トラ応援と観光記

トラキチ『キリジイ』のブログ
観光 他なんでもあり記

ハム、トラの真似するな

2007-10-31 14:19:32 | タイガース


日本シリーズの日ハム、初回に大量7失点、タイガースと同じような負け方をしている、野球は投手力とつくずく考えさせられる。ハムにはダルビッシュという守護神がいる、タイガースにはいない、岡田監督は育てるというが、その素材がないのにどないするのやろ。 見るところどうも中日が優勝する可能性が高い。

赤福餅の偽装が発覚したと思ったら、今度は御福餅。どうも福というのが怪しい、福田餅はどないやろ。更に吉兆、目出度い名前にには注意しましょう。

守屋氏、証人喚問で便宜供与を否定、こんなの誰も信じない、見返りなしの無駄金出す馬鹿がいるものか、ではなんで莫大な金を出してくれた理由を聞かなかったのか、痒いところに手のとどかない証人喚問でした。

先の立てこもり犯に撃たれ、目の前に倒れている警察官同僚を5時間も放置する警察上層官僚。

軍歌『麦と兵隊』
戦友(とも)を背にして道なき道を
行けば戦野は夜の雨
すまぬすまぬを背中に聞けば
馬鹿を言うなとまた進む
兵の歩みの頼もしさ

戦友は絶対に放置しない崇高な精神はもう今はありません、誰が危ない橋を渡りますか。

40度を超えるインド洋で肉親の不幸にも帰国せずに任務を遂行している自衛隊員をあざ笑うかのように防衛省幹部の接待漬けの現実、このような人間が日本の国防、治安の指揮をとっていた。寒気がする。




亀田興毅の謝罪会見

2007-10-26 14:25:23 | Weblog

先程謝罪会見があったが、興毅選手を見直した、言葉足らずで、年にしては未熟な面もあったが、その誠意は充分伝わってきた。この前のブログでこの親にしてこの子あり、と書いたが、興毅選手は親を超えている。
人前に出て説明責任を果たせない親に代わり、心無い記者連中のきびしい質問にも言葉は下手で詰まりながらも真摯に答えていた姿を親はなんと見たか。

しかもそんな親でも俺たちには世界一の父親であると。泣かせてくれる。
親殺しが頻発する世相、世のお父さん方、世界一の親であると言ってもらえる自信があるだろうか、家庭内で母親の権限の増した今では父親の影は薄い。
史郎氏のボクシングは間違っていたが、子育ては間違っていなかったらしい。
亀田三兄弟は必ず親離れが出来、立派なボクサーに生まれ変わると期待している。

マスコミはこぞって亀田一家、協栄ジムに謝れ謝れの大合唱しているが、一家を追い続け醜い一家に育て上げ、増長させボクシングを堕落させたTBSに謝れの声がない、あの謝罪会見でも民放各社は皆実況放映しているのに、TBSだけはしていない、できないのである。と言うことは、騒がせた罪は認めていることになる、それでいて謝罪しないし、同業他社も追求しない、これでは片手落ちである、記者連中に亀田一家を責める資格があるのか。兎に角この事件の元凶はTBSにあると思う。国を誤るとすればメディアと官僚と考えるが。



奈良公園周遊 ③

2007-10-23 19:35:26 | 旅行





大仏で知られる奈良時代の代表的な寺院で大仏殿は世界最大の木造建築物です。

天平15年(743)に聖武天皇が盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)建立の勅願を発令し、その大仏を安置する寺として国力を挙げて造営されました。

天平勝宝4年(752)に大仏殿が完成。以降次々と堂塔が建築され40年近くかかって寺観が整いました。都が長岡へ移ったあとも歴代天皇の手厚い保護を受けて、興福寺とともに栄華を誇りました。しかし、治承4年(1180)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を焼き払われてしました。

重源上人によって再興されましたが、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものです。 奈良観光協会HPより

奈良公園には年に一回か二回必ず訪れるが金堂大仏殿には入らず通りすぎていたが、
今回、10何年ぶりかで拝観して見たが、あらためてその壮観には圧倒された、やはり大きい、そばに立って見たものでないと分からないと思うが、写真の人物と建物を対比すればだいたい想像できよう。





