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いったりきたり

いつも通りの日をまじめに過ごしながらにっこりしたりきゅんと身にしみたり

ヨルダン・イスラエル・ドバイ Vol4

2015-01-29 | 海外旅行

いよいよペトラ遺跡へ!入場ゲートです!

いよいよ待望のペトラ遺跡です!首都のアンマンから190キロほど南の山岳地帯。紀元前後に遊牧民のナバタイの都として繁栄しました。しかし、その後海路の発達で通商の中継地点としての役割が衰退し、7世紀には歴史から完全に消え去ってしまったのです。
砂に埋もれたこの遺跡が発見されたのは19世紀になってから。
それまではベドウィンの人だけに知られる秘密の場所だったとか。現在は考古学者や観光客をひきつけてやまない大遺跡です。 

魅力的なベリーダンスの衣装が…衣装は魅力的ですが。。。
私が見たこれまでのダンスの中で一番みているとブルーになっちゃいます・・・
腹をボテボテと震わせて半ワライがいたたまれない気分に(_ _,)ゞ
ガイドさんがチケットを購入しに行ってくれています! 

 チケットを配ってもらって。。。

 入場口からの遊歩道です!ここからシークの入口まで1キロくらい。平坦な道が続きます。
5ドルのチップで馬に乗ることもできま~す! 私は歩くん大好きなので歩きます(^.^)

 ジン・ブロックス 地位の低い人用のお墓らしいです。

オリベスクのお墓 1世紀にナバタイ人によって岩肌を掘りこんで作ったお墓。上には4つのオリベスクがあります。
これはお墓に埋葬された5人を象徴的に表現したものです。下は宗教的な饗宴のための広間だったとか。

遺跡の中に入れてちょっとうれし~ ぺトラ遺跡が政府によって管理される前までベドウィンがこの辺りに住んでいたんです! 

シークの入口 この先に何があるのか・・・ワクワクですねー
っていうか、この裂け目は偶然にできたの?? 天然の峡谷は1.5キロ 崖の高さは60~100m

左側には用水路がみえています!出口まで続いていますよ。
洪水のときにワディ・サームから流れてくる水がシークに入り込まないようダムを造り、洪水の水の流れを変える目的に、岩盤を堀削って。
ナバタイ人は水利技術がすごかったんですね!  

 岩壁にはナバテア人の主神であるズゥ・シャラー神をまつる祭壇(壁がん)が所々に刻まれていました。

ズゥ・シャラー神の祭壇  

 生贄の神殿。。。当時は祭司が動物をいけにえにして神さまにささげたんでしょうか??

 ゾウさんのお顔 みえますか?
ディズニーではダンボが好きですだな。辛い日々を乗り越えてスターになる。
笑いものにされてた、大きすぎる耳が翼になって大空に羽ばたくってとこ。一番の自分のウィークポイントが実は自分の強みになるみたいなとこが。自分の何一つ嘆くことないんじゃない!?ってそう思わせてくれる。
大事なのはダンボもそうだけど、目の前の崖から飛び降りる勇気!見事大空に飛び出すにはね!

 まさに古代都市です!壮大な遺跡の中に、1万年以上にわたり人がこの大地を利用して、集落を築いてきた痕跡を感じます。大自然と人間の文化が見事に融合していて感動!

 ズンズン続く用水路  砂漠の土地であるにもかかわらず、水には不自由せず農業も盛んで最盛期には郊外も含めると3万人以上が暮らしていたペトラ。いかに平和的で民主的な高水準の暮らしを実現できていたか想像できます(^.^)

5頭のラクダと5人のナバテア人によるキャラバンの像があります。残念なことに像の上部は失われ足元の部分しか残っていません。
ペトラは立地が良く、砂漠のキャラバン隊の中継地でもあり、貿易でも重要な地点であったといいます。

ローマ帝国がやってくるまでは、香辛料や乳香の取引で栄えたのです。古代では乳香は、同じ重さの黄金と等しい価値で取引されていたといわれている、たいへん貴重なものです。
古代世界では、驚くほど大量の乳香が消費されていことでしょう。香の煙が人々の祈りを天に運ぶと信じられて。

さて・・・いよいよ・・・
ペトラを象徴するもっとも美しい遺跡、エルハズネがチラッと(^▽^)/ 


ヨルダン・イスラエル・ドバイ Vol3

2015-01-28 | 海外旅行

昨晩は一心不乱に眠りまして・・・目覚めは快適です!

今日は一日ペトラの観光にて、朝から日焼け止め塗り過ぎ??顔マッチロですやん!フライングぎみにやってきた朝のバイキングです♪

朝から食べる習慣なかったですが・・・旅行先では食べたくなるもんですね---
デーツにとことんはまって(^.^) もうクリームチーズとの相性”神”です。ホント ハイ!!!
以後、こればっか食べることに。。。

朝食もささっとすまして、出発まで時間あるんでちょっと出てみることに♪♪

昨日と同じ街の朝、自分用の徳用??デーツ買っちゃいました---!
かなりエロっとしたオヤジさんですね(→o←)ゞ
イスラム圏では、女性接触制限がありますから、一緒に写真なんか撮ろうもんなら気があるって誤解されちゃいますかー

はて??デーツとは??

イスラム教徒が、ラマダンのときに日没後、まず食べるのが「デーツ(ナツメヤシの実)」。

デーツは紀元前8000年前から栽培されていると言われているナツメヤシの実です。
旧約聖書では「エデンの園の果実」、イスラムの聖典コーランには「神の与えた果実」と記されているほど、古代から大切な果実として重宝されています。

デーツは栄養価が非常に高く、体に良いさまざまな効能が♪♪

マグネシウム
鉄分
亜鉛
カロチン
カルシウム
ビタミンK
ビタミンB1、B2、B3(ナイアシン)
食物繊維

私の中で、ゴーヤ、春菊に続く完全食材ではありませんかっ!?


ヨルダン・イスラエル・ドバイ Vol2

2015-01-27 | 海外旅行

いよいよペトラに移動です(^▽^)/
ヨルダンは90%が砂漠らしく、なんの変化もない荒涼とした砂場・砂場・砂場の風景を眺めてゆきます。
ウォークマンで嵐を聞き続けて、ウトウトしながら寝たり起きたりそして1時間経って外を眺めても同じ。
2時間経っても変わらぬ・・・って日本にはないよなーって思って。
だけど、なんかその変わらない風景にすっごく安心する自分がいました。
なんにも考えやんと・・・ボ~~ってするってことないもん(普段の生活)
なんかやってる。時間に追われて。お風呂の時間もなんかゆっくりしてられなくて(気持ち的に)熱っいお湯で瞬時に身体あっためて出てくるくらいやし・・・
テレビだって録画でしかみない・・・しかも早送りか1.5倍速┐( -"-)┌(チャンバラシーンはいかんわ、それで官兵衛が面白くなくなった・・・自分のせいやんな)
あ~こんな強制的にでも、ボ~~ってする時間に身を任せられるっていう自分がすごい贅沢な時間って思える。
なんにも惜しまない3時間ってすごい。 ワタシ的にすごい。

3時間が経って、ようやく街並みっぽいのが♪♪
モーゼの谷。ワディ・ムーサの町は預言者モーゼが岩から水を湧き出させたと考えられる地です! 

ペトラのホテル到着です!ちょっとオドロオドロしい感じのお家のオブジェ|)゜0゜(| !!
ウエルカムドリンクはハイビスカスのジュースでしたぁ。。。チソジュースに似ています。味。・・・すっぱくはないよ(フン)

ホテルでお水買うと、4ドルってきいて------そんなんベーだわって思って。
買いにでました。おじさんたちのお店。やっぱ1ドルで買えたわ!!
お店のおじさんたちも、さまざまで売る気満々タイプとやる気ゼロタイプに・・・私はほぼ電灯も薄暗いおじさんのお店で買いました。 

ホテルで夕食。
機内食からずっと、深夜、朝、昼、夜ってずっと食べてるわ。。。
ないわーないわー

デザートは・・・食べへん! 写真だけやわー
あ”-----ちょっと味見しただけ。。。プリンの上に乗っとるおっきいイチゴもらってきたわ---

食事中は・・・やっぱ、ツアーの人たちの○○行った---自慢大会----
始まったわ(痛)
人の「行った」話なんか聞かへん。もう、かぶせるかぶせる--- 

アタシは・・・
なんでも珍しそうに聞いてあげる❤ (そこ全部行ったけどねε-(´・`) フー) 

まぁ、タイミングよく切り上げて早寝早寝 8時就寝!


ヨルダン・イスラエル・ドバイ Vol1

2015-01-26 | 海外旅行

4年ぶりの海外旅行です。出発前からコンセントのプラグで悩んでみたり、スーツケースをど~するのかみんなに相談したり・・・ってワナワナでした。。。表参道で一目ボレしたレスポのキャリーありきでの旅行なんで、それを乗せるスーツケース買いましたよ( ▽|||(まぁ26年ぶりの新調なんで、よく使ったもんですが) ??めずらしくピンクじゃないのってゆわれましたが、ピンクのテイストはしっかり入っておりますハイ!

両方キレイなうちに写真撮っといたー♪♪

荷造りもバッチリでお迎え。。。待ってます(^O^)

出発の日はあいにくの悪天候でスムーズに関空へのリムジンバスが走るのが飛行機が飛んでくれるのか心配でしたが順調。
でも、気持ちっていうのは推し量れませんね・・・

生前母がいたころは平気でルンルン出発できたのに、亡くなってから家をあけると、あん時ひとりにして淋しかったんかなーって急にそんな思いがよぎってしまって、ハラハラ泣いてしまいました・・・ 
いつも、笑顔で送り出してくれて、笑顔で待っててくれた母を思うと・・・泣けちゃいます。


超重くて、使い古したスーツケースを毎度「新しいの買いない」ってゆってた母ですから、今回の新調で「アンタやっと買うたなー」って天国でニヤッとしてるんでしょうか・・・ 

関空23:40 ドバイ経由です。機内食食べて・・・マレフィセント観てねま~す。
エミレーツ航空はUSBで充電できて!助かります! オヤシュミ❤
ドバイからヨルダンへの乗り継ぎは・・・自力(泣)
荷物検査んとこで、前の人にならって靴脱いだら「オマエはいいんだ」みたいなこと言われて、もう脱いだり履いたりオタオタ(焦)
またまた一緒にいてくれたツアーの女性がいて助かったけど、空港移動するバス15分も乗ったよ(広すぎるやろ??)
C27搭乗ゲート目指して必死! 

日付が変わって9時30分 無事アンマン到着!
着後さっそくネボ山観光ですd(^-^)
旧約聖書で登場するモーゼゆかりの場所 この地でモーゼが亡くなりましたー
モーゼについてちょっとお勉強しときます??

●誕生
BC13世紀、エジプトにユダヤ人の夫婦が住んでいました。その妻が美しい男の子を出産。
しかし、その頃エジプトではユダヤ人は(奴隷として扱われ)生まれた赤ん坊は全て殺すように命令されていました。

夫婦は産まれたばかりの我が子をパピルスの籠に隠してナイル川に流し誰かに救われることを託しました。
そして、その籠は川遊びをしていたファラオの娘が拾うことに。
赤ん坊はモーゼ(moses:川から引き上げた子)という名を付けられ、宮廷で王家の子として育てられました。
お母さんは秘かに乳母に雇われ、モーゼに乳を与えることができました。

成人したモーゼは、自分の生い立ちを知ることになり、奴隷として虐げられているユダヤの人々を救いたいと思うようになりました。
ある日、工事現場で鞭打たれているユダヤ人を見、彼を救おうとしたモーゼは、誤ってエジプト人を殺してしまいます。
モーゼは、シナイ半島の遊牧民ミディアン人のもとに逃げることに。

●神の啓示
モーゼはシナイ山のふもとで羊を追っていました。
神の使いが現れ、近寄るモーゼにささやきます。
「エジプトに帰り、イスラエルの民を救え。そして、約束の地カナンに連れて行くように」

モーセは妻子を連れてエジプトに戻り、エジプト王に神の言葉を告げますが、しかし、 聞き入れられることなく、困ったモーゼは神に相談し、10の災害をエジプトに下します。

●出エジプト&十戒
10の災害はエジプト王を震え上がらせ・・・
モーゼは200万人のユダヤ人を連れてカナンの地に向かいます。BC1250年のこと。
エジプト王はそれを許したことを後悔し、ユダヤ人を皆殺しにすべく軍勢を率いて追跡します。
前方には葦の海、背後にはエジプト軍と、絶体絶命の危機に陥ったその時奇跡が起きます。
モーセが、海に手を差し伸べると、神は強い風で海を二つに分け道を作ったのです。
ユダヤ人達がその道を通って渡り終えると海は閉じられ、追ってきたエジプト軍は海に沈んでいきました。
これが葦の海の奇跡です。

エジプト脱出の日から3ケ月が経ち、モーゼ一行はシナイ山のふもとにたどり着きます。
神はシナイ山の山頂でモーセに十戒を授けます。 

1 他の神を信じちゃダメ   2 偶像を作っちゃダメ  3 神の名を唱えんな
4 週の7日目は安息日  5 父母を敬いなさい   6 殺しはダメ  7 姦淫ダメダメ
8 盗んじゃダメ  9 偽証はダメ  10 人の物を欲しがんな

その後モーゼは40年間(えっ!? いくつなん??)さまざまな試練を克服しながら精神力と信仰を強めていゆきます。
そして、カナンを目の前にして120歳の生涯を全うします。 
逆算すると・・・80歳で200万人連れてエジプトからここまで?? マジ??って感じですが、そうすると私たちはまだまだほんの赤子です(汗)

ネボ山の教会の入り口には記念碑があります。
これは2000年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪れた記しで『ひとつの神、万民の父が万民の上にいます』
モーゼはユダヤ、キリスト、イスラム共に聖人なのでしょう。

この特設?ステージにビザンチン時代の床面のモザイクがあります!


