トラ応援と観光記

トラキチ『キリジイ』のブログ
観光 他なんでもあり記

独り言

2006-01-31 16:45:23 | Weblog


ホリエモン問題、国会で大事になっている。なんで民主党が鬼の首でもとったように、
騒ぎたてるのか,じいさんにはわからん。
衆議員選挙の時点で誰もホリエモンがあんなインチキをしているとは思っていない。
わかっていれば、竹中さんも、武部さんも、応援などする筈がない。
じいさんも知らなかったので、ずいぶんと応援した。
その道のプロである各證券会社もライブドア株を投資に問題なしと判断しそれも
上位に位置ずけていた、各メディアも同じである。民主党も知らなかった筈。
それを民主党は自民党幹部があたかも知っていて応援したかのように話を
ふくらませて攻め立てている。本当に大人気ない。
それよりもっと大事な法案が山積されている中、多くの税金を使って開かれている
国会の大切な時間を無駄にしてほしくないと思うが。

ただ、ここにきて森派の政治家の中にライブドアとの間になにかキナクサイ匂いも
しだした。三点セットとか、四点セットとかいわれているが、しっかりとした
対応をしないと、もしかしたら小泉政権九月までもたん。

これ今日の独り言。







寒牡丹

2006-01-31 10:25:33 | Weblog


前にすこしブログに載せたことがある、二上山、山麓にある当麻寺奥の院の冬牡丹。
写真は去年のもの、今年も行く予定で、寺に問い合わせると、もう終りに近ずいて
いるので早く来てくださいとの事。
今日はPCボランティア、明日はカラオケクラブで行けない。
昼からでも行けるので、折りをみて行こうと思う。

尚 当麻の里は相撲の発祥の地でもある。


好天に誘われ生駒に登る

2006-01-30 09:09:58 | Weblog
昨日、日曜日風もな雲もなく気温も12度、好天に誘われて生駒山へ登る。
少しコースを変えて、辻子谷(ずしたに)を登ることにする。
自宅の裏がハイキングコースになるので、昼食後すぐに登り始めた。
このコースはとにかく小さなお地蔵さんが多い。
急坂を登ること1・30分、山頂付近に到達そこから遊歩道を南へ暗峠をめざす。
暗峠からは国道308号線を下り枚岡公園に至り、帰宅。
所要時間3・30分、歩数、一万七千歩になった。
歩いているとき、歩いたあとの充実感はなんともいえない。


このコースは生駒へ登るいくつものコースのなかで一番険しいコースになる。



このあたりはだいぶ山頂に近い。



左の写真は国道308号線、普通車が1台通る広さしかない。
道なりにこの道をたどると暗峠を越え、奈良市内に入り東大寺大佛殿あたりにでる。
右の写真は、松尾芭蕉の句碑『菊の香にくらがり登る節句かな』とある。


元官幣大社河内一宮枚岡神社

2006-01-28 16:14:31 | Weblog
昨日天気もよく暖かかったので午後からハイキングに出かけた、
いつものコースを辿り暗峠に至る、帰りは神津嶽コースを下る。
いつもは見逃していたが、神津嶽枚岡神社の標識が目には入り、
すこしコースをはずれて神津嶽へ登る。
そこには小さな枚岡神社が鎮座していた。


神津嶽頂上にある枚岡神社


訂正(枚岡神社創紀の地なりの紀は祀の誤り)


昔は平岡神社であった、元春日とは奈良の春日大社は此処から遷宮されたと云う意味。
普通神社は狛犬であるが此処は枚岡神社は鹿がかわりをつとめる。


今の枚岡神社、後の山が神津嶽 節分には午後五時から、あずき粥がふるまわれる。



清水寺

2006-01-25 17:01:19 | Weblog

清水寺の仁王門



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清水坂



清水坂

清水寺へ向う参道はこのほかにも二年坂、三年坂などがあるが矢張りこの清水坂がいちばん賑あう、シーズンともなると修学旅行生や外国の観光客でこの坂はごったかえす。
この日は観光客もすくなかったが、それでもハングル文字の旗をかかげたガイドさんの後を多くの人が続いていた。写真に写っている人はほとんど韓国人らしい。
初弘法市で歩き回りつかれたので,何回も来ている清水寺へははいらずに,店を冷やかしながら生八ツ橋だけを買い帰る事にした。バスの停留所は坂を下ったところにある、京都のバスは市街地ではどこまで乗っても一回220円で大変安いのでおすすめ。



