イエスが3度目に倒れた場所、第9ステーションです。聖墳墓教会の入り口にあります。
このコプト正教会は、コプト・エルサレム総主教座の置かれた聖アンソニー教会です。
なお、コプト正教会とは、エジプトのキリスト教会で、伝承では福音書著者マルコがエジプトに創建した教会から発展したそうです。
現在のエジプト人の5%がコプト教徒であるとされています。
古代キリスト教には 5 つの教座がありました。
・ローマ(後のカトリック、プロテスタント)
・コンスタンティノポリス(後のギリシア正教、ロシア正教)
・アンティオキア(後のシリア正教)
・エルサレム(ややこしいですがここでは消滅)
・アレクサンドリア(後のコプト正教、エチオピア正教)
紀元 5 世紀にイエスの捉え方として『人であって神』なのか、『神』なのかというような論争が生じ分裂します。
で、アンティオキアとアレクサンドリア、つまりシリアとエジプトは後にイスラムの支配下に置かれますので、ヨーロッパ系のキリスト教とはやや異なる歩みをします。で、エジプトに昔から住む人々は、新参のムスリムに対し、自らを「コプト」すなわち「エジプト人」と呼びました。
西アジア・北東アフリカのキリスト教ってヨーロッパのと同じくらい歴史があるんですね。
さて、このコプト教会のQUEEN HELENとは?? どんな人物でしょう??
ゴルゴダの丘の場所を特定する試みは、ローマ皇帝、コンスタンティヌス帝(在位306~337)の母后ヘレナによってなされました。
コンスタンティヌス帝は、ローマ帝国で初めてキリスト教を公認した皇帝です。←(313年・ミラノの勅令=長かったキリスト教迫害に終止符を打った画期的なもので、キリスト教の信教の自由、教会の没収財産の返却などが定められました)
彼の母ヘレナも熱心なキリスト教徒であり、イエスが十字架で処刑されたゴルゴダの丘を特定する目的で聖地エルサレムへ巡礼の旅に出ました。
ヘレナとその一行は326年にエルサレムにやってきました。ヘレナはこの地をゴルゴダの丘だと認定し、聖堂を建てた人物です。
エチオピア正教会の修道院です。
20世紀にコプト正教から分離しましたが、教理上の違いはないそうです。
イスラエルがエルサレムを占有するまでイエスの処刑地である聖墳墓教会を守護してきました。しかし、カトリック教会や東方正教会等の勢力が回復すると教会の管理から追い立てられ、その立場を失ったようです。
エチオピア正教では、エチオピア帝国建国の祖を古代イスラエル王のソロモンとエチオピア女王(シバの女王)の間に生まれたメネリク1世としています。
少しみすぼらしい建物で、暗く息のつまりそうな空間でした。
ミサの途中、ささっと写真におさめました!
エチオピアも行ってみたい世界遺産で、ラリベラをぜひみてみたいです!