 

土器とか。。。

アートですね♪♪
馬に乗ってイノシシと戦ってみたりー(獣の表情は険しいけど人は平常心)
ライオンから家畜を守ってみたりー(やる気のかけらもうかがえませんが・・・)
ゼブラとキリンのオシャレなお散歩??(憧れやわー)
ダチョウは家畜あつかい??       

こういうの楽しい------(^.^)

ここからいろんな街を一望できるようです。晴れ!なら!
あさっての死海もみえるみたいですが、今日は残念。

モザイクのお土産屋さんの寄りましたー
外でチョロチョロしていると、モザイク職人のお兄さんが「こっちにおいでよ!トライしてみなよ!」(たぶんですが…)呼んでくれて。モザイクのタイルパチパチ切ってみましたぁ。。。
っていうか・・・お兄さん・・・チカっ!! 

お店の中の商品たちです。右下のモザイクはモーゼの教会(ネボ山)にあった十字架のです。
十字架に蛇、蛇は脱皮をすることから復活とか再生の意味。

店内をチョロチョロしていると、ストールコーナーのおじさんが・・・「おいでよ!おいでよ!巻いてあげるよ!」(たぶんですが・・・)と呼んでくれたのでいってみると。
シュルシュルシュル~~っと完成させてくれましたー(^.^)
あ”-------でも、これ失敗です・・・
飛行機から直の観光で、全くのノーメイク。。。く(""0"")>なんてこった!! ちゃんとしとくんやった・・・

モザイクチャレンジといい、シュルシュルストールといい、なんかいい具合に声かけてもらえて、後で他のツアーの人からちょっとうらやましがられました!

バスで移動。お祈りの時間が始まったみたいで道端でお祈りしています。バスの中から撮っちゃいました!

お昼のレストラン♪♪ すんごい緑のゼリー 味は・・・ミント??メロン?? 食べてもわからん・・・


メキシコ

2011-05-09 | 海外旅行

6:45 眠い目をこすりながら~成田到着! 

みなさんお世話になりましたぁ。。。いろいろお話できて楽しかったです!

8:13 成田エクスプレスでGoー

オォ~新幹線から富士山バッチリ(^^)v

5ペソ コインを思い出に!

旅行の足跡を振り返ってみると・・・こんな感じ。

 

♪♪当時の遺跡を再現してみると♪♪

トゥルム遺跡

チチェンイッツア遺跡

チチェンイッツア遺跡

 

ウシュマル遺跡

カバー遺跡

パレンケ遺跡

パレンケ遺跡

 貴重なメキシコ旅行でした。

10日間通していろんなお話をしてくださったガイドのアラオさん、ユーラシア旅行・添乗員のムラタさん、本当にお世話になりましたァ!

また、お休みをとってどこかに出かけたいなぁ。。。

 

旅行のブログはこれでおしまい(^^)v


メキシコ

2011-05-08 | 海外旅行

1回目の機内食 フ~ン

2回目の軽食 ウ~ン

映画は、冴えない太っちょが小人の世界に迷い込んで…ドタバタコメディ つまんない・・・

3回目の機内食 ア~

長いなー  ティファナで給油するん、その間も乗りっぱなしだもん(>_<)

^^; ツライ


メキシコ

2011-05-07 | 海外旅行

16:55 国立人類学博物館 到着!

全身シルバーのパフォーマー チップを入れるとパントマイムしてくれます。

緑は独立・希望、白はカトリック・宗教的な純粋さ、赤は統一。

「サボテンにガラガラヘビをくわえた鷲がとまっている」シンボルマークは、アステカ建国の神話。

中庭のパティオ。古代メキシコの人たちが渇望した“雨”を!

 約3万年前にモンゴロイドがこの海峡を渡り、無人のアメリカ大陸に初めて人類が定住することとなったそうです。氷河期の最寒期とされる頃、ベーリング海峡地域は陸地化。アラスカに渡る動物を、槍を持って追いかける。そんなシーンです。 

アメリカ大陸に渡ったモンゴロイドは、南方にも進出し、遅くとも1万年前には南アメリカ大陸最南端のマゼラン海峡地域まで達していたことが実証されています。

1万年前、湖を中心に暮らしがあり、沼地にマンモスを追い込む作戦で狩りをしていました!

メキシコのバハ・カリフォルニア・スル州のシエラ・デ・サン・フランシスコ地域に見られる先史時代の岩絵。(レプリカ)

岩絵群は、岩壁や洞穴の天井などに描かれており、およそ250地点に描かれています。離れ離れで、かつ治安が悪いことから、アクセスは困難…なんとロバで10時間の道なき道を行くとのこと。

先住民が食べていたもの。

エネケン・メスキート(豆)・フリホーレス(豆)

トゥナ(サボテン)・ズッキーニ・アマラント(粟)

開園したときエジプトの博物館から寄進されたもの。「お互いガンバローね」

 

★マヤ室★

マヤ文明の模型 白い点々は主な神殿があったところ。

イケニエの儀式の石灰岩

右手で勝者が敗者の髪の毛をつかみ…飛び散る血しぶきは天上界へ!天上界の雨の神様が血しぶきを真水に変えて雨を降らす。

滴り流れ落ちる血は大地を肥やす。

そして、イケニエの魂はカゴにのって天国へ。

石版のモチーフ

戦勝記念 王位継承 婚姻関係 同盟関係などなど。

こうやって石に刻んで、民衆をなっとくさせた家系図。

マヤの階級ピラミッド

どれも個性的でピックアップしてみましたぁ。

階級や職業も世襲で…逆転できない世のツラさ。一番下の身分の人泣いてるもん。

マヤ文字。 

〇〇〇〇で4、横棒1本で5。 9を表してます!

マヤの絵文書(レプリカ)

1562年カトリックの司教、ディエゴ・デ・ランダがマヤの絵文書を焼くように命じました。

彼なりに、イケニエの文化など、恐ろしくこんな蛮行を世に残すわけにいかないと思ったのでしょうか…それはわかりませんが。

そのため、今日では、マヤの絵文書は、わずか4点をかぞえるのみ。

文化的遺産を破壊してしまったという批判が現在でもなされます。

一方で、彼は後に「しまった」と思ったのでしょうか、マヤの社会に関する記録を『ユカタン事物記』のなかに多く残したといわれます。

絵文書に近づいてみましたぁ!

価値あるもの(お金)として流通していたもの。

カカオ:天日で乾かすと硬くなり腐らない。5粒で升一杯のトウモロコシと交換。

ケツアールの羽:オスは子孫繁栄のシーズンになると通常の2倍、60~80cmに尾っぽの羽を伸ばします。大事に捕獲して1,2本羽を抜きまた自然に返していました。

巻貝:細工してアクセサリーに。

ヒスイ:まぎれもないマヤの一番大切な宝石。

パカル王のヒスイのマスク。

立派な頭の飾りの貴族。

パレンケの碑銘の神殿の王墓。

横たわる王様は生命の象徴の赤(水銀)に覆われている。

ところで、なぜ王様はヒスイのデスマスクをつけるのか??

あの世に行っても、高貴な人=王様ってわかるよう、大切にしてもらえるように高価なヒスイのマスクをつけたんですって!

チャックモール お供え物を神の元へ運ぶお使い。お供え物=生きた心臓 ^^;

チェチェンイッツアのセノーテ(池・沼)から出てきたもの。

アメリカ人が権利を買って掘ってみると・・・わぁ~~次々お宝出土。

「火の神様」 鼻の詰め物が気になった…

 

★アステカ室★

アステカ室中央で一番にお出迎え!

ジャガーvsイーグル イケニエの心臓を入れる容器だったとか。

白いところは湖。今のメキシコシティです。

スペインに責められたアステカ王国は住む場所をどんどん追われます。

山間の大きな湖に水路を掘って水を出し、乾燥させて作ったのが現在のメキシコシティ。

今でも2~3m掘ると水が染み出てくるそうです。生活水の半分が地下からで、何万年もかかって浸透した地下水をわずか50年程でくみ上げてしまう…

そんな弊害が各地で起こります。地下に陥没ができ地盤沈下の原因に。

昔からある水道管が曲がって、折れてしまう。本来なら掘り返して新しくしたいところですが、莫大な費用がかかって行政は二の足を踏んでいるようです。

右は勝者、左は敗者。特徴あるレリーフが円筒に連続していきます。

まるでいくつもの戦いに勝って、他の部族を抑えてきたんだーというような凱旋の記録です。

これを崇めて、暦にしていたそうです。

カラフルな楯。これは実戦用ではなく祭事用です。

チャックモール

スペインが入る前の様子

左は農業施設。双子の神殿。右は軍事施設。

太陽のカレンダー スペインがこっそり土の中に隠したものがソカラでみつかりました。

当時、アステカは我々こそ、太陽=生命の根源を司る神から選ばれた部族だと自負し、戦争を行い、そして心臓を神に捧げていたのだといいます。

下のリボンのようなのは二匹のヘビ。夜の神と昼の神を表しています。宇宙で繰り広げられる夜と昼の戦いを象徴して、二匹のヘビは太陽が移動するときに乗る神話の動物です。

数ある名品の中でも一番貴重なものとされています。

黒曜石のお猿さん。とても壊れやすい材料で「風の神様」と考えられています。

ケツアールの羽(レプリカ) メソアメリカで一番大切な色彩です。

本物は、ウィーンにあるそうです。もうそろそろ自国へ返してあげていいと思っているようですが…

国際事情がなかなかそれを許さないようで…一国返すと、我も我もと返還を求める国がいっぱいになりますから…

難しいんですねー

 

★トルティカ室★

擬人化したジャガー

トウモロコシから人が誕生しています!

戦士かなぁ。。。

カメさん&イグアナくん

使える雨の神様の仮面をつけた神官。

フゥゥゥ~~

 

★先古典期室★

柔らかいんです…アクロバティック。。。曲がった膝の部分に小さな穴があって注ぎ口になってます。

 

★ティオティワカン室★

ケツアルコルトの神殿(復元)

波のようにうねる羽の生えたケツアルコルトが壁から牙を剥いてます!

ケルアルコルトと牙を剥く怪物(雨の神様)。

♪♪ 熱くVenus 燃えてVenus ♪♪ 

うんでさぁ~どーすんの??…

うん じゃぁ まぁ~そーいうことで。。。

双子だよぉ~

フンっ!!

黒色が粋だねー

 

★北部室★

ネックレスと幾何学模様の男女 ほっこりしてるねぇ~

遺品の紹介は以上で~す!

クロークの女の子 なんとなく脱力ぎみなとこ。かわいい。

大好きなお土産コーナー

油断してる・・・カゴの中。バラバラ^^;

閉館の犠。敬意をもって国旗をおさめます。粛々と・・・

18:20 ベニーファレス空港 旅行もこれでおしまい・・・

夕食は空港のビュッフェです。アラオさんのはからいで飲み放題に!

あぁ。。。これでお別れーさみしいなぁ・・・ お世話になりました!ありがとーございます(*^^)v

空港内の展示コーナー

ルンルルゥゥン~ってめっちゃ仲良しやん♪

こっちはブランドのショップ ミーヤキャットだねぇ。。。

23:20 AM058 ティファナ経由で帰国です。

長~いフライト 18時間・・・^^;


メキシコ

2011-05-07 | 海外旅行

オハヨ― 今日も元気はつらつ 5時起きで~す。

朝ごはんのあとホテル前の公園を散歩。

独立記念塔。高さ36m。メキシコ独立戦争の英雄と頂上には女神さま。

ダイアナの噴水ともいわれているらしくて、モデルになった女性は銀行の職員だったとか。

当時はこんなモデルになるのは…

とても恥ずかしかったみたいで匿名でモデルを引き受けたらしいです。

前には日本大使館があります。ちなみに日本のメキシコ大使館は永田町の一番いいところを広くとってるんですって!

1923年の関東大震災のとき5万ドルメキシコが援助してくれたようで!!

8:00 シェラトンホテル出発。

8:25 ソカロ(町の中心) アステカのモニュメント!(オォ~~永住の土地を見つけた瞬間!)

