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通称「石切神社」。俗に「石切さん」として親しまれ、拝殿と神社入口(百度石)の間を行き来する「お百度参り」はご利益があるとして全国的にも有名となっている。また、「デンボ(腫れ物)の神様」として知られる。ただし、腫れ物の治癒に卓効があるとして信仰されるようになったのは昭和時代になってからである。
伝記上の創建は、神武天皇二年に、宮山の上之社(上ノ宮)が建てられたとされている。さらに、崇神天皇の代に下之社に可美真手命が祀られたとされる。 実際の創建年月は、過去に戦乱で神社が焼失し、資料が残っていないため不明。
当初は上之社が本社だったが、明治5年(1872年)6月に上之社を合祀し、下之社が本社となる。同年12月に上之社を分離して村社に列する。明治40年11月に再び上之社は本社に合祀されるが、昭和47年(1972年)3月に跡地に上ノ宮を再建。
現在の祭神は「饒速日尊」(上ノ宮)および「可美真手命」(本社)。
物部氏の有力支族である穂積氏が祭神を祀ったとされ、物部氏ゆかりの神社である。
本社の南に大きな山門があり、屋根上には劔箭が天をさしている。
さる六日の日曜日、自宅ちかくの石切さんは、三が日ほどではありませんが好天に恵まれかなりの人でにぎわいました、参道筋は道幅も狭いので三が日にはなかなか前へ進みませんでした、この日はそれほどではありませんでしたが、それでも大変な人出でした。
ここ石切神社では、365日お百度参りをされていない日はほとんど無いくらいです、朝ははやくから、日の暮れるまで人は絶えません。
左手に持っておられるのが、お百度ひもで、こよりの様なひもを百本持ち一周りするごとに一本ずつ折り数えてゆきます、写真をよくみていただければ左手に握っておられるのがわかるとおもいます、ちなみに私は廻ったことはありません、また近所の人の廻っているのを見たこともありません、何故でしょうね?
写真左上は大阪市街のど真ん中を東西に貫く中央大通りを東へまっすぐに来るとここに至ります、ここが大阪東の果ていきどまりでここからは電車も車も生駒トンネルに入り、出た所が奈良県です。
ここまで来るのも大変で、神社の駐車場へはいるのにはまだまだかなりの時間がかかりますが、それでも皆さん辛抱強く待っておられます。