東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、一般に「奈良の大仏」として知られる仏像で、奈良市の東大寺金堂(大仏殿)の本尊である。聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われたが、現存する像は中世・近世の補修がはなはだしく、当初の部分は台座、腹、指の一部などごく一部が残るにすぎない。「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

建物も大きいが大仏さんも大きい、写真、赤い矢印がしてある格天井の一枡が畳、四畳半の大きさがある,更に、下の写真の柱の穴をくぐる女の子の穴と、大仏さんの鼻の穴は同じ大きさである、思わず大仏さんの鼻を見上げた。今、日本に子供がくぐれるような大きな杉の木が何本あるだろうか、大仏殿にはこんな杉の木の柱が林立している。







南大門(国宝)
平安時代の962年(応和2)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。東大寺中興の祖である俊乗坊重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくようともいう)を採用した建築として著名である。大仏様の特色は、貫(ぬき)と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられる。門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重文)を安置する。
木造金剛力士立像(国宝)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
東大寺、もっと詳しくはここから


近鉄奈良駅から興福寺~猿沢池~浮身堂~春日大社参道~若草山~二月堂~大仏殿~近鉄奈良駅、と食事タイムをはさみ約4時間あるき歩き、万歩計は一万三千五百です、暑からず、寒からず、天気にも恵まれ快適な一日でした。

奈良公園周遊 ②

2007-10-23 13:28:01 | 旅行


浮身堂から春日大社参道を通り若草山へ向かう、今回は春日大社本殿拝観はパス。



奈良を訪れて最初に目に飛び込んでくる景色、それが芝生に覆われた三つ重ねの山、若草山です。  
毎年、成人の日の前日に若草山焼があります。夜空をこがす壮観さはまさに、炎の祭典というにふさわしい行事です
標高342m 面積33ha。山頂には、5世紀頃に築造のされた 史跡鶯塚(うぐいすづか)古墳があります。山頂からは奈良盆地を一望することができます。。

料   金 開 山 期 間 入 山 時 間
個人
大人150円 春期(2007年)
3月17日~6月17日 午前9時~午後5時
小人80円
団体(30人以上) 大人120円 秋期(2007年)
9月8日~11月25日 午前9時~午後5時
奈良公園HPより

ここには土産物屋、食堂も並んでいて、団体客もこのあたりで食事をする。
我々もお腹もすいたし疲れたので、一服、食事タイム。




東大寺の山手には修二会で有名な二月堂などいくつかのお堂があります。この四月堂は三月堂の向かいにありますが少しこじんまりとしており見落とされがちです。旧暦の四月に法華会が行われることから四月堂と呼ばれています。昔は毎日行われていて「いつも行う状態を○○三昧(ざんまい)ということから」三昧堂(ざんまいどう)とも呼ばれいます。

[東大寺] 二月堂
東大寺法華堂のすぐ北に位置し、毎年3月に修二会[しゅにえ](お水取り)が営まれることで知られる。修二会は旧暦2月に行われたことから、二月堂の名が付いた。1667年(寛文7)に火災で全焼。現在の堂はその2年後に焼失前の形そのままに再建された。懸造で、大仏殿の屋根を眼下に奈良市内が一望できる。本尊は絶対秘仏の十一面観音とされる。 yahooトラベルより



写真右が二月堂の舞台、ここでお水取りに炎の饗宴がおこなわれる。
森の向こうに少し屋根が見えるのが大仏殿、その向こうにかすむ山が生駒山。

<centre>
二月堂裏参道は写生のスポットとして人気があり、この日も3人ほどの人が描いておられた。

二月堂宿坊は今でも講の方々、修行僧の人々に利用されているそうです、ここにはお茶所もありセルフサービスのお茶も無料で弁当も使えます。

裏参道から大仏殿へ向かう途中わずかに紅葉が見られました、全山紅葉まではまだまだ時間がかかりそうです。

この後大仏殿へ向かいましたが、次回のブログにいたします。

秋、奈良公園周遊

2007-10-22 13:34:06 | 旅行

昨日、日曜日あまりに天気が良いので家内の提案で、奈良公園を散策する事に、
9時に自宅を出発、近鉄奈良線利用、約40分で奈良駅到着、先ず興福寺へ向かう。
興福寺の写真①興福寺北円堂では特別開扉が行われていたので拝観することに、拝観料300円です。