アステカ王国の人たちが北の大地から降下した伝説。。。

「我々は神から選ばれた人間だから、神様が与えられた地がある!」そう言って200年探し求めた。

その地の条件とは…

「石の上にサボテン、その上に鷲が立ちガラガラヘビをくわえている」ところ。

(そんなとこあるわけないやん…でもあったのです。ここがその地)

この条件を見つけるために流浪の旅をし、今、まさにそれを見つけた!この場所です。

定住し力を得て他を制圧するようになると、昔の思い出を消したい気持ちになり…

メヒコ→メヒカーナ→メキシコ、そう名前が変化していったそうです。

このモチーフは国旗にもなってるし、コインにも使われてます。

地下鉄の入り口。当時は字を読めない人が40%もいて、こういう公共の地下鉄なんかは必ずロゴ表示があります。

 

横断歩道を渡って広場へ向かいま~す。

ソカロ広場にはデモ隊のテントがいっぱい。地方の貧しい村々から命がけの勢いでやってきます。

いろんな行政に働きかけても一向に改善しない…ついに、大統領府の前で直談判。

テントですから何日も泊りがけで要求を突き付けるんです。

デモ隊が手形を残して訴えます!

電力庁のロゴのまわりには使い古した靴の輪。“我々は民営化に反対”。

電力庁は、必要な職員のおよそ10倍の人を雇っているそうです。保守党はその人たちの選挙券をあてにしてるという政治手法です。

が…これに対して野党は民主化にして無駄をなくそうと働きかけているそうです。

おそらく、民主化の波がやってくる・・・それらに対して現状の職員やそれに関わる人たちの“反対”の意思表示。

なぜか??お墓??  デモ隊の人たちのテント。

露店の準備を着々と…

メキシコの人の生活の気持ちは…一言で表現すると『瞬間に生きる』

先のことは心配しないで、その時間を大切に生きるんだそうです。

まぁ。。。後先考えない。

あの時、ああすればよかったーとか後悔するよりも『今、楽しみましょう』

後々優雅に困らないようにって思っていても、途中で病気になったり死んじゃったりしたらね…

なるほどなーってわかりますが^^;

人生は花火のようなもの、その繰り返しを継続していけば人生は楽しいんだ。

言葉にするとなんだかカッコいいけどね^^;

お子ちゃまたち♪ 仲良く遊んでるん。

小学校、中学校でいじめが増えて、深刻なのは麻薬、マリファナ、コカイン

…低年齢化して大きな問題に。

麻薬の消費量、世界の40%を占めているのはアメリカだそうです。

そのルートは、コロンビアからメキシコ経由でアメリカに。

最近、アメリカの法律の取り締まりが厳しくなって、麻薬の組織がメキシコに流すようになりました。

・・・小さいときから麻薬患者にしてしまえば・・・と。

日本では1gでも大問題。一生台無しですが、メキシコではグラム単位では問題ないそうで…

小さい積み重ねが蔓延してしまって薬物大国になってしまうんですね。

日本は安心して暮らせる社会を築くために厳しく厳しく1gだってみのがさない!大切なことです。

アステカ時代の一番大きな建物がここにあり遺跡が出ました!

兵隊さんたち。士官のエリート!敬礼しちゃいます。

メキシコでは18才の男子に兵役があるそうです。

ジープに乗った兵士がやってきて、年頃の男の子を広場で輪に並べます。

士官がジープから段ボールの箱を降ろし、こう説明します。

「白→トレーニング受けないで12月に手帳をもらえる。赤→日曜にトレーニングと2時間の公園での奉仕作業」

段ボールの中には色の違うピンポン玉が入れてあってそれぞれの色で“当り”“外れ”。

まぁ、兵役といってもその程度らしいのですが…

ところで最近は、軍隊の存在が問われているそうです。

軍は何をしているのか??

災害救助、麻薬摘発、銃の取り締まり(メキシコでは22口径まではOK)・・・

いろんな形でワイロが横行して、軍自体が麻薬の手助けをしていた節があり、信頼を回復する岐路に立っているようです。

メトロポリタン・カテドラル 1567-1813年 

真下にアステカの大神殿があります。スペインのやり方は、マヤやアステカの神殿の石材を崩し、それを材料にしてその建物の上にキリスト教の教会を建てます。こうやって力の優勢さをまざまざと見せつけたんです。

メキシコはヨハネ・パウロⅡ世のごひいきの地、なんと公式訪問5回!メキシコには熱心な信者が多くて献金も多いってことですよね^^;

14の礼拝堂があります。それぞれ、お願いによって…就職、健康、家庭円満…など場所が違うんだそうです。

リボンで願掛け♪

説法台。

聖人の絵画。信者を守って圧政者の怒りをかって火にかけられました。

赤いビロードの布の上に、自分の体の悪い部分のピンを買ってきて貼り付けます。

車なんかもあったから厄払いみたいな感じの意味もあるよ。

9:52 グアダルーペ寺院へ

フランスのルルド、ポルトガルのファティマと並ぶ聖地。(正式なものとしてローマ教皇庁が認めています)

なんだかこのTシャツ着てる若モノがたちが集団で向かってました。

洗礼者の像(ここでもヨハネ・パウロⅡ世かと思ったけどそうでもないみたい)

1709年建立、旧教会。今は地盤沈下で傾いてて・・・入れません。

1976年に円形の新しい教会。

教会の壁面のステンドガラスのモチーフ。月の瞳がステキ。

ミサ中でしたー

メキシコのみならずラテンアメリカ全域から毎日数千の巡礼者が訪れるそうです。

こっちはヨハネ・パウロⅡ世の展示室。 

 1531年12月9日先住民ファン・ディエゴの前に褐色の肌の聖母マリアがあらわれ、聖堂を建てるように告げました。

ディエゴはこのことを司祭に伝えましたが誰にも信じてもらませんでした。

再度丘を訪れると、再びマリアさまが現れ・・・

「丘の上のバラの花を証拠として見せてあげなさい」と。

そしてそこで、マリアさまから与えられたバラの花束をマントに包んでもって帰り、司祭に届けると…

なんと!マントに褐色のマリアが現れました。

冬には咲かないバラ、マントに浮かぶマリアの絵を見た司祭は奇跡を信じ、この地に寺院を建てました。

そして、先住民の肌の色にあったマリア信仰が始まります。

いよいよ、星でいっぱいのマントをまとったマリアさまへ。

立ち止まれないようにベルトコンベアに乗って私たちは流れていきま~す。

(シャッターチャンスは1回、2回)

こっちはレプリカの絵。熱心なカトリック信者の家族が次々記念写真。いい笑顔だねー

10:30 バスで移動 道端にスクラップした車が…放置。

高速に入るまで大渋滞(いつものこと)

11:58 テオティワカン到着 アロエの大きさ、見て! 食べられてしまいそうやんなぁ。。。

「神々の集まる場所」という意味です。B.C.300年~700年、長年栄えた文化商業都市。

手前から 

「ケツアルコルトの神殿」最も彫刻が美しいといわれれる。

「太陽のピラミッド」テオティワカンの中で最大。高さ65m。宗教儀式の建物。

「月のピラミッド」頂上からは死者の道がまっすぐ伸びて全景が見渡せます。

最盛期には20万以上の人口を抱えていた巨大都市。

交易の中心としてメソアメリカの各地に大きな影響を与えていました。

こじんまりしたお花。

ケツアルコルトの神殿 高さ20m。

城塞で囲まれた神殿でステージの上では祭儀式が行われました。

反響する太鼓や笛に夜にはタイマツを燃やして…幻想的な儀式だったと。

 

ジャガーと獅子の顔。土で覆われていた大地の神様。

左端にはヘビ(ドラゴン)の頭がみえます。半期ごと雨季と乾季を繰り返しますが、乾季の間は水の中にじっといて、沼の中の巻貝やトウモロコシの草を取り入れています。そして雨季になると、全身に取り込んだ水と一緒に一気に竜巻となり、地上から天上へ。そしてスコールを降らせます。

石材は火山岩。車で4時間くらい行ったところに5450mの活火山があってその溶岩をつかってできているそうです。

バスで少し移動します。

みてみて!サボテンが巨大化して木になってるよぉ~

ジャガーの神殿 色鮮やか!! ジャガーみたいな模様だねぇ。

貝と水と神様のレリーフ

〇〇〇=氷・水・気体の3つ

5450mの山頂の氷をムシロにくるんで氷好きの王様に献上。

ムシロをリレー中に氷が水に水が気体に…

緑の鷲の絵、頭から水が出て…作物を育てます。

ジャガーの神殿から…こんな風にお土産屋さんが並んでます。

月のピラミッド (高さ46m、底140m×135m)

途中まで登れま~す。死者の道がまっすぐ(2.3キロ)続きますね。

手前のステージに集合。左に見えるのが太陽のピラミッドだよー

ピラミッドと後ろの山の高さは同じで…

当時赤く染まったピラミッドと、その後ろの黒い山とのコントラストが鮮やかっだった。メキシコの二元論を象徴しているんだって。

カップルがいい感じで写真撮影♪ 私も便乗して撮ったら女の子が目で合図してくれた!

死者の道を歩いていきま~す。ゆるやか~な下り坂になっています。

途中、ピューマの壁画。赤と白と緑のラインは落雷をあらわしてるそうです!イマズマ!ピカァ~!!

太陽のピラミッド (高さ65m 底辺225m)

ゼーゼーしながら、3回くらい休憩入れて…登りきったぁ~ 今回この旅行でどれだけの階段を登ったのでしょう^^;

太陽のピラミッドから月のピラミッドを眺めます!

いいねーいいねー!(^^)!

どうしても階段のキツさを伝えたい…ひとつひとつがだって…大きいんですもの。

14:20 GRAN TEOCALL お昼ぅ~~ ビュッフェスタイルでした。

ウチワサボテンのサラダがありました。

歌の演奏をしてくれましたが・・・小銭もきれて(まして大金など^^;)チップも渡せずゴメンね…

日本語での「川の流れのように」上手でしたよ。

レストランのお土産屋さん― こういう布最後まで…欲しかったぁ。

ジャグジャグジャグって鳴くジャガー声のナリモノ。これも最後まで迷ったぁ。

 

heartォォォ♪ カワイィィ Love×2してるなぁ。。。オソロにしたい彼もなく…つまんな~い。

グワァァァ~~

ニャ~アァァァ~~

何気に母似??

ドレスも欲しかったん。。。私は日本でも着るし。 


メキシコ

2011-05-06 | 海外旅行

オハヨ― 朝食後は“銀の街”タスコへ

ナッツとかレーズンとかヨーグルトでグジャグジャにして食べるんが好きになったー

メキシコシティは標高2240m 朝晩は涼しい~

 

7:30 シェラトンホテル出発♪

タクシーは日産(サニータイプ)が多いです。この黄色と小豆色のタクシーばっかりみました!

昔は「つる」「さくら」「ふじ」「にんじゃ」とか日本の名前がついてたそうです。

made in Japanは燃費もいいし故障もしない。絶対の信頼で日本車をアピールするためにそんな名前をつけたんだって!

日産に続いてホンダが2輪で参入。

日墨輸入協定以後、トヨタ、三菱、マツダと続きます。

道路はほとんど一方通行。

渋滞は世界のワースト3に入るくらいで…朝の6時半から10時くらいは超ラッシュにかかります。

なんたってメキシコシティは1千万都市、その周りをよせると2千万人の大都市です。

盆地で風の通りが悪くて排気ガスの大気汚染も問題になっているそうです。

街の対策として、ノーカーデー(月~金)をつくる!ナンバープレートの下二けた5・6は月曜は×とか、7・8は火曜日は×とか。

守らない人は罰金。

もう一つは排ガスチェック。半年に1回のチェックでokならステッカーをもらって運転できる制度など。

車の代わりに…地下鉄を使ってね^^;(地上にたまにでる地下鉄です)

1969年に開通しました。

1964年東京オリンピックで、東京―大阪の新幹線開通に負けじ…と、自国オリンピック開催の年、1968年に目指して国家プロジェクトで行うも、1年遅れで…(ちょっと悔しかったねー)

(ブリジストンの)ゴムタイヤを履いた電車です。だから車輪のキシム音はしません!

料金も安くて、どこまでいっても3ペソ(21円くらい)。

市の経営で貧しい人が通勤できるように…

最低賃金が一日5ドルくらいの人もたくさんいるようです。

携帯電話で世界一の金持ちになった、カルロス・スミス氏がいれば、道路でフロントガラスを吹いて…水を売って…1ペソかせぐのをやっととしている人たちもいる。メキシコは貧富の差がはげしい国なのです。

ちなみに、電車の時刻表はなし、です。来たら乗る。

10:00 クエルナバカ大聖堂 コルテスの命により1522-29年に建立。

二十六殉教者の壁画です。(6人の宣教師と20人の日本人信者)

実はメキシコと日本は1596年にすでに関わりがありました。

1609年-1610年に遭難したメキシコの人助けてあげたよーっていういい歴史から400年と友好ムードですが…

こちらの関わりは、忌むべき歴史です。(だから、ここからカウントしなかったんですね)

1596年マニラを出航したスペインの船、サン・フェリペ号がメキシコに向かう途中、高知沖で遭難します。

土佐藩がこれを助けますが、時はキリシタン弾圧に向かう中…京都へ連れて行かれます。

『スペインは領土征服の第一歩として宣教師を送り込む』『その国の人間を回収させた後、軍隊を送って征服する』といったことが・・・秀吉を激怒させ彼らは獄につながれます。貿易を独り占めにしたいオランダの吹聴だったとも言われますが。

キリスト教の教えの「神の下に平等」という考え方も、封建時代を築く上でもやっかいだったのでしょう。

その後、長崎にひったてられて丘の上で26人が磔にされます。

26人の中に、メキシコ人のフェリペ・デ・ヘススという殉教者がいて、メキシコで聖人となった一番目の人となります。

京都から長崎の引き回しの道中に志願して磔にあった日本の信者が2名…

…磔…志願て…(なかなかムリやんな)、秀吉にとってはますます脅威だったでだろうなー 死を恐れない信仰の力。

この壁画は1950年代に発見されます。日本の絵じゃなくてこちらの画家がニュースを聞いて描いたんだそうです。

(だから、日本的な…部分が少し変になってるんだ)

11:20 ソチカルコ遺跡 ソチ=花 カル=家 コ=場所 “花の館”

8~9Cに栄えた山の上の都市。

太平洋からメキシコシティ方面への通商の中継点でした。

アラオさん&ムラタさん いい笑顔だなぁ(^^)v

1999年世界遺産!

I'm cicada!  セミが鳴いてましたー Ziiiiii Ziiiiiii

6年も土の中にいてやっと出てきたんだもんね。太陽の下で思う存分鳴いてね♪

 全体の感じ♪

広場には白くてツヤツヤな四角の柱。

◎◎◎◎←マヤ文字!? 数字!? 

階段を登っていきま~す。

これまで見てきた石と違う感じ??

そう、こちらの遺跡は玄武岩!(わぁ~違い分かったんだよぉ(^^♪) 

 ケツアルコルトの神殿(羽のあるヘビ=ククルカン)

数々の彫刻が残ります!!

 写真をつないでみました。。。

うねりの間に横向きの神官。

竜神が2頭、昼の1頭と夜の1頭。天動説の世界観をあらわしているそうです。

 社会見学で訪れた中学3年生!

とってもFriendlyで仲良しになったよ♪♪ みんな遺跡よりも‘ジャポン’に興味津々^^; 

 記念にみんなのサインもらいましたぁ (^^♪

メキシコの教育は6.3.3.4 日本と同じ(土日はお休み)

20年前から中学は義務教育で早く高校も義務教育にしようとしているそうです。

国民の平均教育水準は、中1程度。農村部では学校に行けない人もたくさんいます。

一日8時間の給料が5ドル、それすらない人たちもかなりいて、学校に子どもをやるのにも、靴やかばん、鉛筆、弁当など金銭的に負担でいかせられない家もたくさんあるそうです。

ひとつの小学校を午前・午後・夜間とわけて使って、同じ学校だけど3回名前が変わり、校長先生はじめ職員が変わります!

幼稚園から高校まで朝礼をして、上級生が国旗を持ってブラスバンドが演奏。上級生の国旗を校長先生が受け取って立て掲げます。

その後、国歌斉唱。とても愛国心を大事に育てています。

 ここには動物の彫刻がありましたー

人間にはない動物の能力!とっても敬っていたんです。

飛んだり、水にもぐったり。そう、とってもスゴイことだもんね。

 ソチカルコ遺跡を後にします。

エントランスのアクリル板に描かれていた、さまざまなイラスト!

夢中になったよー ファニー&キュート (*^^)v

 12:55 LA PALAPAでお昼。

コーンスープ、チキンの炭焼き、トルティーヤ、ライムアイス

渋滞で時間が押してて、きっと「はやく出してね」ってお願いしたんでしょうー

アイスが早々に登場してびっくり。

 お祈りのポーズ。。。

 お花好き。

 テーブルに飾ってあったランを挿してもらいましたぁ(#^.^#)

レストランのオーナーさんと!

 14:40 タスコ フォルクスワーゲンのタクシーにのって石畳の路地を走っていきます。

Hey 乗ってきなよっ!って感じでしょうー

運転手さん体デカイから、運転席パンパン^^;

 わぁ~い(^^♪乗ってみたかったぁ。。。

とてもクネッた細い路地でベテランのドライビングの技をみせてくれました。

対向車を勘でさばく。。。 

 タスコは銀の街、16C スペインの鉱山開発の一行が、アステカを滅ぼして税金台帳を調べたとき、「タスコの光る石を納める」と記した文書を発見します。

‘儲かるニオイ’をかぎつけ、タスコにやってきます。

そうするとやはり…スズを発見。

これに嬉々とします。武力制圧にかかっていましたが、やはり反乱があります。スペインから持参した大砲だけでは手詰まりで、銅に混ぜるスズを探していたからです。

そして次に銀山を発見!

18Cにはフランスのホセデラボルダがやってきます←オレも銀山みつけてやろう!

そして、彼は短期間のうちに銀山をみつけ大金持ちになります。

中央広場にあるサンタプリカ教会はこのホセデラボルダが建てたもの。

こんなにも幸運を頂いたので神にお礼がしたい・・・

‘神はボルダに与え、ボルダは神に与える’

 

 サンタプリスカ教会 40mの双塔。まるで木彫りのような彫刻。 

18Cの壮麗なバロック様式の祭壇。天国を再現しています。

教会は…錆びてはいけないので金が使われました。

天国の一部を再現したもので、天国とは永遠の生命とミサで説き、そしてその天国を具体的にみせたのが教会というわけです。

「ほー…天国ってこんなに華麗できらびやかでいいなー私たちも今は貧しく卑しくても神様信じたらこんなとこに行けるんや」みたいな感じでしょうか。

人間は哀しいかな…命の次にお金が欲しいと思います。

→天国は金に囲まれているよー

次に、飲み物やおいしい食べ物が欲しいと思います。

→周りの彫刻を見てごらん!蔦や葉っぱ、イチジク、ザクロ、ブドウた~くさん生ってるよ。

とりわけ、ザクロは実が赤く、イエスの血をあらわしているといいます。赤い実がびっしりつまっていて、イエスと信者が一緒になっているという意味合いだそうです!ブドウは…団結!

うずまきは聖書を表し、ホタテ貝は聖水をすくったものとして。

なので、ここに訪れて(教会の椅子に)座った地点で…洗礼されてるっていう意味らしいです^^; 

ここでも登場、褐色のマリアさま。 

洗礼室。

ところで、洗礼って??  どうして無垢なはずの赤ちゃんのときに清めるんでしょうねー

それはカトリックの人類誕生のルーツにあるそうです。

その昔エデンの園という、動物も植物も歳をとらずに、死ぬことなく安泰に暮らしていた世界がありました。

その中でまず男性のアダムが土(ほこり)からつくられました。

アダムは他の生き物はペアで暮らしているのに自分は一人ぼっちは淋しいと、神様に相棒をくれとお願いします。

そこで神様はアダムのあばら骨の1本でエバを誕生させます。

ふたりは裸で楽しく暮らしていました。

ある日、神様に「食べてはいけないよ」といわれていたリンゴの果実を二人は食べてしまいます。

神様いっとるけど、まぁええやろ!って感じだったのでしょう^^;

そのことを知ると神様はとてもお怒りなり、二人をエデンの園から追放してしまいます。

そして…

アダムには労働の苦しみ、エバには出産の苦しみを与え、人類に限りある命を与えてしまいます。

この二人がおかした“傲慢な心”この原罪を赤ちゃんからとってあげましょう!これが洗礼らしいです。

洗礼を受けて赤ちゃんは清らかな心で人生をスタートする。

その後、人生を歩むうちに自分がおかした罪は自分で背負わなくてはならない、そういう考え方です。

年齢に応じて信者登録をしていくと、結婚式は教会でできるようになるそうです。

仏教の考え方は因果応報、カトリックは原罪、洗礼しなきゃなんですね。 

 だまし絵。

右の青い衣装の女性の右足と左足が、この絵を眺める位置によって前後が変わるんです!

外の教会。

先住民は祭儀式に家屋の中に入る習慣がなく 、外で教えを説かれていました。

ですから、教会の中に入ることを嫌がったみたいです。とくに征服されてたから、殺されるんじゃないかって恐怖です。

なので、外に祭儀場をつくって教えを説いたようで、これが大成功しました。

イカリを持つ→船に乗って布教

子どもを抱く→愛の心

目隠し→盲信

人間は7つの穴から刺激を受けます。(耳、鼻、口、目)

ここから入る刺激が心を迷わす…

中でも目から入る情報、刺激が一番大きな影響力があるってわけで。

目隠しをして信じましょう。従順にねってことです。 

 少しフリータイムで銀細工屋さんへ。

20Cになると、アメリカ人のスプラットリングという人がやってきて銀細工のための工房を開設し、高度な手法や伝統的なデザインをタスコの人に伝授します。

金や銀は世界中で相場が決まっていますが、彼の工房の製品は職人の賃金が安いから、安く売れる。

それ以降、タスコといえば“銀細工”といわれるようになりました。

…今はタスコでは銀は採れてないそうです。

アクセサリー お手頃価格なものもありますが♪  手入れの大変なのは苦手。無精者にはNG。

やっぱり、こういうんあるん^^;

16:15 タスコの街の全景をみる展望台だよ。

 

帰り道、トイレ休憩にドライブイン。売店、格子付きなんだ…

 

 コーヒー9ペソ!?

 

帰りは渋滞ィ~ トラック!カッコイイな(#^.^#)

突然寒くて、冷房切ってぇ~~と心の中で叫んでたら… 違うんだぁ

標高3100mのところ走ってたぁ 寒っ!それは仕方ないねー 

ムラタさんが、座席をまわって通気口を紙とセロハンテープでふさいでくれた!優しいぃ~

きっと、私が添乗員なら…仕方ないんでぇ~しばらく我慢してくださいっていっちゃう^^;

19:55 ホテル帰着!

 20:30 EL LUGARDE MARIACHI 夕食

豚の皮のトルティーヤ、カボチャの花のスープ、牛のハラミのステーキ、プリン

マリアッチの演奏!

マリアッチは12編成。男性から女性へ愛の告白をするとき任されます。

夜、女性が寝静まった頃、男性がマリアッチの12編成を従えて女性の家の外で愛の告白をするそうです。

彼を認めるならベランダへ出てOKの挨拶。

NOなら水をかける!?とか^^;

ちなみに、12編成を雇えない人は自分でギターもっていくとか…(どこまでホント(~_~メ))

 オシャレなお店でウェイターのみなさんイケメン。

 最後に出たぁーメキシコといえばプロレスだもんね。

21:45 お店をでま~す。

歩いてホテルまで帰ります。街は若者で活気にあふれていましたぁ!

ショーウィンドウに…ジャガーじゃなくって“虎”!! だよぉ。。。

夜の街は楽しそうですが、危険なムードもひそんでいて、そそくさと帰ります。

 暗闇の公園では男性のカップルが濃厚なChu~を。。。

いろいろあるんですねー ( ..)φメモメモ

さて、この屋台を右に折れるとホテルです。  今日も一日無事に終了♪ おやすみなさい♪


メキシコ

2011-05-05 | 海外旅行

オハヨー♪ 今日は6時起き(^^)v  雨が多い地域で湿気ありです。

朝ごはんで~す。

ホテルのフロント!

救急車!? 

ホテルの前に露店があって…ジャガーのカブリもの!(^^)!

「かぶっていいよ」っていうからぁ~ ジャガーになったよ。  8:30出発!

8:50 パレンケ遺跡に到着 カメラを向けると・・・さりげにPosing!

今日はマヤの最後の遺跡。パレンケは山が多くて緑がうっそうとしています。

今までのところは、雨乞い。

こちらは、雨が多すぎるので…「適当に降らせてください」っていうんだって!

チャーク神はもういないよ。

遺跡の周りにはお土産屋さんが並んでます。

最盛期は7C、パカル王の時代。面積16㎢、1500の建物があって、人口は2万5千人いたと推測されます。

10Cにはすでに廃墟となっていたそうで、現在発掘されてる部分は、わずか2%。

1949年には考古学者アルベルト・ルース氏によって、パカル王の石棺やヒスイの仮面が発見されました。

これは、世界遺産登録の碑。

 

…らしい植物やんなー この迫力!

 

パカル王は615年、12才で即位して68年間パレンケを支配したんだって!

だから、遺跡の大半がパカル王とその息子の手によるものらしい。

熱帯のジャングルを抜けると…

碑銘の神殿 625文字の3枚の石版があります!

地下にはパカル王のお墓と石棺。そしてその石棺の中にあったヒスイのデスマスク。

1949年、アルベルト・ルスが調査中、祭壇の床に穴を発見します。何かありそうな直観!

“動くかも”ロープを通してゆっくり引き上げると…そこには斜めの階段が…(絶対なんかある!!)予感的中。

その後3年がかりで掘り出して、三角の石版、石室、石棺がみつかる。これだけでもシビれるのに…

しかも、その中にはパカル王のヒスイのデスマスクや骨が!

石棺の中は防腐剤として塗られた水銀が真っ赤に…

ヒスイの緑と石棺の赤・・・度肝を抜く大発見だったんでしょうねー

アーモンドの大木がありました! 

 

露店の商品を借りてパカル王の石棺のふたの説明!

ロケットを操縦するパイロット!?

「前かがみで一点を集中して凝視し…左手はレバーを右手はコントローラーを操作している」…???

うぉぉおお~ こんな時代に、実は空飛んどったんやー!!

でも、実はこういう向きでみるん。

「現世から死の世界へ旅立とうとするパカル王」というわけ。

カラフルなんちょっと欲しかったー

こっちは、ジャガーの子孫繁栄スタイルの上に座って、ケツアールの冠を受け取ろうとしてる。

「王様、はやく跡継ぎができますように」って感じでしょうか??

排水路を渡りま~す。(オトウルム川)

サトイモ!おっきい葉。こっちではサトイモは食べないんだってー(家畜のエサ)

煮っころがし、無いんだねー

これはアボガドの木!

太陽の神殿 王位継承のセレモニーなどが行われたそうです。

王様と王子が楯と槍を持って戦争の模擬をしたとか。

神殿奥のレリーフが…

真ん中が太陽の顔、左がパカル王、右が王子。(ちょっとわかりにくいけど^^;)

 

十字架の神殿

 

碑文の神殿や宮殿エリアを見渡すお写真ポイントです!

わし鼻のパカル王のレリーフ(左)

右は神官です。神官がパカルを王と認める!っていうシーンだそうです。

ジャガーの皮を着た神官がパイプで煙草を吸ってプワァ~ンと煙で清めるという感じ。当時煙草は神経痛とかの薬だったみたい。 

 ジャングルの中にはこんなレリーフがまだいっぱいあるそうです。

でも、掘ると空気が入っていっせいにカビだらけに…今はお墓が見つかると、小さい穴を開けてマイクロカメラで撮影してふたをします。そして、技術が発達するまで、後世の課題として残しておくそうです。

古代のロマンをバトンタッチですね!

 葉の十字架の神殿 (葉=トウモロコシ)

ここは少し崩れていて階段も近年に作られたものらしいです。

ある時、神様が天と地、山をつくりました。そして、生き物には鳥を。

でもいっこうに鳥は神様を敬いません…神様は思いました。「私を祭ってくれる生き物をつくろう!」

それが人間でした。

最初、石でつくってみました。でも、表情がありません。

土は乾燥してしまって、木は虫にやられて…朽ちてしまいます。

「材料を何にしようか…」そして思いついたのが、トウモロコシ。

トウモロコシを粘土にしてつくったのです。

ガテマラのキユ族の書いた書物が発見されて『マヤの神の創造説』にこんな著があるそうです!

トウモロコシにはいろいろな色があります。白っぽい、黄色っぽい、赤っぽい…などなど。

それぞれの色が人種をあらわしてると…

マヤの人たちはこう思っています。マヤの体はトウモロコシでできている…

登ったよー

宮殿 (塔は天体観測と監視用)

宮殿の中に入っていくよ。

 

マヤアーチ

T字型の風穴

このレリーフは王様かなぁ~(*^_^*)

長老会議を行ったといわれる広場です!

あっ!これ!お土産屋さんで目にとまったモチーフや(^^♪

このレリーフは直接触れられないよう、厳重でした!由緒あるレリーフやん。

・・・数多くあったモチーフからこれが気になったなんて。。。もしか・・・アタシ目利きっ!??

ちょっといい気分やったー

遺跡の隙間から顔出してるぅ(^^♪

見知らぬ観光の外人さんと!

碑銘の神殿のとなりのとなり、どくろの神殿です。

華やかなフランボジャン

蟻の巣発見!地面がモコッ!

遺跡を出るとにぎやかなお土産屋さん。

白装束のラカンドン族のご夫妻!? お顔よく似てるねー

こ~んなお土産売ってる。でもこれは…ちょっと…誰かにあげようとしても…なぁ~ ^^;

なのでミサンガにしましたぁ!! 足にしてます。

ペンダントいっぱい売りにきてくれる…^^;

誰から買っていいかわかんなくなるよー 彼女のいただきました。

 マヤ月の…「9月生まれだよ」っていうと、これを渡してくれました。

今、お気に入りでつけてます。

ミサンガとペンダントでメキシコ風たもってます(^^♪

集合 大雨にみまわれました!

4日間、雨の神様、チャーク神にお参りしすぎた!?

12:00 LOSLEONESにてお昼 小粋なお店です!

レストランに飾ってあった絵。

葉っぱのスープ、チキン、グァバの羊羹とチーズ。葉っぱっていってもすっごくおいしい葉っぱだったよ。

チキンは微妙に黄色だよねーこれは、マリーゴールドのお花の成分を餌に交ぜているから。

病気に抵抗力がつくんだって!

ガイドの『アラオ』さんとドライバー『アントニオ』さん!

ユーラシア旅行社の『ムラタ』さん!すっごく頼りになる添乗員さんです(^^)v

毎日の手書きのイラスト入りのレポートも感激っ♪ ありがとー

アラオさんが自然な感じでポーズをつけてくれようとしましたが…

 

レストランのお土産屋さん。やっぱりここでもパカル王の石棺の蓋のレリーフが一押し。

ムラタさん、アラオさん、アントニオさんとも念願の写真も一緒に撮れたし…またまたバスで移動です♪

移動中は日本の移民史のお話。

「1897年、メキシコへの初の移住グループとなったのは榎本武揚率いる移民団でした」

幕府が1866年に海外渡航禁止令(鎖国令)を解くと、幕府や各藩からは、多くの人材が海外留学に出かけます。

その中には、後に外務大臣を勤める榎本武揚もいました。榎本武揚はオランダに留学し、航海術等を学んで帰ります。

帰国後、彼は、佐幕派として北海道五稜郭まで戦い抜き、投獄されますが、彼の能力を見出した討幕派の黒田清隆の熱心な助命嘆願運動で一命を取り留め、北海道開拓使として新政府の役人として活躍していきます。

海外で学び、北海道開拓を経験した榎本は、「海外に飛躍すべし」外国へ移民団を送ることを考えます。

さて、どこに行かせるか??

当時メキシコが移民に寛大でコーヒー栽培が盛んでした。

1897年に35名の移民団がメキシコに向けて横浜港を出航しました。これが、日本から中南米諸国へ向かった最初の移民団となります。

35名の男子20代前半の若者です。

ただ、当時の政府のずさんな調査での入植に、コーヒー栽培のノウハウはわからない、スペイン語もわからない…

3ヶ月で大失敗、泣く泣く帰った人たちもいたようです。

現地の地主にでっちぼうこうに入った人もいたようですが、移住者達はメキシコ革命に巻き込まれたり、土地問題が発生したり…

1949年には太平洋戦争が勃発。メキシコで敵国民となってしまい、スパイ活動をしないようメキシコシティに集められたり…

まさに激動の時代を生き抜きます。

様々な苦労を重ねながら現地で生活基盤を強固にしていきます。
1997年には、彼らがメキシコに渡り、100周年を迎え日系移住100周年事業が盛大に行われました。

彼らが入った、開拓地へ行くと「榎本武揚殖民国」という碑が建っているそうです。 

15:30 ビジャエルモッサ ラ・ベンダ遺跡公園に到着!

資料館に入ると、メキシコの代表選手が描かれています。すごい雨…

ラ・ベンダ遺跡公園はもとは、この町より西130kmのラ・ベンダで出土しましたが、石油コンビナートの開発に伴い移設されたそうです。

オルメカ文明の巨石像があります。オルメカ文明はB.C.3000年から始まった、メキシコ最古の文明です。

こんな風に埋まってたんです。

緑の石を敷き詰めたジャガーの顔となんかの相談!?

セイバの大木

石で造ったオリ(由緒ある女性が亡くなると、その遺体と生きたジャガーをオリに入れて、女性と交わらせます←精神的に)

王様の彫刻!?

ジャガーの顔

お供え台!?

イケニエの子抱いてる

ハナグマ登場~ 餌をおねだりにくるんだよ。この日はやたら集合してびっくりするくらいの数に囲まれた!

メインの巨大人頭像!首だけって思うけど、身体は大地そのものなんだって。

悪そうな葉っぱ。

すごいスコールにみまわれて、これも旅の思い出!

16:15 出発 遺跡公園前の売店です。

16:45 ビジャエルモッサ空港 

ここでドライバーのアントニオさんとお別れ (>_<) さみし~なー  安全運転ありがとう♪

空港でマグネットとブサイクなキーホルダー♪

18:15 アエロメヒコ AM510便 メキシコシティへ。

安全のご案内、いろんな国の個性あるよねー オモチロイww

21:03 SHERATON MARIA  ISABEL 到着。

なんだかカッコイイなー

世界のピクトくんも忘れずに。

今日の夜ご飯は、お弁当~♪ 待ってましたぁ~おにぎりだ!

長~い 一日でしたぁ。 おやすみなさい(-_-)zzz


メキシコ

2011-05-04 | 海外旅行

恐怖のモーニングコール 3:45!いえいえ、その前3時には起きてましたー

4:26出発 まだ外は真っ暗ですぅ。朝ごはんはお弁当~。。。シンプル。

・・・ホッソリしていきますっていったけど??  ―---ニンマリ顔…真ん丸やんなー^^;

約350km(南東)バスにてカラクルム遺跡へ出発です!

さて、日本とメキシコ、スペイン。昨年は交流400周年記念の年だったそうです。

メキシコと日本は友好都市が多く・・・

メキシコシティと名古屋、メキシコ州とさいたま県、アカプルコと御宿、グアダラハラと京都。というふうに。

では、400年前にどんな“良い”できごとがあったのでしょう??

1609年、フィリピン・ルソンから任期を終え、アカプルコに帰る途中、乗組員371名を乗せた船が御宿で遭難しました。

当時の船は、帆船。黒潮に乗ってスイスイ走るのですが、その分想定外の事故も多かったのです。

それを発見した御宿の漁師さん、海女さんたちは海の上で漂う人を必死で助けます。

冷え切った遭難者を浜に上げ、村中の人が抱きかかえ体温を回復させたのです。

助かった人310名。

一難去ってまた一難。。。300人程度の村です。それが一気に倍になるのです。食料も泊るところもありません・・・

この事実を大多喜藩のお殿様に知らせ、援助を頼みます。

・・・310名の外国人。

ときは、キリシタン弾圧に向かい・・・鎖国の風潮に包まれています。

ひとつ間違えば、お家断絶の危機に…

“切り捨てるか…”  早馬を飛ばして秀忠にお伺いを立てます。

当時、江戸にはウイリアム・アダムスとうイギリス人がいました。

(この人も太平洋を横断中、日本に漂流した船乗りでした。家康に信頼された三浦按針という日本名まで与えられています)

アダムスを介してヨーロッパの興味深い話を聴くうちに、これからの天下は“鉄砲を持つモノがとる”と感じていました。

⇒その思いは…「外国と貿易して鉄砲を手に入れたい」

 1610年、江戸幕府は彼ら310名に船を与えて丁重にメキシコに返します。

当然メキシコやスペインと通商したいという思いでアダムスや田中勝助を長にし日本人22名が同行。

日本人として初めて太平洋を横断します。

……と、いう1609年に助けられた→1610年に無事帰った―記念。そこからの400年です。

ところで、幕府の目論見はどうだったのでしょう??

翌年、何ら成果なく、日本の一行は謝礼の使節と共に帰国します。 なぜ??

当時のスペインは衰退期、日本との競争になったら不利だと思い通商は断られます。

外交は魑魅魍魎の世界だね。一筋縄ではいかないんだー。

今日の『アラオ塾』は日本史のお話に移ります(^^)!  長時間のバスもなんのその!

伊達政宗、徳川に仕えた大名です。

明主仙台藩のお殿様ですから、あわよくば「天下を取りたい」こう思うのは人の常。

スペイン人の宣教師ソカロから海外の話を聞いて、その技術を造船や鉱山開発に使いたい、こう思うのです。

そこで抜擢を受けたのが、家臣の支倉常長。

政宗の命を受けて1613年、ソテロを正使に自らは副使となり石巻港からスペイン・ローマを目指します。

アカプルコ→メキシコシティ→ベラルクス→キューバ→スペイン。

スペインでは洗礼も受けて(名:フランシスコ)・・・慣れないことで大変だっただろうなぁって思います…

そして、イタリア、ローマへ。

ローマ教皇へ謁見は成功し、「バテレン(布教する人)を派遣して」と依頼します。ところが、折しも日本ではキリスト教徒弾圧の風潮が…

そんなニュースはとっくに教皇の耳に入っていました。

「そんな危険な国に信徒を送ることはできない」ということでしょう、あっさり断られます。

結局スペインとの交渉は果たせず、1620年に帰国。

政宗の期待のもと出国した常長であるけど、出国直後から国内でのキリスト教徒への環境は悪化。

帰国時にはキリスト教禁止令がでており、2年後失意の上亡くなります。52才だったそうです。

その後、常長の息子は召使がキリシタンであったことの責任を問われ、支倉家はお家断絶となります。

メキシコの先住民がはいている「ワラチェ」は常長一行が残した「わらじ」がもとらしいです。

8:10 遺跡への分岐点。。。2代のバンに分乗して向かいます!

途中、野生の七面鳥←当てた!

チクレ採取のために作られた細い道をどんどん行くよー 同じ風景だからキツネにつままれたみたいな感覚。

 

 入り口に到着!

カラクルム遺跡は1931年、チクレ採取の飛行機が発見したマヤ最大規模の遺跡。

始まりはB.C.300年。神殿作りは600~900年ごろ。神殿はグアテマラのティカルとも似通った部分が多く、ティカルやパレンケなどとも並ぶ三つ巴の勢力を誇っていたようです。

70㎢の広大なジャングルに6000以上の建物があるといわれ、55の神殿が。カラクルム=2つの神殿とか、並列に立つとかの意味です。

 広大なっていうイメージわかる??

