香港の抗議デモは収束をむかえたように見える。しかし、彼らの本当の戦いはこれからなのだ。共産党政府は、デモが収束してから”首謀者”を逮捕する。これが彼らのいつもの手だ。今、中国ではデモの余波が広がらないように、共産党政権が警察権力を行使し、一般人がスマホで海外情報などにアクセスしていないか、ランダムに検閲を行うのが日常茶飯事だそうである。人権侵害も甚だしく、とても近代民主主義国家の人権概念ではありえないのだが、マスコミはあえてこれを無視する。新聞も事情は同じ、こうした間接的に人権侵害に加担するマスメディアが、国民の判断力を誤らせている。あえて言いたいことがある。これを無視して真実を報道しないなら、マスコミは本当の”偽善者”である。
イラン問題を考える際に、アメリカにはどうしても思い出して欲しいことがある。アメリカは元々WASP(アングロサクソン系白人プロテスタント)が中心となって作った国だが、初代大統領ジョージ・ワシントンは国教を定めなかった。そういう要望が強くあったにもかかわらず、である。その意味は建国(独立)の父と言われる独立宣言の想起者たちが後に語っている。”国教を定めると他の宗教を信ずる者たちに迫害が及ぶ可能性がある”というものである。これが政教分離の本当の意味である。独立の父たちは宗教心が国の精神として重要だということを理解していたが、他宗教を尊重する意味から、あえて国教を定めなかった。日本人は政教分離(本来は教会と政治の分離)を誤解しているので、アメリカにそのことを指摘できない。アメリカは宗教的に寛容さを持っていたということを思い出すべきである。それが多民族国家をまとめるための本当の精神だからである。
イスラム教国におけるスンニ派とシーア派の対立構図や、イスラエル建国の宗教的意味、宗教観の考え方の違いなど、日本人にはとかく馴染みのない中東問題だが、その無理解がイスラム教国に対する”あらぬ恐怖心”と、”怖い国のイメージ”を増幅している。イランの宗教指導者ハメネイ氏のツイッターを拝見したことがあるが、急進的イメージとは裏腹に、自制心があり、非常に筋の通った意見を述べる人物である。イランという国は日本人が思っているような北朝鮮の類似国ではない。”両国ともに自制しろ”というだけでは問題は解決しないのである。歴史的背景、宗教観、対立のもとになる4次に渡る中東戦争、そうしたものを理解した上で周知し、理解を広げることが真の平和的解決に至る道である。