私はかねてより、「宗教的価値観を失った国(文明)は衰退し、滅びる運命にある」という事を言っています
なので、日本で起きている「統一教会への解散命令」について
統一教会が普遍的価値観を備えた正しい宗教だとは思わないし、むしろ間違った宗教である。。。とは思うものの
裁判所判断で解散を強制することに、「その判断は大変危険なものがある」と思っています
なにが言いたいかというと、「裁判所の判断も、実は宗教的・精神的な価値を全く認めない、無神論的な判断から来ている」
と思うからです。。。これが大変危険であり、国をあやまらせるもとになる可能性があります
要は、宗教的・精神的な普遍的価値観を全く理解しない国民は、無神論国家とまったく変わらないんですよ、ということです
長いですが、一つの動画をご紹介しましょう
コメントを読んでいると、「この講義は有料級だ」、という感想がありますが、その通りだと思います
私が一つ残念に思うのは、伊藤貫先生ご自身は、キリスト教の重要性を説くものの、ご自身で信仰を持たれていないことです
「信仰を持たずとも、神を信じることはできる」は伊藤先生のお言葉ですが
本来なら、聖書を熟読され、自らキリスト教徒の信仰を学ぶことが、宗教者が信じる意味をよく理解することにつながる
そう思います
余談ですが、私自身は、信仰を持つ者として、トランプ大統領の思考パターンが本当に良く理解できます
それは、正しい宗教というものは、それぞれ普遍的な価値観を内包しているものだからです
だから「この場合はこういう風に考えるだろうな」という事がなんとなくわかるのです
表面的な教えの形は違っていても、その根底に流れる普遍的な価値観は、共通するものが凄く多いのです
逆に、無神論者ほど、相対的価値観を持つことが多くなり、判断が大きくぶれる傾向があります
民衆が「早く解散命令を出せ」という方向に世論を作れば、それが正しい判断だと思ってしまいます
今回の裁判所の判断も、そういうものではないのでしょうか?
しかしながら、宗教のお布施や寄付を、すべて「いかがわしいもの」と考えるのはいかがなものでしょうか?
そもそもお布施や寄付は、神や仏のために「お役に立ててください」という善意から行うものです
それをいかがわしいもの、と一蹴するならば
中国共産党政府がキリスト教を「いかがわしい」として弾圧することも正当性があるのでしょうか?
理由などどうにでも付けられます「民衆から金を集めて悪いことをたくらんでいる」と言えば、逮捕でも何でもできます
今回の裁判所判断は、刑法犯でもない民事上の事案において、裁判官が宗教者の心のうちを裁いているわけです
「その心はいかがわしい」というわけです
でも、西欧ではもともと、「キリスト教の寄付は良心に依るものである」、という考え方があります
宗教がすべてインチキだ、というのは暴論なんですよ
「統一教会が悪い団体だから」というのであれば、それは教義においてどこが間違っているのかをまず説明すべきです
それで、今日のお題なんですが
伊藤貫先生は、ヨーロッパはイスラム教徒がたくさん入ってきてキリスト教国家ではなくなった、とおっしゃっています
しかし、これにはちょっと議論の余地があると思います
キリスト教徒だけが宗教なのかというとそうではなく、イスラム教もまた、新約聖書を聖典とするキリスト教の兄弟宗教です
イスラム教徒がたくさん入ってきて、というのは一つの。。。まあ例えなのでしょうが
要するに、ヨーロッパのキリスト教は形骸化して教えの中身が失われつつある、という事なのだと思います
要するに、色々ありすぎて、キリスト教を信じなくなった人が多くなった、ということでしょう
そしてヨーロッパではカント哲学以降、「理性」を最高の価値と考える傾向が強くなっています
アメリカでは哲学的なものが弱いため、いまだに素朴な信仰観が、WASPを中心に根強く残っています
これが結果を分けているのでしょうね
残念ながら、「人間の理性」では、善悪を分ける本当の知恵は出てきません
人間の理性はどうしても相対的になるからです
アメリカに最初に渡った清教徒(ピルグリム)たちはそうではなかったと思います。。。彼らは聖書の記述に基づき善悪を判断していました
神が良しとする心の持ち方。。。これが善悪の判断基準だったと思います
各人が主観で善悪を判断すると、それは善も悪もない世界になります
その人が自分を女だと思えば、体はどうであれその人は女。。。
その人が盗みを悪いことだと思わなければ、盗みは悪くない。。。
その人が殺しを悪いことだと思わなければ、殺人は正当化される。。。
これが価値相対主義の結論です。。ここまで極論でなくとも、例えば、10万円以下の物を盗む行為は罰されない
などということが、人間の理性による判断によって正当化されることがあるわけです
余談ですが、プーチン氏が大統領として就任したときのこと
プーチン大統領は自らが教会に赴き、神に祈りを捧げる場面をテレビで全国に放映したそうです
これはプーチン氏が率先垂範して「大統領の上には神がいる」ということを国民に知らしめた場面でした
彼は無神論国家のソビエトが崩壊した理由をよく理解していたと思います
要するに、無神論国家の無宗教国家では、国民のモラルも倫理観もなく、国家として繁栄することはない
それが分かっていたのでしょう。。。彼は熱心にロシア正教を復活させました
この事を知っている日本人は少ないのですが、ロシアでは、プーチン氏がロシア正教復興を強く推進したのです
一方のアメリカにおいては、いまトランプ大統領が、キリスト教的価値観を取り戻そうと奮闘中です
彼のラリー(選挙運動・演説)においては、全員で神に祈りを捧げていました
トランプ大統領もまた、何度も神の御心を大切にすることを語っています
そうなんですよ。。。国が本当に強くなり反映するためには、宗教的な価値観からくる倫理観が必要なんです
これは世界共通だと私は思います
噂によると、フランスのマクロン氏は同性愛者なのだそうですが、彼の奥さんもまた、男性だというもっぱらの噂ですよね
また、イギリスのスターマー首相も、これは労働党の首相であり、基本的にはマルクス主義者でしょう
指導者に信仰心がなく、価値相対主義的な指導者だとどうなるか?
これは長期的に見て、「ヨーロッパ文明の終焉」ということになるのかな?と、私は思っています
いま日本もまた、宗教的価値観を軽んじていないか?
それを脚下照顧してみるべきでしょう
それではまた