トラ応援と観光記

トラキチ『キリジイ』のブログ
観光 他なんでもあり記

懺悔と抱負(トラックバック練習)

2004-12-25 10:03:09 | Weblog
年の瀬も押し迫り一年を振り返って、あまり大きな失敗もなく、大袈裟に懺悔する様な事もなかった。
年金生活は、現役時代と異なりメリハリの少ない一年を実感してます。
来年も今年のコピーで良いと思う、健康に気を付けて、生甲斐を失わず、感謝の気持ちを失わずに、

イタリア旅行パート7

2004-12-16 15:20:10 | Weblog
イタリヤ旅行パート7(雑感)
今年一年を振り返り一番印象に残っているのはイタリヤ旅行です,
そこで忘れぬうちに想いついたままを下手な文章ですが記して置く事にしました、
かねがね家内に仕事を引退すればヨーロッパへ旅行を約束してましたので,70歳で引退を紀念してのイタリヤ旅行でした、
アジアはいろいろ行きましたがヨーロッパは初めてで出発準備が大変で先ず情報収集 荷物の整理と行くまでに疲れてしまいました,
13時間のフライトは矢張りしんどかったですが、アリタリア航空のミラノ直行便で夕方ミラノ着すぐホテルに入ったので大分助かりました。
イタリヤ事情を少し想い出しながら記してみます。
水道水は飲めませんので私達一夜分として2リットルボトル1本関空で買ってスーツケース入れて行ました、ミラノ空港からホテルまで水を買うチャンスがありませんでしたので良かったと思いました。

トイレにも困ります、
公衆トイレ、有料トイレ等ありますが数が少なくあの広大なポンペイの遺跡(ゆっくり見て回れば1日かかる)でも一箇所もありません、出入口にはあります、そこでバールを利用しますバールは日本の喫茶店の様ですがもっとオープンな感じで入りやすいです、ビールとか軽い食事もできます。

治安は良くありません、
イタリヤの人達は親切で道を尋ねても丁寧に教えてくれます(手振り身振りで尋ねます)気を付けなければいけないのはヨーロッパ各地から流れ込んできたジプシーだそうです、各地の現地案内人さんが必ず何回も注意してくれます、首から掛ける鞄は前で抱くようにして、決して油断しない、リュックはあまり良くないそうです、しかし私達はあまり怖い目には会いませんでした。

ホテル事情は私達の泊まったホテルがあまり良くなかったせいか、パート1で記した様に部屋が停電しましたし、ローマでもバスの蛇口が吹っ飛び水が飛び出しましたが何とか蛇口をもとにもどし添乗員さんに連絡ホテルの人に来てもらいましたが修理できずその日はバスが使えませんでした、普通のホテルは屋上のタンクに湯を貯めてあるそうでその湯が無くなるとしばらく湯は出ないそうです、ですからバスをよく使う時間帯をさけるほうが良いのではと思いました。

旅行中はツアーでしたので皆さんに付いていき説明を聞かねばなりませんし、写真を撮らねばなりませんし、土産を買わねばなりませんし、もう無我夢中で過ぎ去った8日間でした。しかし帰国して写真を整理したり、今ブログを記したりしてると旅行中のいろいろを想い出して今一度行ってみたいイタリアであります。
トレビの泉でコインを投げて来ましたので必ず行けると思います。

尚ツアーはJTBの旅物語 グラーツイエ イタリア街巡り 8日間でした。

画像はベローナの街角

イタリア旅行パート6

2004-12-14 10:40:54 | Weblog
イタリア旅行パート6
旅行の最終日 先ず世界のカトリック総本山ヴァチカン市国のサン・ピエトロ寺院拝観
でした、(ローマの中にヴァチカン市国と云う周囲わずか44平方kmの独立国です入国するのに
パスポートはいりません)寺院の前サン・ピエトロ広場からの寺院の外観は壮大すごいの一言に
尽きます、サン・ピエトロ大聖堂の内部は莊厳と云うか何と表現すればよいか圧倒されます
思わず手を合わせお祈りしました。(仏教徒ですので南無阿弥陀仏でよいと思いました)

