絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

新弟子の方からお電話が・・・

2006年01月28日 00時29分23秒 | 一絃琴
一絃琴のことで、昨日また新弟子の方から
お電話がありました。
他の用件もあったのですが、やはり一絃琴が難しいので
難儀している感じでした。
最初から歌と演奏を同時にやりなさいという指導法なので
なかなか慣れるのに時間がかかるのです。

この、琴の指導法というのも、
これといって確立しているわけではないのでしょう。
それぞれの先生が自分流で指導しておられるのだと思います。

なぜそんなふうに思うかといえば、
それは、一絃琴が流派によって、あるいは血脈によって
途切れることなく続いてきたものではないと思うからです。
師弟関係の流れは一見あるかのごとくなっていますが、
その本流や亜流の見極めは、表面だったものとは違う気がしています。
あくまでも個人的な妄想?になるので、はっきり書けませんが
何々流とか何々派とか、正統は自分だと名乗ったもん勝ちな
ところがあることは、否めないでしょう。
まるで小説「一絃の琴」のようです。

現在は東京、京都、神戸、高知、などが主流ですが
古曲を沢山残した「眞鍋豊平」が晩年大阪でも教えていたことを
考えると、大阪にもお弟子さんの末裔がおられるかも知れませんね。

また、三重県では思想的なことからでしょうが、
国学者が多くこの琴を弾いていたようです。
(伊勢神宮がありますから)

いずれにしても、あ~だこ~だ言いながら、あるいは思いながら
眞鍋豊平はどんな気持ちでこれを歌っていたのかなと考えたりするのは、
まるで、古典文学を読むように不思議なまた興味深い体験であります。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。