うちの小学校では、スクールサポーター(お手伝い)の
一つに、本の読み聞かせをとりいれている。
八時半から10分の「朝の読書」の時間に、保護者が教室に行って
絵本を読むのだ。(詩の場合もある)
読み聞かせのおばさんたちは、毎週どこかの学年に入っている。
明日は、自分が6年生のクラスに行く日だ。
低学年、4年生くらいまでは、どんなファンタジーでも
喜んで聞いてくれる。(まだ、半分そういう世界を生きている、とも言える。)
しかし、5,6年ともなると、話は別だ。
礼儀として静かにしているのと、本当に集中しているのとは違うのである。
10分という限られた時間で、高学年にも読み応えのある本を
探すのは結構大変。サポーターの方も、逃げがちだ。
(自分で行きたい学年に入る自主申告制なので)
しかし、思春期の入り口にたった子どもたちに
何かしら、「あっ、そうなんだ・・・そういうことだったんだ」と思う
ヒントになるような、メッセージ性のある本を提示するのは
貴重な機会のように感じる。
(とくに、友達関係については、なにか関係作りがうまくいかず
悩んでおり、それをまた、誰にも言葉に出しては相談できないで
苦しんでいるように思える。)
一つに、本の読み聞かせをとりいれている。
八時半から10分の「朝の読書」の時間に、保護者が教室に行って
絵本を読むのだ。(詩の場合もある)
読み聞かせのおばさんたちは、毎週どこかの学年に入っている。
明日は、自分が6年生のクラスに行く日だ。
低学年、4年生くらいまでは、どんなファンタジーでも
喜んで聞いてくれる。(まだ、半分そういう世界を生きている、とも言える。)
しかし、5,6年ともなると、話は別だ。
礼儀として静かにしているのと、本当に集中しているのとは違うのである。
10分という限られた時間で、高学年にも読み応えのある本を
探すのは結構大変。サポーターの方も、逃げがちだ。
(自分で行きたい学年に入る自主申告制なので)
しかし、思春期の入り口にたった子どもたちに
何かしら、「あっ、そうなんだ・・・そういうことだったんだ」と思う
ヒントになるような、メッセージ性のある本を提示するのは
貴重な機会のように感じる。
(とくに、友達関係については、なにか関係作りがうまくいかず
悩んでおり、それをまた、誰にも言葉に出しては相談できないで
苦しんでいるように思える。)
本を読んで、その世界を子どもたちと共に体験するのは、なかなか面白いですよ。
子どもは血縁の有無に関係なく、存在そのものが「ヒーラー」と言われています。生きようとするエネルギーに満ち満ちていますよね!(ヤカマシイともいう)
だから、思わず、
「ねえねえ、この本こんなに面白いよ!」
などと、全く「余計なお世話おばさん」になってしまうのでした。
子供達にも、そんな記憶に残るサポーターをしているのってとってもすごい事だと思うのです~。
子どもには「ガツンと一発」シリーズが読みやすいようです。大人向けでは
「身体感覚をとりもどす 腰ハラ文化の再生」が
抜群に面白くて、そのあと「呼吸入門」や日本文化に
ついて書いたものなど読みました。
当時はそんなに沢山でなかったのに、今すごい出版数ですね。思うに、斎藤孝は、いろいろやってるけど本当は呼吸法の凄さを伝えたいのではないかしら。
「気」については、やはり言葉で伝えるのに限界を感じると、「呼吸入門」で述べていました。
文筆業でありながら、言葉では伝えきれないと思うほどに、斎藤孝は「気」を実感してるってことなのかな。
「理想の国語教科書」赤版(文藝春秋)とか
持っていますが、ルビも振ってあるし、小学校3年生から大人まで学び、感動する古典という主旨です。私はショウペンハウエルが載っていたので購入しましたが、ゲーテやシェイクスピアも採用されていて、素晴しい内容です。でございます(笑)