国立へ

駅舎などの歴史解説もあります。

国立といえば、大学通り。

夏休みには、柔道着を肩にかけて、下駄を履いてカランコロン。

国立は、約100年前に箱根土地(プリンスホテル)が開発した学園都市。

部活や体育の授業で、学校の周りの道路を走った。
東京では積雪25センチで、45年ぶりの大雪だと、ニュースが流れていた。
このところの寒気で、路面は冷え切って、降った雪は溶けることなくどんどん積もる。
昼と夕方に2回、マンション前の歩道の雪かきをやってみました。雪かきは長野以来久しぶり。
30分くらい頑張って、戻ってみると、さっき除雪したところがもう積もってる。がーん。
最初は金のスコップでがりがり。歩道のインターロッキングブロックが現れるまでやってたけど。雪国の人は、こういう時に、どこまで除雪するのだろう。
2回目は、雪国仕様の除雪スコップ。ダンプというらしい。これは作業が楽だけど、薄く雪が残ってしまい、歩道がりがりには向かないみたい。
強い風が、地吹雪を起こして、せっかくの除雪を消してしまう。
作業をしていると、音が聞こえたのか、一緒に作業する人が現れるのが嬉しい。
1回目は、60過ぎたおじさん。除雪が見事なほど上手、素早く、丁寧。この方は、朝早く横断歩道で旗を持ってる人。頼りになるね。
2回目は、女性。姉だったので驚いた。母のところに来ていたらしい。そのあと、たぶん親子の女性3人。重たいスコップを持って、すごいなあと思う。
通行人の方が、すれ違いざまに「お疲れ様です。」「ご苦労様。」とか、声をかけてくれると元気が出る。ちょっとしたことなのに、不思議なものだ。
夜半を過ぎたのに、まだまだ、降り積もってる。
ー太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。ー
明朝、雪が凍ってしまうと、歩くことも、雪かきも、もっともっと大変になるだろうなあ。
皇居の半蔵門から西に向かって、新宿通り(国道20号)が始まります。
この道は、徳川家康が江戸入府の際、江戸城内に入場した道として知られています。
四ツ谷駅から、地下鉄を1駅利用して通勤していたのですが、最近、健康のためこの道を歩くことにしております。
途中、歩道には、地元の方々によって少年少女のブロンズ像が6体ほど設置されています。
不思議と時々、目が合うのですが、有楽町線麹町(こうじまち)駅の近く(A)には、服を着ているちょっと変わったブロンズ像があります。
作品名は「夏の想い出」 。作者は 吉野毅。
6体のうち、この彫像だけ服を着ています。
他の5体は、作者に服を着せてもらっていますが、この子は裸だったので、設置後に、地域の方から毎月、服を着せてもらっているようです。Foursquareに掲載された様々な姿。
左は26年1月の写真。右は元の姿(Foursuareからお借りしました)。
ブロンズ像を設置した麹町地区環境整備協議会(会員は地区区内の法人と町会長)のメンバーの法人等が、毎月、この着せ替えを担当しており、消防署の順番の際には、近くの大学の学生が協力して消防服を着せたりしているようです。
冬場、この通りは、冷たい北風が吹き抜けます。道行く人や地下鉄の出口から出てきた人々は、その寒さに思わず、コートの襟を立てたり、マフラーを首に巻きつけたりして、足踏みをしながら、交差点で信号が変わるのを待っています。
その風景の中で、帽子だけ身に着けた裸の少年が、釣竿を持ってポツンと佇んでいる姿に、心を痛めた方がおられるのでしょう。
この子を見て、「夏の想い出に浸るより、温かい服やマフラーを着せてあげたい。」という気持ちが湧いたのも理解できます。
夏…。川遊びをするときは、洋服が濡れたり汚れると叱られるから、子供たちは裸で遊んでいた時代がありました。日射病にならないよう、ちゃんと帽子だけはかぶっていました。
作者の吉野毅さんは昭和18年(1943年)生まれ。ご自身の記憶の中には、昭和30年前後の裸で遊ぶことが普通だった少年時代の光景が思い浮かぶのだと思います。
吉野さんは、卓越した芸術作品を作成したとして、2012年に日本芸術院賞を受賞された方。受賞作品「夏の終り’11」。
日本を代表する彫刻家の方は、ご自分の作品が、制作意図とはちょっと違った形で、地域の人に愛されていることをどのように感じているのか、一度お話を伺ってみたいと思いました。
