絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

ふりかえる

2007年08月21日 14時30分10秒 | Weblog
日々の生活の中で、あらためて自分自身の歩いてきた道を
ふりかえるようなことってあまりないような気がする。
特別なにかしら思いをめぐらすような出来事がない限り…

お盆で親戚が集まり、小さい頃の話になった。
自分は姉達と年が離れているので
一緒に遊んだという記憶はない。
気がつけば、もう姉達は受験勉強のようなことを
いていて、自分はひとり友だちと遊びまわっていた。

『味噌汁』というとおふくろの味ということになるが
自分はうちの味噌汁が大嫌いだった。
煮干でだしをとった赤味噌だったが
いっちゃなんだけど、ほんとうにおいしくなかった。。。

結婚してから、自分で味噌汁を作ったとき
こんなに味噌汁っておいしいものだったの!?
と思ったほどだ(冗談でなく)

なぜうちの味噌汁はおいしくなかったのか?
料理のセンスがなかったから?
材料が悪かったから?
いずれでもないと、今になって思う。
当時は家業がめちゃくちゃ忙しく、味噌汁の味なんて
工夫している場合じゃなかったのだ。
つまり、食べられれば良かったのだ。
そんなこと文句言うものはだれもいなかった。
なにせ親達が死に物狂いで働いているのを知っていたから。。。
高度成長のまっただなかで、働けば働くほど
儲かった時期だっただろう。
自分は親が作ってくれた、おいしい料理なんて
ほとんど思い出せない。
カレィの煮つけやら、おやつに湯でカニやらしか
思い出せない。

ずっと後になって、一番上の姉が大学に入り
それからは姉が毎晩夕食を作ってくれるようになって
はじめて現代的な?おかずを食べられるようになったのだ。
そのときの『食の感動』というものを、何十年経った今でも
忘れることはない。
「よのなかにこんなにおいしい晩御飯があったの!!」
という感じだった。
姉のつくるご飯はほんとうにおいしかった。
「これからもずうーっと姉ちゃんがつくってね!」
って言った覚えもある。
しかしながら、何年も経ずして姉はお嫁に行ってしまい
かくしてまた味気ない食卓になっていったのだった…

「菊次郎とさき」

2007年08月21日 13時59分19秒 | 
ビートたけしの原作を読んだ。(すぐ読める)
ドラマより笑える場面もあったが
ドラマと違うのは、たけしの家はとことん貧乏というわけでは
なかった、ということだ。
家が狭いのでそういう印象を与えていたが
当時英語を習わせたり塾に行かせたりしたのだから
余裕はあったのだろう。

それにしても、やっぱりたけしとたけし母の
壮絶な自立バトルは面白いというかなんと言うか。。。
グレートマザーの手中からなんとか逃れようとする
たけし、自立させまいとする(つまり自分の思うようなところへ
行かせようとする)母親。

いつの時代も、大人になるということは
一筋縄ではいかないことで
すんなり大きくなったと思ったら大間違い
40越えてから反抗期になるようなやからも
いないとは限りません。。。