数年前まではアクセスなく、雨になると道路にも入れなかったくらいで、まだまだ研究もすすんでいない未知の遺跡みたいです。

1981年から自然保護区となって、哺乳類95、鳥35、爬虫類46、蝶483、シダ8、蘭72、木々1500←70%が薬用、ヘビ35内5種は毒蛇、ジャガー、クモザル、ホエザル、タランチュラなどが生息。

高い木の上にはホエザルがまったり・・・キツツキの音がせわしなく聞こえます!

チクルの木

木を傷つけるとそこから白い樹液が出てきます。

それを鍋に入れて水をとばすと、チーズのようになり型に入れます。

工場に運び、味をつけたり柔らかく加工したり。おいしくします(^^)v 今は天然チクルのガムはない…お宝なんだ。

チクルのガムの歴史はアメリカから。

1946-48年 米墨戦争の際、アメリカの捕虜となった男がトーマス・アダムスの目にとまる。

トーマス・アダムスは車のタイヤをつくっていた実業家。

ゴムの需要が増えてチクルをタイヤにしようと考えます…でも、これは大失敗(そりゃそうでしょう^^;)

じゃあ!!ってことで、メキシコ人が噛んでいたのを商売にしようと考える。

そしてまず、作ったチクルのガムを米軍に試します。すると、どうでしょう・・・

緊張感はとれる、空腹はまぎれる…これがすごい需要につながりました。 そして一躍大金持ちに!

メキシコは1950年まで天然チクルの輸出国でしたが、その後は人工チクルが出てきてなくなっていきました。

現在は日本のロッテが天然チクルの良さ(歯が白くキレイになる)をもう一度ということで、共同で研究開発しているそうです。

ガイドさんは「チクルの木の皮をとってお茶にすると、お腹に良いよ」と説明してくれています♪

プロメリアのお花!

神殿7(高さ24m)  番人のおじさん カメラを向けると気さくにPosing なんだか決まってるねぇ。

ここからヒスイの仮面が発見されたんだって!

階段の前にはステラ(石碑)が立っています。

石灰岩なので摩耗がはげしくて解読は難しいけど、ステラのテーマとしては

・歴代の王様の戦勝記念 ・王位継承 ・婚姻関係 ・同盟関係 など節目の出来事を刻んだそうです。

家系図がしっかりしていないと民衆に信用ないもんね。大事。

日本の天皇家だった綿々と続いてる裏付けがあってこそだもんね。

丸い台はお供え物を置きます。

階段を登ると、頂上から神殿2がみえる。豊穣豊作の雨乞いの儀式をしてた。

カラクルム=「向かい合って立つ2つの建物」の意味だね。

階段きついんだよぉー

どんだけすごいか…この写真でわかるぅ?? フゥ~~~

スパッと切られたステラ…

ドロボウにいいとこだけ盗まれた。

枯れ木じゃないよー風草っていうんだよ。

 神殿2(高さ55m、底辺140m)他の建物と同様に。古い建物を内包。

マリファナを吸うお兄さんもいましたぁ。(もちろんこちらでも違法だよ)

登りきると…ジャングルぅ~~

太陽の神殿をみる。

野鳥の鳴き声が…

マヤの人たちは、太陽を誘導するのは鳥だと信じていたようです。

鳥が鳴いて太陽があがる。鳥は太陽の光を吸収して美しい彩となった・・・

頂上の立ち枯れた木。死してもなおこの気迫。

せっかくこんな~登ったので記念写真。 なんだかもうすごい格好になってるんで背後から^^;

みんな慎重におりてくるよー

こんな風に木の根が石を抱いて倒れ、遺跡を壊していくんだって。

木々に着生している蘭。

オペラ歌ってるみたいだねー(^^)v

エントランスのもうしわけ・・・

やる気まったくなしのディスプレイ ^^;

2002年に世界遺産、商売っ気はただいま途上中、これから好ご期待って感じかな。

12:55 壁が全部網戸のレストラン♪ (ミネストローネ、チキンファヒータ、プリン、山盛りのアボガドのディップ)

14:10 またまた長い移動~『アラオ塾』の時間です!

今回はなぜマヤが滅んだのか??

古くからマヤはトウモロコシ、アボガド、豆、とうがらし、かぼちゃを食べていましたが、農業のやり方は焼畑。

5月に収穫が終わって、前年の茎や葉を焼いて病原菌を殺しこやしをつくり、雨を待ってタネをまく。

人口が増えると、木を切って焼畑をやる→森林がなくなる。

一日3度食事をつくる→薪を使う→森林なくなる。

そして最大の森林破壊・・・それは神殿作り。

神殿には全部漆喰を塗りますが、その漆喰作りのために大量の薪を必要とするのです。

(漆喰作りはまず石灰を焼きます。この時に薪が大量に…焼いた石灰を水につけるとあぶくを出して溶けてしずみます。そこにたまったものをコテで神殿に塗っていくのです。化学変化をおこして水酸化カルシウムなり乾燥するときに二酸化炭素と反応してガラスのコーティングをつくるのです。フレスコ画のしくみ。)

しかもその漆喰は4~5年で塗りなおしていたというから、環境破壊が広がります。

むやみに切り倒した森林に大雨が降る、肥沃な表土を洗い流していきます。

そして、マヤの時代は戦国時代。部族同士の戦いが何年も繰り返されて、お互いが消耗してきます。

食べ物が取れなくなり、抵抗力がなくなりすぐに病気になったりしていきます。

その上に気候の異変は数年おきにやってきます。

エルニーニョ、ペルー沖に12月末におき、フンボルト海流の温度が1℃上昇・・・

反対にラニーニャ現象、海水の温度が1℃下降。

この1℃の変化が雨を降らしたり、降らさなかったり…大きな影響を与えます。

豊作の時期は人口が増加するのは自然の理。でもいったん増えた人の数に対して飢饉が襲ったら…

マヤの王様はいばっているだけでは、クーデターが起こります。

祭事をやって、その神のご加護で人民を食べさせなくてはいけません。

王様のいうことが当たって豊作ならいいけど、不作だったら、当然困ります。

王様は考えます―神が「怒っている」と。

神様をしずめるために「もう一つ神殿をつくろう」「イケニエをしよう」

そうなると、人民は…畑仕事を辞めて神殿建築をやり始めます。そもそも神殿作りは…生産性がない仕事ですから…

ますます飢餓へ突入です。

2年、3年・・・よくならない・・・それでも「神は怒っている」

王様がいうなら、また作る。

4年目になってくると、人民ももう黙ってばかりはいられません。「あの王は悪魔だ」…

権威者はみんなが認めているうちはいいけど、いつまでもそうは続きません。

他部族が作戦をねり、クーデターを起こさせます。

第二夫人や第三夫人を取り込んで、第一夫人の息子を失脚、あるいは殺害を企てます。内乱です。

そういうことが重なって300年間続いたマヤの古典期が終わったのではないでしょうか。

と、いうことでした!

途中、ガソリンスタンドで休憩。

カラフルなアイスクリーム おいしそうーだなぁ。

1ペソは7~10円くらい。

バナナチップスを売りに来ています。 往年の映画俳優みたいなPosing!カッコイイね。

一袋10ペソ バナナチップス好きなんだなぁ~ 買いました!

味があんまりしない味がとてもおいしかったよー

スタンドでハイビスカスがキレイに咲いてました!

チアパス州に入ってくると景色が変わります。

牧草地がひろがってのどかないい感じです。雨の多い地域なんですって。

フランボジャンの赤いお花が魅力的です。

18:45 HOTEL MISION PALENQUE 到着。

20:00 夕食 添乗員のムラタさんが日本からそうめんを持ってきてくれていました!(お芋とネギのスープ、ビーフファヒータ、プリン)

天井にヤモリがいましたぁ♪

プールサイドの灯りキレイだねー お部屋に戻りま~す。

お部屋に蚊が…キンンチョ―蚊取線香 出番です(^^)v

おやすみぃ♪


メキシコ

2011-05-03 | 海外旅行

オハヨー朝だよぉ~~ ダーリン☆起きてぇ~(≧ε≦)Chu! ・・・

…と、私の妄想劇場は…ハイ終了(~_~メ)ってことで… 

今日は5時半起床で、このテンション!! 旅行中は早起きもなんのその。

朝ごはんの前にホテルのお庭にやってきました。

レリーフのレプリカ ホテルの玄関も雰囲気を盛り上げてくれています(*^^)v

朝ごはん もちろんジュースは…スイカだよー 今日くらいからどんどん食べる量が減ってくんだ。

少しずつホッソリしてくん わかるかなー

スペイン語がびっしりのホワイトボード! メキシコの人の書き方ぁ・・・脱力系だよね! なごむなぁ。

イグアナにコツン  バス乗るよ~(っていっても私たちのバスはこのとなりだけどね) 8:00出発 

今日も『アラオ塾』楽しみだなぁ~(*^^)v

 イッツア通り、野口英世のモニュメント。

生まれは福島、明治29年。1才半のとき囲炉裏で大やけどをおいます。

その後、恩師に恵まれ高等小学校を優秀で終え会陽病院で外科手術を受けます。

ただ当時の手術ではとても使えるようにはならなかったそうですが、ここで医学への志を立てたそうです。

上京して苦学ののち研究医として北里病院に入ります。(開業するには左手が支障になってできなかったとのこと)

もっと技術を学びたいと思った野口英世はアメリカのペンシルバニア大学へ。

当時は、アメリカ人の嫌う…トアホームや性病、ヘビの研究などをしていたそうです。

で、そこで大きな成果を出します。

梅毒の研究でその菌が脳の中で生息することを発見するのでした。

1918年エクアドルへ。

そこで黄熱病の研究をしてウィルスを発見します。そしてこのことが医学界で評価されアメリカから表彰されました。

1919年メリダへ。

メリダで黄熱病が蔓延している現状に…アメリカからやってきます。なんと1週間もかけて!

黄熱病の研究と自分が開発したワクチンを困っている世界に届けたい。そんな思いだったのでしょうか。

黄熱病は急性肝炎を発病して一週間で亡くなる恐ろしい病気です。

ところが、ガーナで「ワクチンが効かない」と!!??  そして、ガーナへ飛んでいきます。(そして死亡 51才だったそうです)

ですから、メリダへ滞在していた期間はわずか3週間だったそうです。

わずかの期間でしたが、その他の風土病の研究で多くの先住民を救ったといわれています。

この像は玉川学園の寄贈らしいです。

 さて、この野口英世ですが20代の前半に改名したそうです。

本名はセイサク。

当時ベストセラーになった坪内逍遥の小説の主人公に、野々口セイサクという、どうしようもない遊び人が登場しますが、これがまた医者を目指して上京するお話。

ひょっとすると、自分と間違われるのでは!?と思いあわてます。

郷里に帰って、野口姓を持つ妊娠中の若夫婦に「子どもにセイサクとつけませんか」とお願いまでして、改名届をだすことに。

“英世”は、恩師にアドバイスを受けてつけたそうです。

野口英世はアメリカの女性(メリーさん)と国際結婚して(当時としては大変なこと!)今お二人の遺骨はニューヨークに埋葬されているそうです。

9:40 カバー遺跡到着

9~13Cに栄えた街。ウシュマルの姉妹都市のひとつです。

カバー=建築家の手 こことウシュマルで見られる建築は「マヤ・プウク様式」だそうです。←っても???だね。

ここでもワンコ!おっぱい飲んでるぅ~ この無心ブリがなんともいえないなぁー♪♪

 全体こんな感じ

 だいたいが崩れてるよ

美白やんなー キミっ!

階段登るよぉ~~ カッコイイ形でしょ!

完璧な形のチャーク神のお鼻 発見!上を向いてるときは「雨を降らせて!」下を向いてるのは「雨をありがとう!」なんだって。

仮面の神殿

丸いのが目、四角に穴は耳飾り、鼻はほどんど折れちゃってる。全部チャーク神雨(乞いの神様)250面!? 雨への強い執着がわかるね。

差し込み式でつくってあって・・・

これがその差し込みの品々らしいのですが…1mくらいの長さが差し込んである。

作り方考えるだけで…フゥゥ~~(>_<)

祭壇?中はコウモリやツバメたちが巣作り。

チャーク神の鼻の頭にお水を入れる⇒天からの水(雨)を呼ぶためなんだって!

 遺跡の中を歩いて裏側にまわりま~す。

二人の神官の像!

大きくするとこんな感じ。ゾクゾクするねー

でも、これもなんか…キマリすぎてるんやよなー 

特有!?の自由で伸び伸びしたやわらかな線が感じられないん。

兵士の顔にわざと傷をつけて男気を表し、鼻に箸を差して(こんな痛いのだって平気さ!)と誇示し、手には槍を持っています。

男性は強がってなんぼ!? 女性はまんま強い!?

左が勝った兵士で捕虜をつかんでます。

後ろ(北側)の全体はこんな感じ。でもでもこんな立派な神殿をつくる地を盛り土工事したっていうからすごいね。

歩いて戻りま~す。

ユニークな顔に!

