ちょっと気になるコーヒータイム

風景とか建築とか、その他もろもろ・・
           Messages from Masaki Fukumoto

唐津市民に喝采を!

2006年10月27日 11時24分32秒 | 文化活動など
 先頃、唐津市民劇-「末廬の風神」が開催されました。
人間の尊厳と「誇り」を描いた、風神「冨田才治」の物語です。

 唐津市民劇の皆さんのエネルギーは凄い!役者さん方の素人でありながらも観客に訴える迫真の演技には、身震いするような感動すら覚えました。また、裏方で屋台骨を支える事務局の方々の献身的な活動にも、本当に心から拍手を送りたいと思います。

 地域の歴史と文化は、脚本演出を担当された西田先生の力を借りながらも、こうやって市民の手によって創られ、語り継がれていくんだな、というのが良く解りました。ですから逆に市民の力が無いと、その地域の歴史も文化も次第に消滅していくのだろうと思います。

 僕のほうは、裏方で時々しか参加出来なかったのですが、分け隔てのない気遣いの中で、何とか公演当日まで参加させて頂くことが出来ました。沢山のエネルギーと夢と感動を教えてもらいました。僕の中では一員として参加出来たことが「誇り」でもあります。皆さん本当に有り難うございました。

 昨日は日ハムが日本一になり、北海道の市民の方々は新庄選手と共に、チームを本当に「誇り」に思ったことだと思います。アナウンサーの方の「北の誇り」という言葉がいつまでも耳に残っています。

 もうじき宮日が始まります。唐津市民の「誇り」と、男意気が結集された祭りです。伊万里のトンテントンでの不幸な事故の後なので、曳山を引き回す迫力も魅力ですが、無事に終わることを心から願っています。

     mm

え~っ!松浦市が財政再建団体?

2006年10月14日 11時43分05秒 | 長崎県松浦市周辺のこと
長崎県松浦市のある職員の方のお話では、松浦市はこのままだとあと5年以内に「財政再建団体」に陥るそうです。
財政再建団体とは自治体の財政規模に対して赤字額が20%を越えたものを呼び、一般の会社で言うと「倒産」にあたります。
電源開発、九州電力の両巨大発電所や西日本魚市などの大型企業を抱え、近隣市町村の中でも極めて裕福な財政事情にあると言われながら「倒産」に至るとは、いったい市の財政担当者は今まで何をやっていたのでしょう?
市民に対する行政担当者としての責任は、どうやって取るのですか?
いくら行政担当能力が無いといっても、ここまで来れば松浦市はいい笑いモンではないですか。

これは桜門から見た、菅原道真公の神霊を祀る太宰府天満宮の本殿です。国立博物館に行った折り、息子や娘の受験の願掛けをしてきました。
菅原道真公には専門分野ではないし、迷惑な話かもしれませんが、ついでに市の建て直しもお願いしてくればよかった!!

               mm

三大建築家ですよ

2006年10月05日 11時51分52秒 | 建築的に
日本が誇る、唐津市出身の三大建築家展が開催されます。
曾根達蔵(1852~1937)
辰野金吾(1854~1919)
村野藤吾(1891~1984)
の3氏の作品展です。
期間はちょっと短いような10月25日(水)~31日(火)で、
場所は唐津市近代図書館美術ホール、
入場料は無料です。

僕は以外と金ちゃんのファンなのかも知れず、氏の設計である(監修だけ?実施設計は田中 実)この「旧唐津銀行本店」など、この時期の明治建築を見ると、何となくわくわくします。中でも僕が最も気に入っている建築は、京都国立博物館(設計:片山東熊)で、直接正面から見た時はなかなか感動的でした。
これらの明治建築は、装飾的で重厚な建物であるのにどことなく「優しさ」があり、現代の公共建築に多い「威圧感」と「冷たさ」をあまり感じません。

また今回の作品展は、増田彰久氏の写真で見れることも魅力的で、今から楽しみです。

         mm

変わりゆく街の風景-松浦市志佐町

2006年10月03日 15時32分25秒 | 長崎県松浦市周辺のこと
これは長崎県松浦市の、旧親和銀行松浦支店の解体工事風景です。鹿ノ爪橋から見た志佐町の風景ですが、これまで右側の赤い商工会館と向かい合って建っていた、白い銀行が取り壊されています。跡地がどうなるのか現在のところは判りませんが、この二つの建物の間を通って町中に入っていく、という慣れ親しんできた感覚は、もう感じることはありません。

「スクラップアンドビルド」と言うのは今はあまり流行らずに、古い建物を再利用して街の活性化に役立てていく、というのが考え方としては主流でしょうが、まあ、デザイン的には大した建物ではありませんでしたし、残して価値が出るような建物でもなく、公共事業ででもないと簡単に再利用出来る規模でもないことから、やむを得ない結論だったのかもしれません。

解体後に、そこにどういった風景が現れるのか興味もありますが、寂れゆく松浦の象徴とならないように、少なくとも以前よりも景観に配慮された跡地の利用を願いたいものです。

      mm