絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

明石

2006年09月02日 01時05分38秒 | 一絃琴
8月の2回目の稽古は、上の子の帰省と重なりお休みしました。
バタバタしているときには、なかなか集中できないので
お稽古に行っても、よく練習できないのです。

『明石』という曲に入りましたが、
とてもとても長いです。
5分以上あります。で、ずっと似たようなメロディです。
ところどころに合いの手(間奏)が入りますが
まあ、全編同じような感じ。。。
これは筝曲のアレンジでしたっけ?

前に弦が切れてから、なかなかいい音にならない…って
全然じっくり練習していません。というかできていません。
ハワイ頭もなおらないし。。。

一弦琴だけのことならいいのですが、
いろいろとその周辺のことが煩わしくて
やる気が出ない…考えも整理できていない…

「弾いている本人だけが楽しければいいのよね」と
いい切れる人がうらやましいです。
全然そんなふうに思えません。
なぜなんでしょう。。。

よく「人に聞かせるものではない、自分ひとりのために弾くのだ」
などなど解説してあるのを見かけるし、そう聞きもするのだけど
え?じゃあ、決して人前に出なければいい、と
そういう心情ならば、人前で弾くべきではないのでは?と
思うんですよ。

自分ひとりのために弾くのであるけれども
良い演奏の端くれを、よければ聞かせて進ぜよう、、、
みたいな不遜な態度が堪えられない。。。
ほんとうに、ほんとうに一絃琴はそういうものなのか。。。

「自分ひとりのために弾く」の解釈が間違ってるんじゃないのかしらん?
どの楽器でも、演奏家はまず自分があっての演奏と
考えるでしょう。しかし、それは、自分自身の表現、という
そういう意味ではないのでしょうか。
他者を念頭に置いた表現ではない、という意味なのでは?
絵画や文学でも同じことが言えるのではないでしょうか。

などなど、もろもろ考えて、煮詰まってしまうんですね~~

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