「〇〇〇」は…水・氷・水蒸気を表しています。

王様のために遠い山頂から氷を運び、その途中氷が水に…そして気体となっていく様が不思議だったんでしょうか…

歯はまんま歯だね^^;

木・・・

そしてこの木にこんなキノコみたいのが生えてる…   10:25出発

 10:52 ウシュマル到着。現在みられる建物は7~10Cのもの。ウシュマル=3回作られた って意味だそうです。

実際は…3回以上 建物の上に建物を重ねてつくっていく玉ねぎ方式の建築スタイル!

プウク様式の傑作が残ってるそうです。

ところでプウク様式って?

丹念に仕上げられた切石を使って、幾何学的なモザイクとマヤの神様のモチーフを装飾過多と思えるほど、壁面いっぱいに用いて作る様式。

フランク・ロイド・ライトの建築にも影響を与えて、旧帝国ホテルのデザインに応用されたんだって! 

魔法使いのピラミッド

その昔王様と一人の小人が知恵比べをします。

王様のたわいない謎解きや難問に次々答える小人。やがて王様がしびれをきらします。

「一晩で大きな神殿を建ててみろ」もしそれができたら…「王位を与えよう」と。

するとどうでしょう…

小人は一夜にしてこの神殿を造ってしまったのです。

マヤの伝説の神殿です。

(実際には300年以上かかったそうです…)

どうでしょう…美しすぎるこのフォルム しびれるねー

ぐるっとまわっていきます。

後ろに(東側)にやってきました!

尼僧院です。魔法使いのピラミッドの西側に。

部屋がたくさんあったのでテキトウにこう付けられたらしい。実際には行政や教育センターだったとか。

幾何学模様がキレイです。

尼僧院に上がります。

広大な中庭を4つの建物が取り囲んでいます。

ここのチャーク神はお鼻が下向き「雨ありがとう!」っていってるんだね。

ドラゴン(ククルカン)おもしろいし…イイネ!

ヘビの体に鳥の羽が生えて…トウモロコシの葉っぱが伸びて実がなる。

そんな遺跡。転がってる石だってあなどれない!

亀の神殿…のカメさん

カメも池に住み水にちなむ生き物。だから大切にされてたんだって。

大ピラミッドから遺跡のパノラマ!

高さ30m、一生懸命登りましたぁ!(^^)! 雨季になると緑が茂って大樹林になるよ。

尼僧院と魔法使いのピラミッドがみえるね。

ハトの家だって…

大プラミッドを降って歩いてると、壮絶な戦いが…

最初はカップルで仲良ししてるんかしらん♪って思ってたら、このありさま。

大きく口開けて噛みついて、この感じでクルクル回ってます。傷だらけになってるよぉ~

総督の宮殿

実際は貴族の家?会議場?行政府? よくわからないらしいです。

黄緑色がキレイに映えるねー

この時気温は40℃…自然のミドリに癒しを求めるのでしたぁ。

総督の宮殿の広場のオブジェ ジャガーだよ!子孫繁栄スタイル。

あまり色彩のない景色だったからすっごい鮮明な赤に萌えるぅ。

当時はこれらの遺跡にすべて色がついてたんだけどね。

しばしお土産屋さんをのぞく。  へーんな顔…    12:30出発

13:00 アッシエンダオチル エネケン農家で栄えた、アッシエンダ(農園)にてお昼。

ユカタン地方の料理です(ソパデリア(ライムスープ)、コチニ―タピビル(ポークをトルティーヤに包む))

そしてデザート ココナツババロア なんだけどぉ~ どうこのアバウトさ!(^^)!

同じ一人前でもこの量の違い!! おっかしーww

レストランを見学。当時の機材が残っています。

オチルとよばれる荘園は1000以上あって、その後をホテルやレストランに使っているそうです。

今ではサイザル麻をハンモックにしたり、民芸品にして細々とつくっています。

お水をたたえたお花、ゆとりの象徴だねぇ。

テキーラはどれ??

これがエネケン!潔い感じの葉っぱ。(リュウゼツ蘭 蘭?の仲間なんだー)

作業場のあと。道具に歴史あり。

約3時間~バスでカンペチェ洲へ!カルスト台地をまっすぐ走ります。

『アラオ塾』Hourです(^^♪

カンペチェ洲のおとなりはタバスコ州、ここでは大量に原油が採れるそうです。

ただイオウ分が多く品質的に中東に比べると劣るため価格は安く、アメリカやヨーロッパに輸出しています。

荻野正蔵著「真珠湾攻撃を決断させた男」というが出版されましたが、真珠湾攻撃に踏み切った裏には、当時メキシコの原油、そしてそこで暗躍した都留競という人物のお話です。

なんだか、スリルにはらんだ史実で興味津々。。。

1920年山本五十六はメキシコに来ています。

そしてひとり出向いたその先は・・・タンペコ。

そこは大西洋の港、原油がたくさん採れる貿易港。メキシコは当時世界第2位の原油国。

日本は日清・日露戦争を経て戦争のやり方が変わったことを知ります。

・・・石炭からガソリン。

「これからの戦争はたくさんのガソリンをもっていないとできない」

日本での産油はわずか・・・アメリカから輸入は不可能。そこで目をつけたのがメキシコ。

当時メキシコには日本人の移民がたくさん渡り、彼らをあてに調査にやってきたのであった。

そこであったのが都留競、彼は富山出身でメキシコで薬売りで生計を立ていた男。

都留はふと思う「五十六が原油を探している、ひょっとすると戦争が始まるかもしれない…」

都留は油田を買うために薬を売る。薬を売り資本を貯める・・・

そしてその都留の勘が的中する、1930年いよいよ政府が原油を買いたいと・・・

政府と合弁会社を設立。

パナマ運河経由で山口県の海軍の基地に運ぶ原油、100万バレル。

アメリカに知られないように・・・

メキシコの原油を頼りに山本五十六も決断した。「これでふっきれた。都留君には、くれぐれもよろしく」と暗電。1941年12月8日未明、帝国海軍はハワイ真珠湾を奇襲攻撃。

アメリカFBIから「メキシコで最重要の危険人物」として監視された、日本人。

第二次世界大戦の素地がここにあったとは・・・ とても興味深いお話でした。

……現在のメキシコの原油事情は、今はもう浅いところが採りつくされて深堀をしないといけないらしく、国営から民営化して海外の技術で採掘したようですが、なかなか現状は民営化が遅れているそうです。

 

ところでメキシコシティには「日墨会館」という施設があるそうですが、この会館ができたのは今から60年前。松本三四郎さんという人の土地と企業の寄付でできたもの。

レストランやプール、テニスにゲートボール、カラオケなどができるアミューズメント施設!

松本氏は菊の苗を栽培し、白い菊がカトリック教会でウケて大金持ちになった人。

(バスで移動中一軒花屋さんを見かけましたが、菊のお花でリースをつくってました!)

 メキシコに移民した当時の日本の人たちは、いろいろな分野で大業を果たしていったんですね!

 

さて次は、恐竜滅亡のお話。

6500万年前に恐竜が滅亡しますが、その理由が諸説。その中で、いん石落下説を証明したのがメキシコ

証拠になるそのいん石はどこに落ちたのか??

メリダから南へ車で3~4時間、メキシコの石油会社が海底調査をしていたら穴を発見します。

そこをボーリングしていくと、高熱で変形した石がでてきます。そう、その石からは地表にはないイリジウムという元素が検出されます。

ひょっとしたら、いん石が落ちたのかも!?っと炭素計算をしたところ…6500年前と出る。

―恐竜の滅亡時期と一致したわけです。

今となっては通説のいん石落下説を裏付けたのも、ここメキシコから~でした!

16:50 カンペチェ BALUARTES ホテル到着。

Welcome Drink  甘くっておいしー ちょっとお疲れが顔に…!?

服もシミってるし・・・ハードな一日を物語るね。

でもまだまだ今日は終わりません!近くのスーパーに連れってもらいましたぁ。

そこで見つけたTシャツ。これを着れば即パリス!

レスラーのノート購入。未だ職場で出せず…

フレーバーとガムも購入。。。大好きなスイカのガム どんなだろう??

チョコはメキシコ原産のカカオ。

カカオは昔は炒ってつぶして飲み物としていたそうです。甘味はフルーツやはちみつをたして。

実を乾燥すると腐らないし、数えやすくてとても価値が高く、お金としても使われていたそうです。

板チョコになったのはスペインが入ってきてから。

ミルクが必要ですもんね。(それまで、メキシコには家畜はいませんでしたから)

 

スーパーからホテルに戻りましたぁ。

ふと見上げると・・・お隣のホテルに描かれてた絵!

どんな解釈??するん。。。

18:30 海の門です(16Cスペイン人が初めて築いた要塞都市。度々海賊に襲われたそうです)

カンペチェ旧市街の散策へ。スペインによって最初に作られた要塞都市。

メキシコの金銀をここから大西洋を渡ってスペインに送る―それを海賊が襲うわけです。

要塞都市って納得です!

その海賊って…イギリスが雇った海賊です。海賊の国家公務員ってわけでしょうか。

敵国の船を襲撃して略奪することを認める特許を与えられた商船。エリザベス1世が海賊行為を黙認(どころか奨励)したわけ。

敵国の船とはスペイン銀船。カリブ海で襲撃したのです。

スペインのフェリペ2世は再三、取り締まりを申し出ていましたが、女王は縁談を外交手段に利用し結婚を餌に外交政策を有利に展開していましたが、とうとうこの事実(国策での海賊だった)ことを知り激怒します。

1588年、スペインは当時無敵を言われ怖れられていた艦隊を、アルマダでイギリスに撃破されますが、アルマダの海戦で活躍したドレークという人物はこの海賊船の船長でした。

そして「太陽の沈まぬ帝国」と称されたスペインの最盛期もこの辺りまで。スペインの陰りが始まります…

門の中央のマーク。立派な帆船だねー

ソカロ(広場)ではダンスのリハーサル。 ス・テ・キ ♪♪♪

カテドラル

教会の中には14の聖書の絵画があります。磔→復活まで。

INRI「イエス・ナザレ・レイ(王様)・イスラエル」

ナザレ出身のイエスがイスラエルの王様の命令で処刑されたよ…みたいな記号もかかれています。

2週間前にイースターがあってそれらのモニュメントもまだ残っていました。

露店の本屋さん。地べたリアン。

糧を得て生活するんだっていう姿、力強さと懸命さが伝わってきて心に残ったよ。

こういうのにジワ~ってくるんだぁ。。。

バイクのおっちゃんカメラ目線^^; ギロっ!

19:00 MARGANZOにて夕食

(ウェルカムドリンク、エビのコンソメスープ、シーフードグリル、ココナツクリーム)

ホテルに戻りましたぁ~   世界中で大活躍 ピクトくん!

夜景モードでホテルの窓から教会を撮ってみたよー

明日は最強に早いんだー 4:30出発…      もう寝るねーおやすみィ~~~ 


メキシコ

2011-05-02 | 海外旅行

ビーチで日の出を!朝日気持ちいいなぁ~

朝ごはん スイカジュースさっ!

今日は「エクバラム遺跡」と「チチェンイッツア遺跡」観光も本格的になるよ。

7:30出発!

「エクバラム遺跡」へ 車で2時間!

離れていてあまり人がいかない遺跡なんだって。

他にはみることのできない漆喰の彫刻があって行きがいのある遺跡。

移動中は『アラオ塾』の講義が本当に楽しみ(「松下村塾」にちなんで敬意を込めてこう呼びます(^^)v)

今日は歴史的な背景のお話…

大航海時代それは15C中ごろから17Cごろまで続いた

ヨーロッパ人によるアジア、アメリカなどへの海外進出。

ヨーロッパはルネサンスによって科学や地理学が進歩し、羅針盤も伝来。

外洋に耐えられる頑丈な船も建造されて、海外進出への技術的なハードルはクリアされていました。

初期の航海は難破、敵からの襲撃、疫病などで生還率は20%にみたない。

しかし、開拓するたびに国土が加えられ利益も莫大。

健康と不屈の精神、そして幸運に恵まれれば…

一夜にして王侯貴族と匹敵するくらいの名声と富がころがりこむ。

こうした“早い者勝ち”の機運が人々の心を駆り立て、

ポルトガルとスペインを中心に大ブームが吹き荒れるようになりました。

では、スペインやポルトガルがどういう国だったかといことですが…

この二か国は当時できたてのホヤホヤ。

この国があるイベリア半島は8C初め以来イスラム勢力の支配下にありました。

フランスとの国境地帯に住むキリスト教徒たちが少しずつイスラム勢力から領土を奪い取って…

これをレコンキスタ、再征服運動といいましたが、この戦いで生まれたのがこの両国。

イベリア半島で最後のイスラム教国グラナダがスペインによって滅亡したのが1492年。

コロンブスがスペインの援助でアメリカに到達したのと同じ年ですから、

イスラム教徒と戦争しながら大航海を援助していたというわけですから…

この時期のスペイン、ポルトガルには猛烈な領土拡大の意欲があった―

もっと、もっと広く、遠くって感じでしょうか。

イスラム教徒と戦うなかで養われたキリスト教を広げようという宗教的な熱意も背景にあったようです。

さらに、両国は王室の権力を強化するために財源を求めていた…

海に囲まれたイベリア半島だから、海上貿易に目をつける。

当時一番もうかるのは香辛料。同じ銀の重さで取引されてたというから驚きです。

このころのヨーロッパ人は香辛料なしではすまない食生活になっていたのです。

(腐りかけた干し肉にコショウをかけると臭みがみごとに消える!)

