地域は違えども。
今回、ようやくここまで自分の思いを整理することができました。
まだまだ落ち込むことは何回もあるでしょうが、空っぽのボールの中に少しずつ
自分なりの思いを詰めていけそうです。
それだけでも、本当に私にとって意義深い2週間となりました。
感謝です。
次は、8月1日の対話集会の若者たちの意見の中から、お伝えします。
お知らせ
8月1日の対話集会も含み、カザフスタンから来てくれた2人を取材したコーナーが、
8月6日(火)、本日夕方のTSS、「スーパーニュース」で取り上げられます。
番組の中のどこで放送されるのか、よくわからないのですが、長くて5分くらいだそうです。
今日です!ぜひ、ご覧ください。
お盆休みについて
8月12日(月)~19日(月)までの8日間をお盆休みとさせていただきます。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
今日のきなことげんげん。
玄関に特大のぼた餅1こ
猫に変身!
りら~っくす~。
文句あるか、のドヤ顔。
いえいえ、ありませんです。
では、今日はこのへんで。6時からのスーパーニュースをよろしくです!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます