トラ応援と観光記

トラキチ『キリジイ』のブログ
観光 他なんでもあり記

千燈明奉納踊り

2005-08-29 15:33:05 | Weblog
28日昨夜、東大阪枚岡神社に於いて千燈明踊りが奉納されました。
枚岡神社は、生駒山系神津嶽山麓にあり、
河内一の宮、元官幣大社であります。奈良の春日大社もここから分祀されたと伝えられ、それで元春日とも云われ、古代藤原氏の氏神でもありました。



神社参拝道の千燈明



風の盆唄を奉納する踊子さん



風の盆唄を奉納する踊子さん



エンヤコラセーエ、ドッコイセエーと本場河内音頭を踊る踊子さん、昨夜はわりと涼しく踊子さんも大変熱がはいって楽しそうでした、ほとんどが昔の娘さんでした。元気のある娘さん達です。


郵政民営化問題 3

2005-08-25 15:27:34 | Weblog
いよいよ総選挙が近づいてきた。

今度の選挙は大変面白い選挙になる、国民にとって最も幸せな選挙になる、何故なら自民が勝てば小泉、民主が勝てば岡田、総理大臣を国民が選べるのだから非常に分かりやすい。
今までなら森総理が誕生した時の様に滅茶苦茶な選びかたで一国の総理大臣を選び、
結果国民の支持率たしか5%ぐらいだった、100人に5人、この様な事を今までの自民党は続けて来た。
小泉さんはそれを完全にぶっこわした、郵政民営化問題もわかりずらく問題点も確かにある、しかし郵政民営化と云う橋を渡って諸改革の山積している向こう岸に着かなければ何も出来ないと思う。

自民党反対派議員は解散できないとの読みで猛烈に反対した、連中は郵政民営化はどちらでもよく、要は小泉さんの首を取りに行っただけ、ほとんどの反対議員は此の事分かっていたはずで、首を取り損なって今度は自分の首が危なくなって来た、ここにきて郵政民営化反対ではなく法案の中身が気にいらんと云う、180時間近く審議してほとんど骨抜き法案にしたのは誰か。

兎に角あれだけ大きな不良債権をかかえ、日本経済をどん底に突き落とした銀行、その処理を先延ばしにしょうと計る銀行を、説き伏せ強引に不良債権処理をすすめた竹中大臣 小泉総理、結果今日不良債権は健全な状態になり経済も上向いてきている、この一事をもってしても小泉内閣は信用できる。

この時も例の反対派の連中、民主党はその手法に猛烈に反対した。

今度の選挙は大変意義のある大切な選挙です、総理大臣を選べる選挙なんて滅多似ない、
いずれを選ぶにしろ、必ず投票所に行き意義ある一票を投じてほしい、地域の為にではなく、日本の国の為に。








タイガース鯉を料理

2005-08-24 10:18:21 | Weblog
タイガース11年ぶり死のロード勝越し。

ロードに入る前はどうなることかと心配したが、案ずるより産むがやすし、ほっとした。
昨夜は井川も気合をいれとった、5安打97球完投久しぶりに井川らしい投球をした。

JFKを温存できたし貯金も22、このまま中日が勝てば阪神も勝ち中日が負ければ阪神もまければええのとちがうか、そうそう勝ってばかりとはいかんし、これからはいよいよ正念場ペナントレースも佳境にはいる。

今夜も福原で鯉料理。    
 


やっぱりアニキや

2005-08-21 14:08:27 | Weblog
桧山の牽制死、鳥谷とんねる 藤本はじいたあとの大暴投、こんな草野球やってて勝てるのかと思ったが、勝てるときはどんなことをしても勝てるもんや。

杉山の好投が大きい、ピッチャー強襲を足にあてるは、首にデットボールくらうは散々やったがほんとよう頑張った。

極めつけはアニキの満塁ホームランこれで決まり、檜山のホームランもきいたな。

JFKを休ませたのも大きい、これで2日休んだので今夜も大丈夫   


阪神負けたし桐蔭も負けた

2005-08-20 09:12:18 | Weblog
昨日は昼桐蔭が負けたのでなんか嫌な予感したら、案の定。

タイガースぼろまけ、前日の安藤といい下柳はどないなったんやろ、ピッチャーは投げてみなわからんもんや。まあいいか、JFKが休めたし、中日も負けてくれたし,今日は頑張ろ。

