安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

安全で暮らしやすい日本をつくりたい
そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

最近れいわ新選組(山本太郎)のポスターをよく見かけるんだが

2019-12-07 11:16:27 | 政治
最近、私の地元で”れいわ新選組”の山本太郎氏の写真ポスターをよく見かけます
あの赤色のポスターね
やたらたくさん見かけるワケなんだけど、どう見ても無許可で貼ってたりするところも沢山あるし
まあ、徐々に増えている感じから、おそらくは一人、もしくは2・3人で回っているのかと
そのように推測しています

普段、興味のない方には分からないでしょうけれども、ここまで出来るというのは
ある意味、山本太郎氏のカリスマ性もあるんでしょうけれども
やはり、何かしら”山本太郎”氏の訴えに、人が心動かされる何かがあるのではないかと思います
結論から申し上げますと、これもMMT現代貨幣理論の持つ魔力の一つではあるのかな?
と感じずにはいられません
おそらく、形を変えたマルクス主義、社会主義がMMTによって正当性を与えられた
ということなのではないかと、今、私は感じています

元同志社大学教授”山口薫”先生が”公共貨幣”という書物で述べているように
もし日本で中央銀行(日銀)ではなく政府が直接貨幣を発行することができれば
政府が国債という借り入れを発生させることなく、社会福祉にお金をかけることができる
膨らみ続ける”国の借金”とやらも解決できる
という見方がありますが、これなどもMMTと大きな共通点があり
要するに、形を変えた共産主義的な”ユートピア思想”の一つなのだろうと私は認識しています
だから人を惹きつけ、人を動かし駆り立てる、思想的な力があるのだろうと思うのです

平等ということを最高の価値ととらえるならば、政府は大きい方がいい、という結論になります
富める者から税をたくさん取り、貧しい人に分け与えるのが”大きな”政府の役割であるからです
MMTはアメリカの急進左派によって
社会福祉のための財政拡大の促進のための理論として用いられています
このアメリカの急進左派は、若者の熱狂的な支持を得ていますが
その根底にあるのは、「お金が我々庶民のために発行され、使われることは正しい」
という理想主義でしょう

私は、このアメリカの若者の社会主義化傾向が日本でも起こっているように感じています
特に、保守と言われる人々の中にも、知らず知らずのうちに社会主義的経済を良しとする傾向が
出てきていること、これはまぎれもなく事実だと感じています
平等を重んずるというのは、そのぐらい人々の理想に燃える心を喚起する。。。
これは1960年代に共産主義を理想とした若者が起こした安保闘争と共通するものがありますね
しかしね。。。本当の平等とは何か?そこは考えないといけない
努力が報われる社会こそ、真の平等社会でしょう
努力すればするほど、国に沢山税金を取られる。。。これが本当に平等な社会なのか?
私はそうは思いません

国というものは、本当に大きな強制力を持ちます
ハイエクも述べているように、社会主義・共産主義は貧しい人に保証を与える代わりに
自由な経済活動に制約を課します。。。強制力を使って自由を制限します

MMTを用いた社会福祉や所得補償、雇用保証を主張する人にもう一度再考していただきたい
大きすぎる政府は間違いなく国の活力を奪います
格差社会が悪いという人よ、よく考えたほうがいい
大きな政府で格差がなくなる社会がどういう社会であるかを
それは、裏返しに人々の経済繁栄の自由を損なうものだと、気がついた方がいいですね
私はそう思います
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MMTの最大の危険性

2019-12-04 23:07:38 | 政治
私はMMTについて色々と発言していますが
MMTの貨幣理論のエッセンスそのものは、決して間違ったものではありません
むしろ、大いに経済発展のために役立てるべき理論であるとさえ思っています

MMTでは貨幣の量を浴槽に溜まるお湯の量に見立てて説明することがありますが
浴槽に流入させるお湯の量を増やすか?それとも排水口から捨てるお湯の量を減らすのか?
お風呂なら、どちらも浴槽のお湯を増やすことには変わりがないのは事実です

しかし、一方で経済においては
流入させるお湯の使い方を間違えると、間違いなく国が間違った方向に行く
これは私には確信があります
アメリカのバーニーサンダース氏やアレキサンドリア・オカシオ-コルテス議員が提唱するように
ジョブ・ギャランティー・プログラム(政府による雇用保証制度)や手厚い社会保障など
彼らは自らソーシャリスト(社会主義者)を自認しておりますが
彼らの社会保障プログラムをMMTで打ち立てることは
これは絶対にやめるべきです!!

それは間違いなく。。。亡国へ至る道になるでしょう

例えば、ジョブ・ギャランティー・プログラムやベーシックインカムなどの考え方は
これは個人に保証を与える代わりに、自己責任を限りなくゼロにしていきます
人間はどのように努力して、どのような会社に入り、どれほどの収入を得るか?
これらはすべて自己責任のはずですが、上記のような社会主義的政策においては
収入が無いのも、仕事がないのも、本質的に”政府の責任”になってしまいます

私は、当たり前ですがステファニー・ケルトン教授に個人的な恨みがあるわけではありません
しかし、彼女には”理論”はあっても”哲学”がありません
自己責任を放棄して権利ばかり主張する人が増える社会が、はたして繁栄するのかどうか?
彼女にはその判断はおそらく無理でしょう
インフレさえ起きなければいくらお金を発行してもいい、というのは
口では簡単に言えますが、社会構造そのものが大きく変化したとき
果たして簡単にインフレを抑制することができるのか?
基本的に、それは無理であろうと私は思っております

”政府が失業者を全て雇う”というのは、間違いなく、国が社会主義に向かう政策なのだという
その自覚が必要です
ジョブ・ギャランティー・プログラムで雇った人を、簡単に首切れますか?
政府が雇った人を、働きが悪いからと給料に格差をつけられますか?
社会構造が大きく変わったとき、政府が思うように方針を変えることは簡単ではないということを
よくよく考えたほうがいいと思います
もし、政府による被雇用者と一般の会社員との給与格差があれば
間違いなく「格差だ、差別だ」という話になるでしょう
そうなれば、当然賃金は引き上げられます。。社会保障も手厚くなります
そして、給与格差がなくなってきたとき。。。
仕事そのものに厳しさを求められる一般企業で働きたいという人が、どれほどいると思いますか?
給与格差がなければ、人は楽な方で働きたいと思うはずです
手厚い社会保障のある方で働きたいはずです

そう。。。これがジョブ・ギャランティー・プログラムが、社会主義政策である理由です
これが経済対策として正当化されるところに、MMTの危うさがある
これは知っておいたほうがいいでしょう

続きはまた今度に
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