『この北円堂は、養老5年(721)興福寺の創建者である藤原不比等(ふじわらのふひと)の一周忌に、元明・元正天皇が長屋王(ながやおう)に命じて建てさせた八角堂です。創建当初は単に円堂と呼ばれていましたが、平安時代初めに南の方に新しく円堂が建てられたため、新しい堂を南円堂と呼び、古く建てられていたこの堂を北円堂と呼ぶようになりました。このような八角形のお堂を円堂といいますが、これは亡くなった人の霊をなぐさめるための建物です。

現在の建物は、治承4年(1180)の火災の後、承元4年(1210)頃に再建されました。華麗で力強く、優美な建物で、日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと絶賛されています。鎌倉時代の建物であるにもかかわらず、奈良時代創建当初の姿をよく残しています。』 興福寺HPより

写真②の遠くにかすむのが興福寺五重塔、寺域の広さが感じられます。

写真③は興福寺南円堂

南円堂
西国三十三所第九番札所として多くの参拝者で賑わう。弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父 内麻呂(うちまろ)追善の為に建てた。基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が関わったことが諸書に記される。
不空羂索観音菩薩像を本尊とし、四天王像が安置されている。興福寺は藤原氏の氏寺であったが、藤原氏の中でも北家が摂関の職に就くと、その祖である内麻呂・冬嗣ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特別な位置を占めた。不空羂索観音菩薩像が身にまとう鹿皮は、藤原氏の氏神春日社との神仏習合を如実に物語り、藤原氏の信仰を集めた。創建以来四度目の再建で、寛保元年(1741)に立柱された。江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古様とされる。
毎年10月17日に特別開扉。   興福寺HPより

写真④は何円堂より望む塔、塔の下を通り猿沢池へ向かう。



猿沢池から興福寺五重塔を望む、ここは写生のスポットでも有名。

奈良公園にある周囲360メートルの池。興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、奈良八景のひとつとなっている。

『興福寺が行う「放生会」の放生池として、天平21年(749年)に造られた人工の池である。放生会とは、万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式である。現在、猿沢池園地として整備され、市街地に近いこともあって市民の憩いの場となっている。

猿沢池七不思議
澄まず
濁らず
出ず
入らず
蛙はわかず
藻は生えず
魚が七分に水三分
猿沢池の水は、決して澄むことなくまたひどく濁ることもない。水が流入する川はなくまた流出する川もないのに、常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるが、なぜか蛙はいない。なぜか藻も生えない。毎年多くの魚が放たれているので増えるいっぽうであるにもかかわらず、魚であふれる様子がない。水より魚の方が多くてもおかしくないような池。 フリー百科事典『ウィキペディアより


浮身堂、ライトアップされる時期もあり、桜の季節が特に綺麗、奈良公園でただ一つボート遊びの出来るところ。
観光案内にもあまり紹介されていない、穴場的な所。

亀田家の落日

2007-10-17 19:16:28 | Weblog


JBCの処分も決まり、謝罪の記者会見も行われたが、亀田親も子も全く大人の対応が出来ていなかった、大毅は無言、先輩を口汚く罵ることは出来ても、謝罪する言葉も知らなかった、闘うすべは教えられても人間として最低限の常識すら教えられていない。親、史郎にしても公の席で使う言葉も知らない精神年齢の低さをさらけ出していた、まさしくこの親にしてこの子あり、こんな一家の為に日本中が熱狂、悲しくなってくる。天網恢恢疎にして漏らさず、道に外れたことをすればこうなる。

亀田一家を野放図に増長させ、ボクシングを堕落させたTBSの企画、立案した責任者は謝罪しなくてもいいのか。こちらの方が罪は重いと考える。
にもかかわらず、事が起こると一転、こんどは一家を批判している、朝ズバでもどれだけ一家を持ち上げたか、日頃なにかあると公器、公器というが聞いて呆れる。

ボクシングの事は素人で詳しくわ分からないが、亀田3兄弟はかなりの素質があるらしい、酒も飲まず、タバコも吸わず、練習に励む態度はボクサーなら当たり前とはいえ見上げたもの。