西大谷廟

2006-01-24 15:18:46 | Weblog

西大谷本廟仏殿(本堂)



明著堂(納骨堂)
我家のご先祖もここで眠る。




西本願寺の墓所、右側にある墓石はずっと谷の底までもの凄い数である、文人の墓が多く司馬遼太郎さんの墓もここにある、盆になるとここは関西地方のテレビでその賑わいが放映される。
この細い道を10分ほど登るとそこは清水寺。


大谷本廟HPより
親鸞聖人は、弘長2年(1262)に90歳で往生され鳥辺山で火葬に付され、鳥辺野北の大谷に納められました。その後、聖人の末娘の覚信尼(かくしんに)が、吉水の北辺で現在の知恩院山門の北にある崇泰院(そうたいいん)付近に改葬して廟堂を建て、ご影像を安置したのが本願寺の始まりです。1603年に徳川幕府の命により廟堂を五条坂の現在地に移転し大谷本廟となりました。

西本願寺 ②

2006-01-24 13:38:23 | Weblog

浄土真宗西本願寺阿弥陀堂




阿弥陀堂門 修理中の御影堂の前にも同じ様な規模の御影堂門がある。お寺の中から写す。



修理中の御影堂



阿弥陀堂内ご本尊前



阿弥陀堂内 御影堂内には修理中のためお参り出来なかった、御影堂も阿弥陀堂と同じ様な規模である。
この後、運行されている無料観光バスで東山の西大谷廟へむかう。

西本願寺HPより

本願寺は、宗祖親鸞聖人によって開かれた浄土真宗本願寺派の本山で、当初、聖人の廟所(墓地)のあった京都東山に創建されました。その後、各地に寺基を移しましたが、天正19年(1591)豊臣秀吉により寺地寄進を受けて現在地へ移ってきました。伽藍は移転後直ちに整えられ、寛永10年(1633)頃にはほぼ今日に近い姿となりました。

桃山文化を代表する建造物や庭園が今日まで多く残されており、平成6年(1994)12月に、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づき、世界文化遺産に登録されました。

西本願寺 ①

2006-01-23 13:47:15 | Weblog
東寺から歩いて約20分で西本願寺に着く、我家の宗派は西本願寺であるので此処には毎年のようによく来る。


この写真は寺の北側の塀で京都市街のど真ん中でこれだけの大きな敷地がある、道の左側が駐車場。


西本願寺信者用の無料駐車場、ここから土日、祝祭日には東山西大谷廟への無料バスが運行される。盆、彼岸、縁日にはここも一杯になるが今日はすいていた。


西本願寺HPより
聞法会館は西本願寺の宿泊施設です。ご参拝に、団体旅行、個人旅行に、どなたさまにもご利用いただけます。
1泊2食付  11,550 10,500 9,450
 ・ご夕食コースにより料金が異なります
1泊朝食付  7,350
1泊素泊  6,300

この写真は横の出入り口で正面玄関はもっと立派。観光ホテル並の施設が整っている。



聞法会館内の観光ホテルなみの大きなレストラン、値段も安い。

京都東寺初弘法市 ②

2006-01-22 14:29:40 | Weblog
弘法市は毎月21日にあるがとくに12月の終い弘法と1月の初弘法がとくに賑わう。
人がおおくてとてもみんな見て廻ることはできず、目的の品物も見つからず、あまり買うと荷物になるので、干し柿と干しイモ、干し鱈,すぐき(京名物かぶらの漬物)を買い帰ることにした。
車できていればもっと買えたが、市のときには大きな駐車場も店で一杯なので車ではこられない。この後歩いて20分ほどの所にある西本願寺へ向う。


雑踏を押し分けながらすすむが思うように歩けない


ここは少し通路も広く余裕がある、東寺五重塔が望める所。




沢山の植木屋さんがきていた、梅 ぼけの木など賑やかに並んでいた.




