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トラ応援と観光記

トラキチ『キリジイ』のブログ
観光 他なんでもあり記

東大阪枚岡神社 蹴鞠奉納

2010-01-17 16:46:23 | Weblog

15日の小正月河内一宮枚岡(ひらおか)神社で毎年恒例の京都蹴鞠保存会による蹴鞠奉納が行われた。

『蹴鞠は今から1400年程前に中国から伝わった遊びで、鞠庭(まりにわ)とよばれれる専用の庭で鞠をける技術の高さを競います。相手に受け取りやすく、打ち返しやすい球を送る上手さを競う競技です』
以上日本文化いろは事典より

尚この競技には勝ち負けはありません







蹴鞠の事を詳しく知るにはここから

枚岡神社HPはここから

東大阪石切劔箭神社

2010-01-12 14:28:28 | Weblog


この神社は自宅から参道商店街を下って15分ほどの所にある。
大阪府、奈良県の近郊ではかなり有名で、松坂慶子、かしまし娘が出演した寅さんの映画の舞台になったこともある。

正月三が日ほどではないが昨日までの三連休でもかなり賑わっていた。十日戎と重なりどうかなと思ったがその影響はなく、天気も良く比較的暖かかったので例年になく人出が多かったような気がする。












このたび石切神社参道商店街イメージキャラクター『いしきりん』が誕生しました。


石切参道商店街は、近鉄奈良線石切駅より石切神社に至る参道に百数十店の商店が立ち並んでおります。飲食店から食品、占い、漢方薬、衣料品、日用品など他にはない珍しいもの、懐かしいものが見つかるかもしれません。霊験あらたかな石切神社のお参りかたがた石切参道商店街を散策ください。

石切参道商店街HPより

石切神社&石切参道商店街HPはここから

初詣り 三輪明神

2010-01-07 15:59:56 | Weblog

橿原神宮から約30分で三輪に到着、3分ほど歩くと両側に出店のならんだ参道に出る、JR桜井線の三輪駅からも同じコースになる。

二の鳥居までぶらぶら歩いて約5分ほどは賑やかに出店が続いているが、そこをすぎると神域、趣が写真のようにがらりと変わる。

ここも橿原神宮と変わらず凄い人出で世の中が不景気とは感じられない、それとも不景気ならばこその神頼みか?。








大神神社(おおみわじんじゃ)は奈良県桜井市にある神社である。式内社(名神大)、大和国一宮で中世には二十二社の中七社のひとつとされた。旧社格は官幣大社(現・別表神社)。三輪明神、三輪神社とも呼ばれる。

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀る。日本神話に記される創建の由諸や大和朝廷創始から存在する理由などから「日本最古の神社」と称されている。日本国内で最も古い神社のうちの1つであると考えられている。

三輪山そのものを神体(神体山)として成立した神社であり、今日でも本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。自然を崇拝するアニミズムの特色が認められるため、三輪山信仰は縄文か弥生にまで遡ると想像されている。

『ウィキペディア(Wikipedia)』より

三輪明神HPはここから


帰りはJR三輪駅からJR奈良駅へ、そこから少し歩いて近鉄奈良線で帰宅。

初詣り  橿原神宮

2010-01-05 16:23:10 | Weblog


正月三日は我が家恒例の橿原神宮から大和一ノ宮三輪明神へ新年の初詣り、元旦には河内一ノ宮枚岡神社と近所の石切神社に御詣りしている。つまり神様のはしごである、多くの神様にお願いすればどなたかが聞いてくださる?と浅はかに考えている。

橿原神宮は相変わらず参拝客が多い、駅を降りてすぐ参道へ向かう,表参道一の鳥居まで5分ほどで、参道には賑やかに多くの出店が出ている。












初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、明治23年(1890年)に官幣大社として創建された。