新年おめでとうございます。
大みそかに、ダイアモンド富士が撮影できました。
富士山頂に、夕日が沈んでいきます。
今年最後の太陽です。
12月31日16時21分30秒から、同24分07秒までの3分弱の間の出来事でした。
2014年が、皆様にとって、いい年でありますように。
赤プリ新館の解体が始まってます。
赤プリ新館の概要
外国では、ダイナマイトで一気に爆破解体してますが、こちらは日本らしく、高度な技術を駆使してます。
下の写真は、解体前の赤プリ新館。解体前の一時、東日本大震災の被災者を収容していました。
左右で比べると、こんな感じ。
11月中旬から開始して、1週間で1階分を解体して、その分低くなり、全体の解体は約40週間の予定らしい。
こっちの方が、わかりやすいかな。
この解体工法がすごい。
大成建設が開発したテコレップシステムという新技術。
解体するビルに、帽子のように、かぶさっています。
派手に爆破することもなく、上から順番に解体し、徐々にビルが縮んでいく。
美観も、環境対策も有効だし、「荷卸し発電」で省エネルギー。
無事に工事が終わりますように。
寒い日が続いています。
朝方は冷え込みますが、朝焼けがきれいです。
上の写真は、6時32分頃です。明けの明星、金星が光っています。
30分くらい経った7時6分頃です。赤色から黄色に変わってきました。
波長が長く遠くまで届く赤色に、そのほかの色が追い付いてきました。
7時22分頃です。太陽の光が届き始めました。
右の建物の端が、反射して光っています。
7時23分頃です。太陽の光が届き始めました。
温かさを感じます。今日は、いいことあるかな。
久しぶりに、サイクリングしました。
前回、遠出だったせいか、帰りに膝が痛くなって気になっていました。
下流は、マラソン大会が近いので避けて、上流に向かいました。
サッカー、野球、ソフトボール、テニス、フットサル、ジョギング、散歩、みんな楽しんでますね。
堤防で見守る母親、花を摘んで遊んでいる妹、シラサギに歓声を上げる小さな男の子。
飼い主の後を、必死になって追いかけてる、太りすぎの小型犬。
ほほえましい光景を楽しみながらサイクリング。
福生の公園で、休んで、引き返しました。
河童の銅像がありました。
よく見ると、カッパの前に草花が添えてあります。
こういうのは、小さな女の子がよくやるような。
さて、雨が少し降り出してきました。
木々も色づいて、秋も深まってまいりました。
帰路を急ぎたいところですが、ペダルをこぐたびにヒザに痛みを感じて、力が入りません。
野川と合流するため、堤防道路がなくなって切れていました。
多摩川の河川敷に降りれば、野川を渡る橋があったようですが、そんなことはつゆ思わず、堤内地の市街地に出ました。
東急田園都市線の手前で、左岸はあきらめて、対岸に渡ります。
橋の下では、大勢の人がバーベキュー。
河川敷はバーベキュー禁止のところが多いけど、ここはOKらしい。
右岸を、さらに下流目指して走ります。
多摩川の河口、すなわち東京湾まで15キロメートルの表示です。
道幅は広くはないので走行速度は落ちますが、人や自転車もそんなには多くないので、助かります。
見えてきたのが、東急東横線。
出発してから、27キロメートルくらい川を下ったでしょうか。
帰りのことを考えると、今日はここまでです。
ここでも、大勢の人が集まってバーベキュー。BBQ大好きなんだ~。
もっと景色の良いところでゆったりとBBQができればいいのにとも思いますが、きっと、片づけ、トイレ、駐車場とかいろいろあるのでしょうね。
今日は、前回より早めに出発して、さらに河口に向かいます。
上の写真は、狛江にある多摩川五本松。
このあたりから、砂利道となってスピードを落とします。
あれ、川の中に自動車教習所があります。
畑もあるので、堤外民地かな。
東名高速道路の下をくぐり、さらにすすみます。
このあたりは、川幅が広く、川の蛇行に合わせて、グラウンドが左右にあります。
厳しいトレーニングの声が聞こえてきます。駒沢大学のラグビーの練習かな。
高いところから、選手たちにゲキを飛ばしています。
野球やサッカーが多い河川敷グランドでも、ここはラグビー場です。
おおっと、気付いたら、堤防上の舗装路がなくなってしまいました。
どうなってしまうのやろ。