此処からは拝観料がいる金堂、講堂、五重塔などが拝観できる。(初弘法②東寺HP参照)


東寺HPより

元々”縁日”とは神仏がこの世と”縁”を持つ日とされており、この日に参詣すると大きな功得があるということです。東寺では祖師空海入寂の3月21日を期して毎月21日に御影堂で行われる御影供のことを指しています。
 当初は年に1回行われていたものが、1239年以降は毎月行われるようになったそうです。
一方、人々が盛んに参詣に訪れるようになったので、当時『一服一銭』と言われるごく簡素な屋台で茶を商う商人(茶店の前身のようなもの)が出てくるようになり、江戸時代には茶店だけではなく、植木屋や薬屋なども出てくるようになりました。これが現在の「弘法さん」の起源だと言われています。

現在では多数の露店が立ち並ぶ縁日となっていて、縁日を目的とする人も少なくなくなっています。
境内のすぐ横まで広がる露店は常時およそ1200~1300店ほどで、毎月約20万人ほどの人が訪れています。

その内容も様々で、骨董・古着・がらくたなどが売られていますが、フリーマーケットなどと違う点は「みんな一般の人」ではなく「業者さん」が出店しているところでしょう。ほとんどの方が別の場所でお店を構えていて、弘法さんの日には露店を出している、といった感じです。

弘法さんは毎月21日の朝5時ごろから夕方4時ごろ(日没ごろ)まで終日行われていますが、開店・閉店時間は季節や天候、出店者によって変化します。基本的には雨天決行ですが、たとえば古着屋や骨董など雨に弱い商品の店は開店休業状態だったりもします。

お客さんの層もご年配の方だけではなく、若い方や家族連れ、外国人の方なども多く、歴史ある弘法大師信仰の場と立ち並ぶ露店、店の人とのやりとりや珍しい品々を見ているだけでもとても活気ある楽しい縁日です。
また、毎月第一日曜日には骨董市(がらくた市)も開催されており、こちらも大盛況です

京都東寺初弘法市 ①

2006-01-22 10:19:31 | Weblog
作日、21日は初弘法市が東寺で開かれるので家内と出かけた、近鉄奈良線で西大寺で乗り換え
京都行き急行に乗り京都のひとつ手前、東寺駅下車東寺へ向う、多勢の乗客がここで降りたがほとんどが東寺へ向っている、東寺まで1キロほどの道は人でうまり大層な人出である。



寺域の外の道路にも出店が並び行く人帰る人がぶつかり大変な混雑。





道路の半分は店が占拠あとの半分が通路になる、車の通る道路は国道1号線、写真は骨董屋



人をかきわけやっとのことで此処まで辿りついた、この門から中に入る。


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中へ入ればこのとうり中も大混雑、このような通りが幾筋もあり、またこれと交叉する横の通りもあり、広大な境内は人で埋まっていた。


東寺HPより

東寺(教王護国寺が正式名称)は平安京遷都(延暦13年・794年)の際に正面入り口の羅生門を挟んで延暦15年(796年)に東西に建立された寺院の一つで、またの名前を左大寺ともいいます。
西寺(右大寺)も建立されていたと伝えられていますが、現在は東寺しか現存していません。当初の目的は左京、更には東国の鎮護を目的としていましたが、弘仁14年(823年)に嵯峨天皇が空海に東寺を勅使したことから真言密教の根本道場の意味合いを持つようになりました。
兵火等で創建時の建物は失われており、現在の堂宇は奈良時代の伝統的な伽藍配置をふまえて再建されたものです。多数の国宝、重文を有することで知られており、ことに密教美術の宝庫として名をあげています。
 金堂は弘仁14年(823年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)に与えられたと伝えられており、東寺が本格的に活動を始めたのは、空海がこの寺に入ってからであるとされていて、そういった意味でも弘法大師信仰の強いお寺です。


東寺の伽藍配置は奈良時代の寺院建築形式で、南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)・北大門が一直線に並んでおり、南大門の東に五重塔、西に潅頂院、その北に空仏像、空海の遺品など多くの文化財が保存されています。宝物館では年2回、春(3月20日~5月下旬)と秋(9月20日~11月下旬)にご宝物が公開されています。