京都より車を飛ばし、備中松山城を目指す。
この城は、昭和初期に撮影されたこの城の写真の印象が強く残っていて、どうしても見たかった城である。
最近は「天空の城」ブームで但馬の「竹田城」と並び称されることも多いが、国内の山城ではこの城の標高が最も高い。
また、何と言っても天守が現存(大修理)しているのである。
シャトルバスの駐車場より奥の歩道から取り付く。
しばらく進むと通信手段のための「中太鼓丸」の石垣が見えてくる。(画像)
さらに進むと二の丸近くの「臥牛山」の急傾斜の岩山に聳える石垣が見えてくる。
そしてその岩山を巧みに利用した大手門付近の石垣がこれである。
往時の完全な姿を見てみたいものだ。
二の丸前の坂。
そして二の丸に辿り着く。
本丸から見た天守。
岩山の頂部に石垣を築いて天守が建っているのが良く判る。
これより天守内部。
10人も入れば窮屈な感じのする、こぢんまりとした「武者走り」。
姫路城などの巨大な武者走りと比較して欲しい。
籠城時に城主の食事の用意や暖を取ったとされる1層目の「囲炉裡」。
二層目。この天守は二層二階なので、すぐに豪快な小屋組が現れる。
そして以前見たことがある昭和初期に撮影された写真が飾ってあった。1600年代に築造されたままの姿である。
まさしく「兵どもが夢のあと」である。
裏手にある「二重櫓」。江戸期のもので現存しており、天守や土塀などと共に国の重要文化財に指定されている。
そして今回の旅のもう一つの目的地、「倉敷」である。
まず、「大原美術館」。
倉敷は二度目なのだが、以前来たときは時間が無くて入れなかったのである。
倉敷の実業家「大原孫三郎」により設立、開館された美術館で、詳細は省略するが、洋画、日本画、彫刻など、世界の名品と呼ばれる作品の、それも作品数の多さにも圧倒される。
援助を受けた洋画家、児島虎次郎が三度にわたり渡欧した時収集したものだが、さすがに一級品ばかりである。
別館前の広場には、「ロダン」や「イサム・ノグチ」、「ムーア」などの彫刻が惜しげもなく置かれている。
中国地方を旅する機会があれば、是非足を運んで欲しい。
そして倉敷と言えば「美観地区」である。
見慣れたと言えば、テレビの影響かも知れないが、雨の夜など今にも「辻斬り」がありそうな佇まいである。
美観地区は江戸期の建物から明治、大正期の和洋の建物が混在して独特な景観を創り上げており、大戦時空襲を受けなかったことでも保存状態がきわめて美しい。
名の通り、「倉」の敷地である。
大原美術館そばの喫茶店「エル・グレコ」、これも由来は省略するが、この「ツタ」は特筆ものであろう。
色々と収穫の多かった旅も終わり、明日は一路九州を目指し、帰路につく。
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撮影:Nikon p7000