その後トレビの泉へ移動しましたが、世界中からの観光客でいっぱいでコインを投げる場所を
さがすのに苦労しました。

午後は初めて自由行動でした、先ずスペイン広場へここも観光客でいっぱいです。
広場の前の街一帯は(コンドッティ通リ、カロッツェ、ボルゴニョーナ)など有名ブランドの店が軒を並べローマ随一の買い物スポットです、
私達は思った物が揃わなかったのでタクシーでローマ三越へ移動そこで買い揃えました、

途中バールでサンドイッチを買いあの有名な神風タクシーに乗り恐ろしい思いをしながら
ホテルに帰着サンドイッチの夕食でした。以上で長いイタリヤ観光も終了です。ローマ泊
画像は サン・ピエトロ寺院外観

イタリア旅行パート5

2004-12-13 09:03:29 | Weblog
イタリア旅行パート5
五日目午後ポンペイ遺跡観光、紀元79年(今から1700年前)ヴェスヴィオ山の噴火により6mの火山灰の下に埋没した街ポンペイ、周囲約3kmの城壁に囲まれ道路は碁盤の目状に整備され、その道路は割石で舗装
メインストリートは車道と歩道とに分かれ歩道は一段高くなっています。

建造物跡も立派なもので、当時の日本の文化(神話の時代かと思います)と比べると如何にローマ帝国の文化が進んでいたかがわかります。

また18世紀半に6mもの火山灰の下から広大な街を掘り起こしたその労力は大変なもので、私考えながら呆然と街を眺めるだけでした。

バスでローマへ移動夕食はカンツォーネデナーでした素晴らしいカンツォーネを聴きながらの食事は最高です其の時のCDを買い(1000円)今も車のステレオで聴きながら楽しんでます。            ローマ泊

画像はヴェスヴィオ山を遠景にしたポンペイの街

イタリア旅行パート4

2004-12-12 15:08:10 | Weblog
イタリア旅行パート4
五日目バスでサンタルチア港へ水中翼船でカプリ島のマリーナ・グランデ港へ到着

船中約1時間弱ではなかったかとおもいます、ここで本来なら青の洞門の観光ですが
海が荒れて残念ながら行けませんでした(行ける日は時節によりますが20%か30%ぐらい
だそうです)
それで予定を変更カプリ島のモンテ・ソラーロ山へ向いました、長い、長い
リフトに乗って山頂へ登ります山頂からは紺碧のカプリの海、山肌に散らばる白い民家の
コントラストが絵葉書のようでした。サンタルチア港へ帰港、次の目的地ポンペイへ

画像はカプリ島、マリーナ・グランデ港


イタリア旅行パート3

2004-12-10 16:13:40 | Weblog
イタリア旅行パート3
四日目は斜塔で有名なピサからです、広大な敷地を古代の城壁が囲みその中央に
ピサのドゥオーモ(教会)と斜塔があります。

白大理石造りの斜塔は293段のやはり大理石造りの階段を登って頂上に到達します、一時は登れなかったそうですが今は人数の制限がありますが登れるようになりました、頂上は眼下一望ピサの街が360度
見渡せます、まさに絶景です。

午後はフィレンツィエへ戻り、サンタ・マリア・デル・フイオーレ大聖堂~カテドラーレ大聖堂
~ウフィッツィ美術館などを観光、夕方イタリヤの新幹線ユーロスターイタリヤでナポリへ移動
約3時間、9時頃ナポリ着                   ナポリ泊

  画像はピサの斜塔

鯛釣がボウズ

2004-12-09 16:03:44 | Weblog
天気清良波静かなれど鯛釣れずボウズでした、帰りの運転のしんどかったこと。
しかし37cmのカレイが外道でひっかかつてきました、家内はこの頃は鯛をたべあきたので、
カレイを喜んでましたが?

無と言ふ字

2004-12-07 17:42:54 | Weblog
老境には入ると、無と言う字の意味をよく考えます、最期に人の、あるいは生あるもの
すべてが行き着く所、納まる所が、無、又人の、あるいは生あるものすべて誕生も、無、
の世界からと思ったりします。(トラックバックの練習)