大阪桐蔭負けるべくして負けたな、個々の選手は素晴らしい才能があるがチームとしてみた場合、気迫、精神力、礼儀、どれも苫小牧に劣っていた、一番端的に表われたのが最後の平田のバッターボックスの第1球ストレートど真ん中を見逃したちじんでもて手がでない、あれをみて、こらあかんわと思ったら案の定三振 マスコミに書き立てられうわついてないで、桐蔭はもう一度高校野球の原点に立ち戻って基礎からやり直さなあかん、苫小牧高校と云う素晴らしい見本と試合できたのだから見習ってほしい。


勝利三連発

2005-08-18 14:32:11 | Weblog
タイガース福原の好投とJFKの必勝リレーで勝利。
矢張り打線が今ひとつ、前半毎回のように先頭打者を塁に出しながら点にならない、ちょっと気になる。  今日は安藤、今は安藤が一番安定しているので多分大丈夫だろう。

大阪桐蔭 逆転勝利 平田がなんと一試合3本塁打1二塁打6打点どえらい選手がでてきたもんや。 明日は駒大苫小牧戦相手も調子を上げてきている、辻内
の連投が心配。

ジーコジャパン も勝ったな、またしても大黒の決勝弾、なんだかんだといわれながら、
アジア1位通過立派なもんや   



私の大東亜戦争其の3(俳句集)

2005-08-13 17:27:41 | Weblog


この俳句抜粋集は古い資料を新たに私が編修し直したもので、この句集には四季折々の疎開生活が実に詳しく表現されています、一部紹介します。

疎開児童俳句集抜粋より

初霜や 霧深くして 鳥の声
冷え冷えと 冴えた空なり 冬の月
年の暮れ 捷利するまで 頑張ろう
勝ち抜かん 年の始に 雑煮餅
雑煮餅 おいしかったと 便り書く
雪達磨 ルーズベルトの顔書いて
雪とけて 日本晴に 鳶舞ふ
家々の 軒に賑あふ 干かぶら
炭焼の 煙ゆるがす 春の風
春の山 霧につつまれ 小鳥啼く
田螺取り 父に見せたい 送りたい
学童は 軍歌歌って よもぎつみ
あこがれの 日本へ来たか 燕達
五月雨や 色鮮やかに 花の露
開墾の 帰る道々 ほたるがり
すげ笠が 居並び会える 田植かな
田草とり 皇国の為に 年寄りも
行水や 月見て思う 郷の母
金色の 波に飛び交う 稲すずめ
開墾の 鍬先に咲く 野菊かな
しとしとと 淋しい夜に 秋の雨
とんびとぶ 秋空高く 牛の声
秋祭り 赤いはな緒のじょじょ 穿いて
山々に ぽつんぽつんと 初紅葉

以上五百六十二句の中から抜粋しました、小学五年生にしては良く出来ているとおもいます。
まだまだ良い句が沢山ありますが、長くなるので終わります。

私の大東亜戦争其の2

2005-08-13 16:32:36 | Weblog
 

昭和十九年九月 大東亜戦争も末期、大阪も空襲の危機が迫りつつあり、都会の学童を守り、保護する観点から政府の方針で、安全な地方へ疎開することになりました。集団で先生が引率してお寺などへ疎開する集団疎開、又、親戚などを頼っての縁故疎開、どちらかを選ばなくてはなりません、大阪に残ることは許されませんでした。

