いったりきたり

いつも通りの日をまじめに過ごしながらにっこりしたりきゅんと身にしみたり

ヨルダン・イスラエル・ドバイ Vol10

2015-02-04 | 海外旅行

ヨルダンを出国です!

駆け足でヨルダンでした。。。ずっと妄想していたペトラを現実にして、絶対浮かんでやるってずっと思っていた死海で遊べて本当に満足です(^.^)

いよいよ、イスラエルに。。。ところでイスラエルって建国 浅っ??
第二次世界大戦後の1948年、 ユダヤ教を信じているユダヤ人たちが作りました。
でも、そもそもは・・・? それは3000年前も昔のお話から・・・

イスラエルについて語るにはまずユダヤ教の興りから語らなくてはなりません。
ユダヤ教は紀元前1280年頃出エジプトの際に預言者モーゼが授かった神の言葉により興ります。
旧約聖書にこの時のエピソードが語られています。
エジプトのヘブライ人奴隷たちを率いてモーゼが向かったのは「約束の地」と呼ばれる今のイスラエルです。

その頃、現在のイスラエル地域はイスラエル王国というのがあってユダヤ人がこの地を治めていました。ダビデとかソロモン王とか有名です。 しかし、問題なのがこの地域がとても重要な場所に位置していたという点。

アジア、ヨーロッパ、北アフリカを結ぶ重要な場所なんです。
だから、み~んな欲しくて、ですから、この地域は色々な国や民族に支配が移り変わることになります。
試練を乗り越え、約束の地へたどり着いたヘブライ人たちはそこでしばしの定住生活を送ることになります。
しかし、紀元前1020年頃にできたヘブライ王国を経て、イスラエル王国とユダ王国に分裂したヘブライ人たちは、紀元前587年のバビロン捕囚によりユダ王国が滅ぼされ、再び隷属の民となってしまします。

この時の経験がたとえ一つの国に集うことが無くても同じ神を崇拝するユダヤの民という強い同朋意識を持つきっかけとなり、今のユダヤ教の在り方にまで受け継がれています。

紀元前586年には新バビロニアによって、その後、ローマ帝国によって征服。

もともと住んでいたユダヤ教のユダヤ人たちはここに住んでいられなくなってくるんです。ですから、世界各地にユダヤ人たちは散らばっていくようになっていきます。そのかわりキリスト教がこの地で生まれますね。←これは超有名! 

そして614年にはペルシャによる侵攻。636年にはイスラム帝国が占拠します。この7世紀ごろからはアラブ人もこの地に入ってくるようになり彼らはイスラム教徒になっていきます。

このようにして、この地はいろいろな国、民族、宗教が移り変り…ですから、この地域のエルサレムという場所はユダヤ教、キリスト教、イスラム教と3宗教の聖地ともなっています。これがイスラエル、パレスチナ問題の出発点。

キリスト教徒は11世紀の後半から十字軍を遠征させ聖地奪還を目指しますがこれに失敗。

そして、16世紀にはイスラム教のオスマン帝国という強い国がこの地域を支配することによって長い戦いの歴史にも終止符が打たれることになります。このオスマン帝国の時代がどれくらい続くか?なんと400年あまりです。そしてオスマン帝国では、この地域をパレスチナと呼ぶようになります。

そんな中、第一次世界大戦が始まります。オスマン帝国はイギリス、フランス、ロシアと対立します。そして、この時にイギリスがとんでもない約束をしてしまう!

まず、アラブ人に対して「イギリス軍に協力するなら君たちの国家をつくるのに強力するよ」と持ちかけます。一方ではユダヤ人に「お金だしてくれるならユダヤ人の国家を作るのに協力しますよ」と明らかに矛盾した約束をしてしまう。

イギリスは、ユダヤ人、アラブ人両方に独立国家をつくるという約束をしてしまったんですね。これが、現在に至るまでユダヤ人とアラブ人との関係がこじれてしまう原因です。

結局、イギリスはどちらも裏切り、パレスチナを委任統治領とします。ただ、ユダヤ人を優遇はしていたので1920年代には少しづつユダヤ人が増えていくことになります。しかし、1930年代になると、そのユダヤ人の移住が急増します。年間20万人というものすごい数!なぜか?そう、ドイツのナチスが力をつけユダヤ人を迫害したことなどが原因ですね。

