トラ応援と観光記

トラキチ『キリジイ』のブログ
観光 他なんでもあり記

枚岡神社の成人の日

2008-01-14 15:34:51 | Weblog

今日は成人の日、枚岡神社も新成人を迎えるために飾りつけがしてありました。





明日はこの竹囲いの中で蹴鞠が奉納されます、下の写真は去年の蹴鞠風景。




;東大阪、石切劔箭神社

2008-01-08 18:47:06 | Weblog
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

通称「石切神社」。俗に「石切さん」として親しまれ、拝殿と神社入口(百度石)の間を行き来する「お百度参り」はご利益があるとして全国的にも有名となっている。また、「デンボ(腫れ物)の神様」として知られる。ただし、腫れ物の治癒に卓効があるとして信仰されるようになったのは昭和時代になってからである。

伝記上の創建は、神武天皇二年に、宮山の上之社(上ノ宮)が建てられたとされている。さらに、崇神天皇の代に下之社に可美真手命が祀られたとされる。 実際の創建年月は、過去に戦乱で神社が焼失し、資料が残っていないため不明。

当初は上之社が本社だったが、明治5年(1872年)6月に上之社を合祀し、下之社が本社となる。同年12月に上之社を分離して村社に列する。明治40年11月に再び上之社は本社に合祀されるが、昭和47年(1972年)3月に跡地に上ノ宮を再建。

現在の祭神は「饒速日尊」(上ノ宮)および「可美真手命」(本社)。

物部氏の有力支族である穂積氏が祭神を祀ったとされ、物部氏ゆかりの神社である。

本社の南に大きな山門があり、屋根上には劔箭が天をさしている。




さる六日の日曜日、自宅ちかくの石切さんは、三が日ほどではありませんが好天に恵まれかなりの人でにぎわいました、参道筋は道幅も狭いので三が日にはなかなか前へ進みませんでした、この日はそれほどではありませんでしたが、それでも大変な人出でした。




ここ石切神社では、365日お百度参りをされていない日はほとんど無いくらいです、朝ははやくから、日の暮れるまで人は絶えません。
左手に持っておられるのが、お百度ひもで、こよりの様なひもを百本持ち一周りするごとに一本ずつ折り数えてゆきます、写真をよくみていただければ左手に握っておられるのがわかるとおもいます、ちなみに私は廻ったことはありません、また近所の人の廻っているのを見たこともありません、何故でしょうね?


写真左上は大阪市街のど真ん中を東西に貫く中央大通りを東へまっすぐに来るとここに至ります、ここが大阪東の果ていきどまりでここからは電車も車も生駒トンネルに入り、出た所が奈良県です。
ここまで来るのも大変で、神社の駐車場へはいるのにはまだまだかなりの時間がかかりますが、それでも皆さん辛抱強く待っておられます。


初参り橿原神宮から三輪明神 ②

2008-01-06 16:10:22 | Weblog


正月三が日には橿原神宮駅前から三輪明神まで奈良交通の直通バスが運行されてりるのですが、この日は利用できず、仕方がないので近鉄大和八木駅で乗り換えて大和桜井下車、タクシーで三輪明神参道まで1060円でした、二人で利用すれば時間も料金もバス利用とあまり代わりません。

正月三が日には広い参道も人で埋まりなかなか前へ進まないのですが、この日は比較的少なくスムーズに拝殿まで進む事ができました。





大神神社(三輪明神)(おおみわじんじゃ(みわみょうじん))
古来より本殿を設けず、背後の三輪山を神体山として祀る日本最古の神社。年間を通して様々な祭事が催される。大和国一の宮。


日本最古の神社として、遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)【大国主神(おおくにぬしのかみ)に同じ】が、自らの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を三輪山にお鎮めになり、大物主神(おおものぬしのかみ)の御名をもってお祀りされたのが当神社のはじまりです。

本殿は設けず、拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が今に伝えられています。境内をぬけて、三輪山の麓を通っているのが「山の辺の道」で、古代の面影が今に残り、古代のロマンを感じることができます。


神徳国造りの神様として、農・工・商すべての産業の開発、また医薬・酒造・方除など、世の中のあらゆる幸福を増進することを計られた人間生活全般をお守りいただく大神様です。
大和国一の宮・三輪明神として親しまれ、奈良県内はもとより、京阪神や関東方面など全国から多くの参拝があります。

『KsPLAZAより引用』

初参り橿原神宮から三輪明神 ①

2008-01-05 19:15:33 | Weblog




去る四日、三が日の我が家の行事も滞りなく済み、天気も良かったので、恒例の橿原神宮参拝から三輪明神初参りでした、毎年には三日の日にお参りするのですが今年は四日になりましたので、比較的人出もすくないようでしたが、あまり混んでも困りますので丁度よい具合でした。写真は一の鳥居前広場の駐車場。







橿原神宮内拝殿正面、この奥に本殿がある


記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、明治23年(1890年)に官幣大社として創建された。

昭和15年(1940年)昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。

初詣の時期や2月11日の建国記念の日に行われる紀元祭には、特に多くの参拝客が訪れる。また、建国記念の日には右翼の街宣車が集結することでも有名である。

橿原神宮を含む一帯は南北に長い橿原公苑として整備されており、北側が神武天皇御陵、南側が橿原神宮となっている。県道を隔てた東側には陸上競技場と野球場があり、スポーツ競技の奈良県予選決勝の舞台として頻繁に利用されている。なお、公苑に隣接する施設として奈良県立橿原考古学研究所及び付属博物館がある。また、公苑の付近は多数の陵墓が存在する。社務所に当たる組織は橿原神宮庁と呼ぶ。

最寄駅は近鉄南大阪線・橿原線・吉野線の橿原神宮前駅。他、橿原線の畝傍御陵前駅および南大阪線の橿原神宮西口駅からもアクセスすることが出来る。

『ウィキベディアフリー百科事典より引用』