私達 豊崎第三国民学校(今の阪急中津駅近く)五年生の集団疎開先は京都府天田郡上川口村字夷、大信寺と決まり、そこで私は父母が選んだ集団疎開へ行くことになりました。

大信寺はJR福知山線の福知山駅の次の駅、上川口駅から山間部に入り、山の中腹にある禅宗のお寺で、栗庵様と云う大変な文化人である和尚様のおられるお寺です。

当時国民学校五年生虚弱体質で身体も弱く大変不安であったのを今でも覚えております。母から裁縫の仕方、布団のたたみ方,服のたたみ方などを教えてもらい、持って行けるものは、行李一つと確か、布団が三枚ではなかったかと思います。

大信寺での生活はそれはもう厳しいものでした。特に当時の福知山地方の冬は厳しく寺の軒先には太いツララが何本もぶら下がり、雪も深く、大阪ではまったくみられない光景でした。今の様に恵まれた暖房もなく、炬燵もありません、障子一枚外は雪景色、雪明りが部屋の中を明るくし電気を消しても部屋はそう暗くはないのです。そんな中、手足の指はシモヤケで赤く腫れ、肌着には一杯虱をわかし暖かい日には縁先にみんなならんで日向ぼっこをしながら虱取りをしたものです。

辛さに負けて脱走して連れ帰される子も二三人出て来ましたが、それでもみんな懸命に頑張っていました。楽しみは矢張り食事で、決して満足のゆくものではありませんが大西先生から何回も良く噛んで食べるようにと、そうする事で少ない食事でもお腹は満たされると教えられ、そして頂く前に合掌して たなつもの もものきぐさもあまてらす ひのおおかみのめぐみえてこそ と合唱して頂くのです。

特に栗庵和尚様に依るご教養豊かな俳句のご指導。これは学童達に希望を与え、大変な勉強になったと今でも思い、この様な立派な方に俳句を習った事は誇りにも思います。
この、時季、折り折りに読まれた俳句を俳句集として栗庵和尚様が綴られ、大西先生が疎開学童俳句集として編修されました。これを読めば季節季節に学童達がどの様に逞しく生きたか、俳句集には少しも暗さは無く、明るくて、その生活の様子が凝縮されています、

大信寺の黙外(栗庵)和尚様、信道和尚様、文道和尚様、ご家族の皆様とは三代、六十年にわたって今もご交際いただいており、この様な例は他にはあまりないと思います、本当にありがたい事で感謝致しております。戦時中,日本人は皆、人それぞれがそれぞれの大東亜戦争を経験しましたが、私の幼いときの幼いなりの大東亜戦争も八月十五日敗戦によって終わりました。

ほしがりません勝つまではと、教えられ歯をくいしばって頑張った疎開生活、苦しくはありましたが、今にして思えば貴重な体験、得がたい経験として、私の今まで六十年の人生に大いに生かされていると思っております。    以上俳句抜粋集 追記より

                              写真は大信寺山門



私の大東亜戦争

2005-08-13 16:00:58 | Weblog
大東亜戦争終戦六十周年に当たり新聞各紙も戦時中の悲劇、惨劇を盛んに取り上げているが主に兵隊さんの秘話、実話です。
そこで今回戦時中都会の小学生学童がどのように過したか私の経験から記してみます。



大阪市豊崎第三国民学校 小学五年生男子疎開児童



大阪市豊崎第三国民学校 小学五年生女子疎開児童



男子疎開児童



女子疎開児童



本堂での食事風景 合掌し、たなつもの もものきぐさもあまてらす ひのおおかみの めぐみえてこそ と合唱していただいた、食器は海軍食器。



疎開先 京都府天田郡上川口村夷(現 福知山市夷) 大信寺から見た夷村風景

タイガース勝ち越し

2005-08-12 15:27:46 | Weblog
中日との3連戦勝越しは大きい、攻撃陣も本来の勢いを取り戻している。

中日の勢いが凄かったので大丈夫かなと思ったが、
なかなかタイガースもたいしたもんやまけてへんで。

第一戦こそ井川のいつものパターンで大負けしたが、二戦三戦はきっちり物にした。
もともと投手陣はしっかりしているので攻撃陣に勢いが付くと鬼に金棒中日といえども怖くない。

この調子で今日の巨人戦も下柳でいただき