ところでパレスチナという土地ですが、ここはすっごく狭い!日本の四国と同じくらいの大きさ。そこにユダヤ人がどんどん入ってくる。アラブ人は「なんじゃ、こいつら!」と怒り対立が深まっていくことになります。

1947年。第二次世界大戦後にはイギリスがパレスチナにおける治安維持能力を失い撤退するとこの地を国連の決定に委ねることにします。 もう、ユダヤ人とアラブ人の対立が激化しすぎちゃってイギリスも嫌になっちゃうんですね。丸投げ・・・もう、国連に任しちゃえ!!ってことになったんです。

そして、イギリスに丸投げされた国連が出した決断とは?やっぱり、イギリスと同じ「パレスチナ分割案」。しかし、この国連の分割案にはユダヤ人にかなり有利な分割案となりました。水利が整っている地域はユダヤ人に荒地はアラブ人に・・・これにはアメリカの強い後押があったといわれています。

こうして、この国連分割案にそって1948年にはイスラエル国が独立宣言されることになります。ですけど、そんなのアラブ人が黙っているわけもありません。アラブ諸国に力を借りイスラエルへと乗り込みます。これが第一次中東戦争です。この時にエジプトが攻め込んだのが今の「ガザ地区」。そして、ヨルダンが攻め込んだのが「ヨルダン西岸地区」です。現在のパレスチナ自治区とされている場所です。

この戦争はアメリカの支援もありイスラエルが勝利することになります。
第一次中東戦争によってパレスチナの大部分はイスラエルが獲得しますが、ユダヤ教、キリスト教、イスラムの聖地とみなされているエルサレムの旧市街を含めた東エルサレムはヨルダンが支配していたため、エルサレム旧市街における嘆きの壁においてユダヤ教の祈りを捧げることが不可能であったため、正統派ユダヤ教徒を中心に不満が高まっていきました。
では、もともとパレスチナに住んでいたアラブ人(パレスチナ人)はどうなったか?国連の分割案ではパレスチナ人の領土となるはずだった場所もイスラエルが領土拡大で持っていき。ガザ地区はエジプトがちゃっかり支配。ヨルダン川西岸地区はヨルダンが占領することとなります。踏んだり蹴ったりです。

しかし、このガザ地区、ヨルダン川西岸地区も1967年の戦闘(第三次中東戦争)によりイスラエルに占領されることになります。ヨルダンは聖地東エルサレムを奪われ、国家の威信が揺らぎます。

このイスラエル占領から20年後の1987年。ガザ地区、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人の青年たちが立ち上がる出来事が起きました。彼らは武装したイスラエル軍に対してなんと石を投げて戦ったんです。「そんなの勝てるわけないじゃん!」って普通は思いますよね。しかし、そうでもありませんでした。彼らの映像が世界中に流れ同情が集まることになるんです。そして、1993年にパレスチナ暫定自治協定というのが結ばれます。

ガザ地区、ヨルダン川西岸地区からイスラエル軍は出て行きなさい!という命令です。しかし、ユダヤ人からは当然のように反発の声も上がり調印したイスラエル首相ラビンは暗殺されてしまいます。

その後、イスラエル軍とユダヤ人の多くははガザ地区からは出て行くことになりますが、ヨルダン川西岸地区では、現在でもユダヤ人の人口は増えている傾向にあります。

以上がイスラエル建国の大まかな流れになります。

イスラエルはユダヤ教徒にとっては常に「約束の地」であり続け、数千年の時を経てようやく建国することができた国家でもあるんです。
ともあれ、ユダヤ民族は不思議な民族です。紀元前1020年イスラエル王国を建国し、王国分裂後の紀元前586年に国を失い、1948年に2600年ぶりにイスラエル国として、イスラエル王国と同じ場所に忽然と復活させた。その強さは・・・探ってみたいものです。 

 

 

入国審査。。。

悪夢のような・・・混雑ですく(""0"")>なんてこった!! 
また、人のキョーイクがなってない?? 割り込み割り込 ヒドイヒドイ 
きっと私たちはルールの節度のないとこでは、ずっと後回し(泣)
結局、ひとりの人のスーツケースがずっと出てこなくて(すごく不安になるよー)この国境を越えるだけで3時間かかりました・・・ 

入国できたのはすっかり、夜!
もう少し早く入れたら、チラホラ市内見学できたけどもうすぐホテルに入って夜ごはん食べて。。。おやすみぃー
(夜もしっかり食べちゃう・・・)