シオン門から手前の方に狭い道が続いています。シオンの丘へと通じる道です。
丘と言ってもそれほど高いものではなく、周りが小さい谷になっているような感じです。「シオンの丘」は第2神殿時代、神殿に仕える祭司や貴族が多く住んでいました。シオンの丘には、現在、イエスが最後の晩餐をした部屋、ダビデの墓、聖母マリア永眠教会があります。では、この小道を手前に100メートルほど歩いて、上記3か所を訪れます!
ニャンコかわゆい❤❤ネコがネコなでなで。。。
狭い路地の間から聖母マリア永眠教会を眺めます。チラッ!
町並みが、USJのハリーポッター思い出さしてくれます。
この教会はエルサレムでも有数の大きな教会とされています。
聖母マリア永眠教会です。左側の路地を50メートルほど行くと、「ダビデの墓」とイエスの「最後の晩餐の部屋」のある建物があります。
聖母マリアの生涯については長い間2つの説が唱えられています。
ひとつはエルサレムで生涯を終えたというもの。もうひとつはここエフェソスで死を迎えたというもの。
描き方が、だんだんポップな感じになってきます!
トランプにでありそうな、感じです。
この辺りになると、もうまるで絵本みたい。ピンクの使われ方が教会では斬新な感じがしました。
地下聖堂へ行くと、桜の木と象牙で作られたマリアの像があります。
イエスを中心に女性の使徒が描かれているのは、とても珍しくマリア永眠教会だけなのかも!
日本では布教当初から、イエズス会はマリア信仰を広めることに力をさいていました。
ザビエルが来日したときからして、8月15日というマリア被昇天の祝日だったらしいです。
日本人にもマリアの存在は親しみやすかったようです。
聖書ではマリア自体は聖者的に崇拝される存在ではありません。
ところが、聖母マリア信仰が大きく存在してきたのです。
キリスト教文化圏の絵画や像のモチーフとして最も多いのが、聖母、聖母子、受胎告知、などの聖母マリア関連です。
本来、キリスト教は救世主イエスの信仰が根本のはずですが、むしろ聖母マリア教とでもいうべき現象がおこっているのです。
カトリックでは、聖母マリアは永遠の乙女として「マリアの被昇天」から「マリアの無原罪」に至ることが説かれるようになります。中世以降の聖母マリア信仰の一因が、ここにあります。
聖書の記述はともかく、ごく普通に考えると、聖母マリアは、イエスの母として特別の存在であることは確かです。
キリスト教が「愛の宗教」として普及して行ったことに、聖母マリア信仰が大きな役割を果たしました。
この世に母の愛ほど分りやすいものはないからです。
人の道を説くには、母の愛はもっともわかりやすいものです。
また、世界の古代的社会には、はるか古くから地母神、女神信仰がありました。
もともとイエスは、ユダヤ律法を刷新し(奇跡的な)病気治癒により宗教旋風を巻き起こした人でした。
イエスには、ユダヤ教社会からは見捨てられた病人こそ救われるべきだとする認識がありました。
ユダヤ教では病人は罪びとだったのですから、この救済というのが新しい教えだったのです。
母子神としての聖母マリア信仰が加わることによって、キリスト教は、古代宗教に肩を並べることが可能になったと…
ユダヤ教が特殊な一民族の宗教であったのに対し、キリスト教はイエスの癒しの教えと聖母マリア信仰を加えることで、各地域の地母神や女神信仰と融和し世界中に広がったのでしょう。
これは、イエスの母マリアが実際にどうであったかという史的事実とは関係なく、人々の間にキリスト教が広まり得た大きな要因で、また、一般民衆による聖母マリア信仰なしには、キリスト教の普及が有り得なかったと言っても過言ではありません。
こうして聖母マリア信仰は、結果的にキリスト教の世界普及戦略となってしまったかのようです。
そして、民衆の間では、母であり女神??である「母性の神」としてマリア信仰が、より人気のある存在として強く崇拝されていったのです。
また、別の話ですが、その後カトリックではマリア信仰から派生して聖者の信仰が広がって行きます。
実際上、カトリック教会は、非常に多数の聖者が祀られています。