ちょっと気になるコーヒータイム

風景とか建築とか、その他もろもろ・・
           Messages from Masaki Fukumoto

浜崎祇園山笠

2006年07月27日 13時56分27秒 | 佐賀県唐津市周辺のこと
「祇園山笠」と言えば、博多!ではなくて、浜崎の祇園山笠!
これはデジカメを忘れてしまって、ケータイで撮影した画像なのですが、実物は本当に素晴らしいのです。
 二日目は生憎の雨模様で心持ち人出も少なかったようで、誠に残念!
しかし、今年の梅雨はどうしようもないですね。とりあえず山笠出して頂いたので良しとしましょう。
写真は西組の「おおまぎり」のところです。山笠は他、東組、濱組とあり、それぞれ表山と裏山で様々な時代絵巻が描かれています。

詳しい内容は http://www.geocities.jp/hamasaki_gion/index.html にあります!
(HP管理者様、勝手に案内してすみません・・。)

ビールを飲みながら見る祇園山笠が最高です!

                mm

松浦党 ちょっと横道話

2006年07月26日 16時14分27秒 | 長崎県松浦市周辺のこと
 肥前地区を中心に中世に活躍した松浦党水軍は、一族により多くの山城を築いていました。
 これまで行ったことのある城址の中には、昔の武士の霊気が漂っているようなところもあります。

 18日にも書きましたが、実は先日、怖いという話を聞いていた唐津市北波多の「岸岳城」址に登ってきたのですが、ん~・・、なるほど何かはいそうですね。尾根筋の城址の部分にというよりも麓の杉林の中に・・・。
しかし、何と言ってもその最たるものは伊万里市山代町にある「山ン寺城」だと思います。僕は元来霊感が鈍く、あまりそういったことを感じることが無いのですが、はっきり言ってここには何かがいます!
最初は昼間に一人で1時間ほど見て廻ったのですが、神社から横に下りた小さい二つの池のある広場、ここから先の千人塚あたりには、何とも言えない霊気が漂っていました。二度目はさすがに一人で行く気になれず、知人と二人で。
そう言えば佐世保市吉井町の「直谷城」址も鬱蒼と茂った山の中の岩場の上にある典型的な山城ですが、不思議にここでは何も感じませんでした。

 これは松浦市今福町にある松浦党の太祖、源久が築城したと伝えられている「梶谷城」の大手門の址です。本丸石垣の他、二の丸址、東西の櫓台、天守台址など多くの遺構が残されています。ここは他の松浦党の山城と違って城址は爽やかに明るく、全くと言っていいほど霊気というようなものは何も感じません。

 今、行きたいと思っている松浦党の城址は、唐津市厳木町にある「獅子ヶ城」址です。ここは聳える岩山の上にある城址なのですが、多くの遺構と併せて周囲の断崖絶壁が見所でもあるようです。さてさてここには何がいるのやら・・。

松浦党 

2006年07月18日 14時43分25秒 | 長崎県松浦市周辺のこと
これは中世に、嵯峨源氏の流れをくむ渡辺党松浦氏の一統で、渡辺綱の曽孫にあたる松浦久(源久)を太祖とし、東シナ海から黄海、玄界灘とその勇名を馳せた、水軍松浦党の兜のモニュメントです。長崎県松浦市の、地元ではサンセットストリートと呼ぶほど夕陽が美しい、国道沿いの道路公園にあります。
松浦党の詳細は記述も多いので省きますが、上松浦と下松浦に大別され、下松浦では本流とされる今福松浦氏が梶谷城から相神浦へと本拠を移転させる間に、平戸松浦氏が勢力を伸ばし、戦国期をへて外様大名となりました。一方上松浦では源久の二男持が波多氏を名乗り、豊臣秀吉から没収されるまで岸岳城を中心として勢力を誇りました。
いずれにしても源久を党祖としてその嫡流は、松浦氏、波多氏、宇久氏、伊万里氏、佐志氏、有田氏、山代氏、峯氏など、最盛期には東は博多周辺から西は上五島あたりまでに「四十八党」が連合武士団として存在していたということです。

 松浦党の古城址では、梶谷城をはじめ松浦市を中心にあちこち見てますが、先日岸岳城址に登ってきました。さすがに上松浦で勢力を誇った波多氏の居城であっただけに、堅固な城構えのようでした。十分な時間がなかったので、近いうちにまた行ってみようと思っています。
 ただ、一人で行くのはなかなか気が進まないところもあり、中でも伊万里市山代町の山ン寺城址は、昼間でもなにかゾクゾクとするものがあります。こういった趣味?を持っている方々は、何故かひっそりとお一人で城跡を訪ねられる方が多いので、出来ればどなたか一緒に行きましょう。そうすれば古城址めぐりも楽しい?

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