昭和15年(1940年)昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。

『ウィキペディア(Wikipedia)』より

橿原神宮HPはここから

参拝の後、正月三が日だけ運行される奈良交通のバスで三輪明神へ向かう。

大阪四天王寺 終い弘法市

2009-12-22 16:24:15 | Weblog
昨12月21日四天王寺の終い弘法市でした。
京都の東寺の終い弘法が有名ですが、大阪四天王寺の終い弘法市もおおいに賑わいます。JR天王寺駅から四天王寺まで10分足らずの道のりですが人の列が途切れなく続き、道の両側には出店が沢山出ています。

石の鳥居をくぐり、西大門から境内に入ります、大変な賑わいで混雑していました。
古着を売る店が多く、骨董品の出店もかなりあります。

お正月用の食料品を買い求めておられる人もあり皆さん楽しそうでした。

キリジイも記念に中折れ帽子を一つ買うことにしました。


六時堂は
境内中央に位置する雄大なお堂で、昼夜6回 にわたって
諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名があります。薬師
如来・四天王等をお祀りしており、回向(供養)、 納骨等を
行う当寺の中心道場でもあります。 入口には賓頭盧尊者
像やおもかる地蔵が祀られ、独特の信仰を集めています。
又、修正会・ 聖霊会などの大法要はこのお堂にて行われ
ます。『四天王寺HPより』






五重塔は
聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を
込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六
粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納めら
れたので、この塔を「六道利救の塔」とい
います。
塔の入口は南北にありますが、通常開放
しているのは北側のみで、南正面に釈迦
三尊の壁画と四天王の木像をお祀りして
います。なお、この中心壁と外壁の各面
に描かれた仏画は山下摩起画伯の筆に
よるものです。
四天王寺のHPより


四天王寺の歴史
四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。 今から1400年以上も
前のことです。 『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦
の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、
自ら四天王像を彫り 「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安
置する寺院を建立しましょう」 と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、
建立されました。  
  四天王寺のHPより

詳しくはここから

淀川のハゼ釣り

2009-11-27 16:37:33 | Weblog
26日 風もなく雲ひとつない好天に恵まれたので9時ごろから久しぶりに淀川河口、伝法大橋付近へハゼ釣りに出かけた。
近鉄電車と阪神電車が難波でつながったので大変行き易く1時間ほどで釣り場に到着、つり始める。
釣果はハゼ18cmほどのを7匹とぱっとしなかったが、暖かい青空の下でのんびりと1日をすごすことができた。

釣ったハゼは背開きにして唐揚げにしたが、見てくれのわりには美味しく、白身魚でキスに似た味がする。

尚、43号線に架かる伝法大橋は昔は淀川に架かる最下流の橋だったが、今は更に下流に阪神高速有料道路湾岸線の走る橋がある。






枚岡神社の七五三

2009-11-15 16:18:34 | Weblog



今日は七五三のお祝いの日、枚岡神社も朝からお参りの方が大勢見られました。
七五三は 3歳の男女 5歳の男の子 7歳の女の子のお祝いだそうです。昔は数え年で祝いましたが、現在では満年齢で行うことが多くなっているそうです.


今日は大阪地方は朝から風は強く、すこし寒く感じましたが神社は大繁盛。境内は少し紅葉しかけています。




奈良 興福寺

2009-10-24 14:55:04 | Weblog



先日、近鉄奈良駅に所用があり出かけたついでに時間があったので駅近くの興福寺境内を歩いてみました。

ヘッターにある南円堂の写真の手前は2010年に再建される中金堂の基壇です。
朝が早かったので観光客もまばらでしたが、それでもまた違った趣がありました。

興福寺は近鉄奈良駅を降りて東側にある商店街に入りすぐ東へ登る道を行けばすぐ左側に北円堂がありもうここから興福寺の境内です、駅を出てから5分ほどです。

あまり時間に余裕がなかったので残念ながら興福寺一部の観光だけで帰りました。


ウィキペディア(興福寺の詳細はここから)