本当の根性があるなら、キッチリ謝り、3兄弟は親離れをして、それぞれが独り立ちをして、先ず師弟間、先輩、後輩の礼儀作法から学び、精進して立派なチャンピオンを目指してほしい、さすれば日はまた昇る、世間もあたら逸材を潰す事のなきやう、特にメディアに望む。


枚岡神社秋祭り

2007-10-16 10:41:04 | Weblog



14日、15日、東大阪、河内一ノ宮枚岡神社の秋祭りがあり、近郊から大勢の人がつめかけて賑あいました。写真の布団太鼓も総て宮入すれば23台にもなります。東大阪ケーブルテレビの実況中継も放映されていて、時間によっては広い境内が人々で身動きの出来ない程でした。



今年は2日間天候にも恵まれ、露店も境内から周辺道路にかけて500軒ほど立ち並び東大阪の一大イベントでもあります。写真に中に見える鉄路は近鉄奈良線です。

河内枚岡神社のHPはここから

2007年のタイガースは終わりました

2007-10-15 15:03:55 | タイガース

05年の日本シリーズ、対ロッテ戦4連敗の屈辱を思い出した、なんで岡田さんはここ一番にこうも弱いのか、先ず気迫がない、前監督の星野さんのようにケツを蹴飛ばしてでも活を入れる積極性が欠けている。落合監督は頭を丸め選手に活を入れ、気合を込めてかかっているのに、ただ漫然と馬なりに戦っていたのでは、はなから勝負にならないのはあたりまえ、監督勝負で負けている。

今朝のスポーツ紙にコーチングスタッフ大刷新と出ていたが、これなんかもトカゲの尻尾切り、大戦犯岡田さんである、折角、星野前監督がダメトラを戦う集団に育て、残した資産を4年で食い潰してしまった責任は重い。コーチだけの責任ではない、コーチの言い分も聞きたい。こんなことでは来年も危ういと思う。

昨日の下柳と同じで、今年途中から一軍に上がったルーキーの上園を責めることは出来ない、8勝あげているとはいえ一軍経験不足のルーキー、あまりにも重責すぎた。彼がいたればこそCSに出られたと思う。彼を出さざるを得ない先発不足が問題である。

打線ではこの2試合とも赤星、鳥谷の弾頭が全く機能せず、更に今岡も2試合で1安打今岡の来期は赤信号では、また桧山が退団と報じられていたが、遅すぎた、阪神の為を思うなら後進に道を譲る意味で片岡と一緒に去年退団するべきだったと思う、今岡も?

いずれにしろトラキチも遂に年貢の納め時です、2007トラ情報お付き合いいただき、沢山のアクセス有難う御座いました。

これからも諸事ブログ致して参りますので、お暇な時にお越しくださいますよう。





阪神 良いとこなしの完敗

2007-10-14 10:40:06 | タイガース

こうなるのではないかと案じていたことが、現実になりました。
初回一番打たれてはならないウッズにホームラン、もうこれで決まりでしたね、あとは無気力になすすべもなく完敗、虎が猫に、トラキチはヤケ酒で二日酔い。

久保田も例によって例の如く、コンコン打たれて最後にドカンと4点献上、もう救いようがない。

打線も川上に2安打、全部で散発5安打、対して中日は13安打淋しいです。

下柳の打たれたのは致し方ない、彼しか第一戦をまかせられるピッチャーがいないのが問題、それといきなり関本のエラー、後、盗塁これで下柳の立ち上がりが狂った、大事な試合エラーは命取りです。

指揮官の気合も違った、落合監督は頭を丸めて決戦に臨んでいる、岡田監督はどんな覚悟でナインを指揮したのか、結果が総てです。


亀田親子反則指示

2007-10-13 14:35:00 | Weblog

各紙朝刊に『北沢鈴春事務局長は「父親が急所を狙えと指示し、興毅がひじで目を打てと発言したのをビデオで確認した」と明言している。』と出ていたが全くひどい話、モラルもなにもあったものでない、この一家はボクサー以前の人間失格、全員比叡山にでも籠もって心を鍛えなをさな救われん、すずめ百までそれでもなおらんか。

高視聴率でもTBS喜んでられへんで、一家をここまでのぼせあがらせた責任の一端はTBSにもある。もう贔屓にするのもいい加減にしてほしい。