武家屋敷通りに残る鍋島鹿島藩家老の「原邸」の「棟門」です。
この奥には荒廃が進む家屋が見えるのですが、中に入ることは出来ません。
この武家屋敷通りにはこうした何とも言えない歴史を感じる空気が漂っています。
少し進むともう一つやや小ぶりな棟門がありました。
何気なく見ていると三星の家紋が目にとまりました。
すぐ横の門に続く土塀の上の瓦にもやはり同じ家紋。
おぉ~!、これはまさしく「松浦家」の家紋ではないか、と思って棟門を見てみると、なんと「相浦~」という表札が掛かっている。
話が少し長くなりますが、「水軍松浦党」の党祖である松浦今福の松浦宗家は、そののち佐世保相浦を本拠として城を構えました。佐賀では松浦党は厳木の「獅子城」辺りまで勢力圏でしたが、戦国期に龍造寺氏にとって代わられ、その後に鍋島氏の支配下におかれます。
「相浦」と「三星の家紋」が揃って残っているということは、このお宅は恐らくではありますが「水軍松浦党」の末裔であろうと考えられます。
この「相浦」氏が松浦党の末裔であると考えると、戦国期を何とかして生き延び、そして佐世保相浦の松浦党の誇りを持って「相浦」の苗字を名乗り、現代まで続いてきたのであろうという、歴史ロマンを感じずにはいられません。
話は変わって、鹿島には「浜宿」という酒蔵通りがあります。
こういった数件もの醸造所や旅館が、勿論「修景」を施されながら残されています。
最後に昼食をとった「浜宿キッチン」の内部です。
鹿島市はこの他にも「赤門」など多くの見どころがあり、もう一度訪ねたい街です。
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撮影:スマホ