イスラエルの日の出です!当たり前だけど太陽ってすごいね。いつも伊勢で見る太陽とおんなじ太陽でしょ??
不思議な感覚です♪♪
どこの世界にいても、太陽が昇って太陽が沈むこれを一日ってゆうんだよね。
朝食です!クリームチーズ大大大好き。。。
でも・・・あ”~~もうデーツないんだ・・・しこたましこたまデーツ食べた日々は・・・もう・・・
帰国して自分用のデーツ食べ終わったらどーしたらいいんだ??
岩のドーム入場ゲートです!会場前に並ばないとすっごく並ぶそうです。
検査も厳重です。聖書とか十字架のアクセサリーとかNGで、そういうものは持ち込んだりしないことと外していくマナーが必要らしいです。
木製の渡り廊下を進んでいきます!2階から嘆きの壁をみることができます。
はてはて??嘆きの壁とは??
紀元前20年、ヘロデ大王によって大拡張された神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分。
地上7段目まではヘロデ大王の時代のもの。
神殿の丘にあたる場所は元は自然の高台で、紀元前10世紀頃からすでにこの上に神殿(エルサレム神殿)が建てられていました。これが紀元前19年頃になってヘロデ大王によって大幅に拡張されます。これが現在の神殿の丘で、その西側の壁が現在の嘆きの壁。
70年にユダヤ戦争があり、ローマ軍により鎮圧され、この際、エルサレムは炎上し、神殿は破壊され西壁のみが残ります。
地上8-11段目の4段は、ウマイヤ朝によって7世紀に追加。638年にエルサレムを支配下に置いたウマイヤ朝は、さらに691年に神殿の丘に岩のドームを建設しています。
地上12–25段目の14段はオスマン帝国時代の1866年にイギリスの実業家によって追加。
地上26–28段目の3段はエルサレムのムフティー(イスラムの宗教指導者の役職名よ)によって1967年に追加。
2000年前から継ぎ足し継ぎ足し・・・そして現役ってスゴイな。
政府の警察 何か騒動があったら駆けつけてくれるんでしょうね。
「岩のドーム」
カーバ(サウジアラビア:メッカ)、預言者のモスク(サウジアラビア:メディナ)に次ぐイスラム教の第3の聖地であり、「神殿の丘」と呼ばれる聖域となっています。
現在はイスラム教徒の管理下にありますが、南西の壁の外側の一部だけは「嘆きの壁」としてユダヤ教徒の管理下にあります。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって重要な関わりを持つ聖なる岩を祀っています。建設に際して刻まれた総延長240mに及ぶ碑文では、イエスの神性を否定はするものの、預言者であることを認めています。
ユダヤ教において「聖なる岩」は、アブラハムが息子のイサクを神のために捧げようとした台。
アブラハムとは??
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じるいわゆる聖典の民の始祖。ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者。「信仰の父」とも呼ばれます。
年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるという試練。
アブラハムは盲目的に神の言葉に従い・・・イサクの上に刃物を振り上げた瞬間、天から神の御使いが現れてその行為を止めます。アブラハムが周囲を見回したところ、茂みに角を絡ませた雄羊がいたので、彼はそれをイサクの代わりに神に捧げたとのこと。
この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒によって今日でも讃えられています。
イスラム教においてこの岩が神聖とされるのは、預言者ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされること。
メディナの預言者のモスクに住していた時代のムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」すなわちメッカのカアバ神殿から一夜のうちに翼をもつ天馬に乗り「遠隔の礼拝堂」すはなわちエルサレム神殿までの旅をしたと語っています。このときムハンマドは大天使ガブリエルに伴われエルサレムの神殿上の岩から昇天し、神アッラーの御前に至ったのだと。これは、コーランに表れるムハンマドの数少ない奇跡の一つです。
平面は2つの正方形を45度ずらして形成された八角形。外壁面は、窓の下は大理石の幾何学的文様で装飾。その上は青を基調としたタイルで装飾されています。美しきイスラムの世界・・・
次はイランの幾何学の世界を堪能してみたい。。。(もう次の旅行ですか??)って!
オリーブの丘がみえます!
小さいドームは「鎖のドーム」と呼ばれるもので、岩のドームと同時期に建てられたものといいます。伝承によると、ダビデ王がここで裁きを行ったそうで、その際に天井から鎖が吊り下げられ、裁きを受ける者が真実を述べているか否かによって、鎖に触れる可否が決められたといわれます。
最近は女性が集まり、コーランのお勉強会をしているそうですよ♪♪
岩のドーム内は現在はイスラム教徒だけしか入れません。2000年までは10ドルで誰でも入れたそうですが・・・
2000年9月28日に、イスラエルのシャロン(その後15代首相)が1000人以上の武装護衛を引き連れて岩のドームを訪問。
そこで、「エルサレムは全てイスラエルのものだ」と宣言。この訪問はあからさまにパレスチナ人を挑発する行為で・・・
これまでもイスラエルの過激派によるモスクの放火事件や、爆破未遂事件などが起こっており、イスラムの建物を破壊してユダヤ教神殿を再建することを主張していたという経緯があるため、パレスチナ側は警戒心を強めていたのにです。
翌29日に2万人のイスラム教徒が抗議行動を開始し、「嘆きの壁」に祈祷に来ていたユダヤ教徒に投石。パレスチナ人はイスラエル警察と衝突。
このインティファーダ以降入場を禁止したそうです。それでも状況は良くなっていて、2004年あたりまで神殿の丘の敷地にさえ入場が禁止されていたそうですから。
ただ、政治資金的な流れを正す制裁の意味もあると聞きました。
ドームに入場する10ドル×世界の観光者(入場者)。この莫大になる資金が“何”に使われているか・・・
不正に使われていないのか、またはテロに流れていないのか・・・
それが明らかにならないまでは、この10ドルをとどめ置く。
そんな政治的な側面も・・・と
そんな複雑な思いを胸に。。。岩のドームを後にして次は「嘆きの壁」へ
これはイスラム教徒のお家で、玄関に聖地巡礼「メッカに行ったよ」「立派でしょ!」っていうサイン。
メッカ行くにはとてもお金持ちじゃないと大変。このお家はカーバのシンボル3つ書いてあるから、3回も行ったんかな?
イスラム成立当時は、砂漠の広がるサウジアラビア一帯を踏破するのは片道だけでも大変な苦行だったでしょう。
ちなみに・・・
日本の宗教聖地としては、仏教の「比叡山(天台宗)」「高野山(真言宗)」、神道の「伊勢神宮」。
比叡山まだ行ったことないんだよなー 行ってみたいな!