安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

安全で暮らしやすい日本をつくりたい
そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

”お金を刷れ”は異常な考えなのか?

2019-06-21 22:43:54 | 政治

年金問題を考える際、避けて通れないのが”財源”の問題だ。残念なことに、年金はもはや”底”が見え始めている。年金だけで足りなくて税金を集めようとしているのが今の現実だ。しかし、こと年金に関しては抜本的な解決策がなくもない。それはずばり”お金を刷る”ことだ。年金は払っているものからすれば”もらうのが当然”のものである。であるならば、政府は浪費してしまった分をきちんと補償すべきだろう。”そんなことをすればハイパーインフレが”という声が聞こえてきそうだ。しかし、年金は”今すぐにすべてを払え”というものではない。今の支給額と、将来的には物価上昇額を考慮して、”今と変わりなく”支給していくだけだ。この案には批判があって当然だろう、それでも考慮の余地があると私は思う。政治家とは批判を受けて立つ勇気がなければ本物ではない。そのことを忘れないことだ。

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新聞とは単なる瓦版なのか

2019-06-21 22:19:24 | 政治

批判めいたことを書きたくはないが、新聞を眺めていると思うところがある。それは、新聞と言わずメディア全体に言えることだが、”批判はすれども代替え案は持たない”のではないだろうか?どうもきちんとした批判軸をお持ちではないように見える。例えば私ならこう主張する。年金制度を抜本的に改革するには今のような負荷方式ではなく積立方式がいい。これは、自己責任の重視と将来的な生活設計を組み立てる上でも大きな意味を持つ。将来いくらもらえるかが現役世代に分かれば励みにもなるだろう。その程度のことは政府にはわかっていると思ったが、どうもそうではないらしい。どうやら足りない分をどう誤魔化すかで頭がいっぱいのようだ。タイムリミットはそう遠くない先だ、遅かれ早かれ結論を出さねばなるまい。その時になって消費増税だけではまかないきれない、ではすまないだろう。

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消費増税と内需底上げの矛盾

2019-06-21 21:41:28 | 政治

これほどの矛盾した内容が、恥ずかしげもなく閣議決定されたという。とんでもない話だ。内需底上げとは具体的に何を指すのか?きちんと国民にわかる言葉で示せと言いたいものだ。世界を見渡せば、財政均衡主義が叫ばれ財政再建に取り組み始めたほぼすべての国が低成長に悩んでいる。その理由をきちんと精査する姿勢があり、勉強を続ける姿勢があるならば、消費増税と内需拡大が相反する政策だということが分かりそうなものだ。不況時には財政再建を保留にしてでも経済を支えるべき使命が国家にはある。なぜならば、国は唯一主権通貨を公式に発行できる存在だからだ。経済を流通するお金が足らないならば、誰がそれを増やすべきか?答えは明らかであろう。その政府が不況時に国民からお金を巻き上げるとは何事か!考え方が逆さまである。私はそう思う。

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教育無償化より教育の質の向上を

2019-06-21 06:21:33 | 政治

教師も労働者だ、という発想には”人間性を高める”という、そもそもの教育の本質が見当たらない。いや、むしろそういう”教育は労働だ”という考え方に持っていきたい人たちが多いのは事実だろう。やりがいという言葉が死後になりつつある。本当にそれで未来は安泰なのか?遊びを奨励し、労働時間を短くし、老後は政府に面倒を見てもらう、一見してパラダイスかユートピアのようにも見える。しかし、世界史を鳥瞰しただけで分かるのは、文明には栄枯盛衰があり、勤勉の精神を失った民族は滅びていく、衰退する。この原因結果の法則からは逃れられない。教育無償化には「教育は全部国の責任でやればいいんだ」、という無責任さが見える。本当に必要なのは教育の質をあげ無駄を削る努力であって、はなから責任を放棄することではあるまい。

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教育現場に”小さな政府”発想を

2019-06-21 06:02:52 | 政治

日本の教員の労働時間が世界一長いと発表された。それにしては教育の質が低いのでは?と思ってしまうのは何故たろう。”働かない改革”はいいのだが、問題は質を上げながら無駄な業務を削っていく努力ではないか?子供たちのクラブ活動を自粛するとかはあまり感心しない。削るなら保護者への過剰な対応や行政に対する報告文書など、本来、教育の本質とはあまり関係のない部分であるべきだろう。働かない改革とは、教育者を労働者に格下げすることではあるまい。教育者が自分たちのことを「我々は労働者だから労働環境の権利を守る」などといって組合活動をする姿を見せて、それで子供たちが教師を尊敬するだろうか?教師は、自らの価値を下げていることに気がついた方が良いのではないか?国民も教師のあるべき姿に理解を示し、無駄な業務削除に理解を示すべきだろう。


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