ポルトガル、スペインが香辛料貿易をしようとしたときには

地中海はイスラムやイタリア商人が独占していた。

なので別のルートでインドに到達する方法を探すことになったのです。

また、マルコ・ポーロの「東方見聞録」が大いに読まれてアジアへの関心も高まっていました。

 

大航海時代の先駆けとなったのはポルトガルのエンリケ王子。

国として航海に保護を与えることをしました。ポルトガルは東周りでインド航路を探索。

そして、1488年アフリカ最南端に最初に到達したのがディアス。

嵐にもまれているうちに最南端をまわっていたらしいです。

ポルトガルが実際にインドに到達するのはこの10年後。ガマです。

ヨーロッパとアジアのゆがんだ関係がこのときから始まったんですね…

 

このとき、スペインはどうしていたか…

実はポルトガルに後れをとってインド航路を開拓できない状態でした。

スペインがアフリカを廻ってインドを目指すのは難しい状況です。

ここで登場するのがコロンブス。

ちょうどイタリアのトスカネリという人が「地球球体説」を唱えていて、

コロンブスは大西洋を渡ればインドに到達できるという可能性に賛成意見をもらっている。

レコンキスタを終了させ、余裕のできたスペインがコロンブスの計画を受け入れます。

約2か月、西へ西へ航海は続きます。

そして、小さな島を発見して上陸。現在のサン・サルバドル島です。

とにかく、コロンブス一行はここをスペインの領土と宣言します。

コロンブスはここをインドの一部ないしは周辺と信じて疑っていなかったようです。

 

コロンブス以後、たくさんの探検家がアメリカに向かいました。

ポルトガルのカブラル。嵐にまきこまれ大西洋を横断して着いたのが現在のブラジル。

次にイタリア生まれのアメリゴ・ヴェスボッチ。この人が航海者たちの記録を検証して…

アメリカがアジアでないことを論証します。

 

そして1519年、スペインのコルテス。船をつくり人夫を雇い、地中海から出航します。

キューバで船を直したり水を積み込んだりして、インドを目指してメキシコにやってきました。

(キューバ、ハバナ市内にスペイン風の古い建物が多く残るらしいですが、メキシコにやってくる前に、給付を受けるなど、メキシコや南米から銀や金を積んでいった中継地点だったそうです。)

コルテスはペルーを征服したピサロといとこ同士だそうです。

コルテスの成功を聞いたピサロが同じ方法で船を作り、ペルーに出かけていったとか。

 

10:05 「エクバラム遺跡」に着きました!ひっそりとお土産屋さんもあります。

 エク=黒い  バラム=ジャガー の意味。(なんだかカッコイイなぁ)

600~900年に栄えた街で、12C以降は新しい建設もやめて経済や文化、宗教も衰退していったそうです。

チケットだよ!

 このマヤアーチをくぐると…(修復だよ)

「球戯場」 メソアメリカには必ずある。

東西に壁、ゴムボールをラケットで打ち合う。“太陽と月がとまらないように…” 

また、長老会などで意見がまとまらないとき「戦争しよう」「反対ー」とか。

ボールを打ち合い、その勝敗を神様の意見とするなど、スポーツじゃなくってセレモニー的な働き。

幅170mの堂々たる風格。(目の前にすると圧巻だよ!)

中央の階段は椅子にしてた。ここに民衆を集めて演説したらしい。

音響効果を高めるために東西を囲んで声や太鼓を響かせたんだって。

ガジガジガジってしてるのは「大地の神様の口」

羽の大天使ミカエル。ここでは大王か神さま。(ほぼオリジナル!)

でも、今となって振り返ってみると…ど~も違和感。気取った感じなんやよなー・・・

他の遺跡ってすごく自由で生き生きしててファニーなのに…これは後からスペインがとっつけたんと違うんかなーってひそかに思った。

 大地の神さま ジャガー

唐草模様は豊穣のシンボル。

 

巻貝は女性の子宮の象徴

当然こちらは男性の象徴

当時は豊穣と子孫繁栄は現在以上に重要な課題だったんですもの。

見て…この階段…登ってきたんだよー 高さ30m

彫刻に見惚れながら、ふと周囲に振り返ると…雰囲気ある景色が広がってた。

 oh~ワンコ!キャワユイねー 階段でお昼寝だねぇ。

 

ひっそり可憐に…

 のびやかに野性的に…なんて名なのかなぁ??

 ポップな名札だね!

 セイバの木 ヘビメタやなぁ

エントランスの床に張ってあったタイルだよ!

ハアブ暦

1年が365日の暦で、0 から19 の20日間と名前のついた18ヶ月の組み合わせで360日

更に1年の最後の不吉な日とされるワイェブ5日間を加えて1年365日を構成します。

http://maya-reki.jp/

古代マヤの占いができるサイト♪♪ やってみるもよし

私の誕生月は 「Chen」 だそうです・・・

 

エクバラムを後にしま~す!

マヤの人は身体の上にポンと頭がのったような感じで背も高くはありません。

現在も土壁の家も多く残ります。

12:20 お昼のレストラン到着です! 民族衣装ステキだなぁ。

シルバーのペンダントトップを作れます。

太陽のカッコよかったな。

アルファベット⇒マヤ文字へ 変換!してね。

ビュッフェスタイルだったよ。フルーツはスイカOnlyで選択。。。

Paper Flower みたいだね。

こんな風に運ぶんだぁ!! ニッコリしてくれてかわいいなー

お土産コーナーで遊ぶ!

ジーザスAll いちおし商品みたいで、4色くらい色違いで押してた。

 

 13:55 マヤ最大の複合都市「チチェンイッツア遺跡」に到着。

チ=口 チェン=井戸・池 イッツア=部族の名前(水の魔術師)

“池のそばに住み始めたイッツア族”

6~8C・10~12Cに繁栄したとのこと。

 チケットだよ!

世界遺産の碑かな??

この遺跡はもうこんな魅力的なお土産屋さんが延々と続くよ。

キョロキョロしちゃう(^^)v

シトロク神殿 ドラゴンの頭つき(雨の神様 竜神)だよ。

高僧の館で、内部はお墓・納骨堂。

カラコル(カタツムリ)天文台 円柱なんてオシャレだなー 現代の天文台と同じだよねー不思議。

4つの四角の穴の中にはらせん階段があって、東西南北にまた穴があいてる。

計8つの穴、そこから太陽光線をみる。それらを数学で解析して日食、月食を測ったそうです。

マヤ文明は天文学と一緒に数学がとても発達したそうですが…

天文学から得た資料を数値化して系統立て、整理するために数学は必須だったそうです。

0の概念を持ち、20進法。手足に10本ずつ指が、それが数える基準。

王様は民衆に食料を与えるため、天体観測を行い、具体的に見せるために春分、秋分の日、月の満ち欠けを予測し、10日くらい前からセレモニーを行う。

日食、月食を神の代理として予測してみせる。

そしてそれを目の当たりにした民衆は…“まさに神に違いない”と思うのでした。

 イグレシア教会と尼僧院 スペイン人が後で名づけたらしいです。

 チャーク神

雨の神様、農耕にとっても重要だもんね。長い鼻と大きな牙、T字の目が特徴。

 カスティージョ(ククルカンのピラミッド) 高さ24m 底辺59m

ククルカンはマヤの最高の神様で羽のあるヘビの姿の神様です。

風をつかさどる、命の守護神らしいです。

先住民の世界観は3つ。  地下:ヘビ(ガラガラヘビ)  地上:ジャガー  天上:鳥(ケツアール)

ガラガラへびはしっぽに鈴をつけて音を出しますが、その鈴は脱皮ごとに増えていくようです。

ゆえにガラガラヘビはそのしっぽをみれば、年数がわかります。

当時の人は、時を測るものさしに執着していましたから、ガラガラヘビは時を測る生き物として

この上ない羨望を受けていたんですねー…なるほど!!です。

また、先住民はヘビの体の上に住んでいるという考え方ももっていたようです。

ヘビ=脱皮 メキシコの大地も脱皮。

乾季を脱皮して雨季を迎え、草木を宿す… 古代の神秘的な世界観です。

 千本柱の円柱 建物を支えてたそうです。

チチェンイッツアのお母さん。お年は70歳だって!

 3枚ハンカチ買いました!かわいいお花だね。

ホントは…ドレス欲しかったんだぁー

 レリーフが残っています。ケツァルコアトル(ククルカン)の神様の顔

 

戦士の神殿

頂上にチャックモール像があります。半分横たわってのんきそうに空を見つめています。

が…この脱力系な感じとうらはらに

チャックモールのペタンとしたお腹の上にはイケニエの心臓が置かれたそうです…

自然をなだめるために人の心臓をささげるしかないって思ってたんだね。

もう一度カスティージョを振り返る!

91段×4面+頂上の1段=365日

春分と秋分の日の午後にはククルカンが舞い降りるよー

秋分の日は雨季ど真ん中だから…気を付けてねー(台無しかも…ってこと)

ビーナスの台座

ジャガーの口の中に顔。わかる??

セノーテ(泉のこと)自然に陥没してできた大切な生活用水。

川のないユカタン半島で唯一の安定した水源。

ここのセノーテは20mくらいの高さの絶壁に囲まれています。

池の中からはたくさんの奉納物が発見されてる。金や宝石、そしてドクロも…

イケニエを捧げて水が枯れないようにってしてたっていわれてるけど…

唯一大切な水源に死体ってヤダよねー

アラオさんいわく「きっとそんなことはなかっただろう」って方に賛成です!

セノーテのところのお店。気温40℃を超す暑さ…お水を購入。

カスティージョの写真とか…ありがちなエッチな地図とマグネット^^;

この偉大にして貴重な遺跡の空気感をみごとに壊してくれる…不適切なこんなグッズ…結構好き…

ジャガーの台座

鷲が人の心臓をつかんでる←本当のワシヅカミ

 ソンパントゥリー(目玉のあるしゃれこうべ)

マヤの球技は娯楽じゃなく神様への祈りの儀式、そのためチームに勝ったチームの主将は、

大変な名誉を得て首を切られ神様へのお供え物となったというが…

これも本当は殺されるんじゃなく

そういう儀式だけでそのかわりにここにレリーフとして刻まれたいうのが、まっとうな説みたい…だってそんなことしてたら強くて立派な人がいなくなちゃうじゃんねー

腰抜けばっかになったら国の存亡にかかわるやんなぁ。

これが球戯場(マヤ圏で最大の広さ) 高さ8mの石の壁。長さ146m、幅36m。

両サイドの輪っかへ木のラケットでゴムボールを打ち込み!GOAL~~

東(太陽)チームvs西(月)チーム 男同士の本気の戦い!迫力やんなー

左は勝者(あるいは神官)、切り取った頭を左手に持ち、右の敗者の首からはドッピャーと血しぶきが!

飛び散る血しぶきは天への捧げもの、滴る流血は大地への捧げもの…そんなところでしょうか。

球戯場の内壁の部分に残されてるレリーフ。 16:10出発

18:02 メリダ到着 ソカロ広場 エアコンの室外機の熱風を想像してね…すごく蒸し暑いです。

ユカタン州の経済の中心。立派な庁舎や大聖堂があります。

では、どうしてここが政治や経済の中心となったんでしょう??

1800年の終わりから1900年の初めエネケンという植物をメリダを中心に栽培して大儲けしたそうです。

「サイザルアサ」(サイザルっていうのは輸出した港の名前)の袋を作ったそうです。

麻の袋に穀物を入れる。通気性もよく丈夫。袋やロープで世界中で大ブレイク!

当時メキシコしかつくってなくて“みどりの金”といわれたほど。

エネケンの寿命は22~23年。5,6年で大きくなってから1年に6,7枚切って加工する→エネケン財閥の誕生。

ただ、近年になってアメリカのケミカル会社がナイロンを開発、それ以降は没落していったそうです。

なんちゃってマイケルやよく見ると…カップル用のいす♪かわいいお子ちゃまが座ってましたぁ!

カテドラル

飾りのないシンプルな清貧をモットーにした教会。

地下にはお墓が…二次葬っていうんだって。

土葬の後骨になってからここに埋め直してもらう。名前が刻まれてるよ。

褐色のマリアさま

モンホテの家

1542年にメリダの街を作った人、この辺りのマヤの人たちを制圧しました。

自分の強さを誇示したかったのか…制圧したマヤの人たちを踏みつけてる。

こんなの玄関に飾れる感覚って……ありえへん。

さて、そのスペインの征服ですが、わずか500名くらいの兵士でやってきたスペイン人たちに

なぜいともたやすくやられてしまったんでしょうか…

武力の差、甲冑をまといサーベルを差し4本脚の馬にまたがって走ってくる。

その上に大砲や火縄銃でやられればひとたまりもないです。

当時4本足の一番大きな生き物といえばジャガー

馬なんてみたこともありませんから、恐ろしかったんですね…

それと、部族間への動揺作戦も。

アステカの中央高原では部族間の争いが絶えず、負ければイケニエ。

お互いが敵同士で憎み合っていました。

そこへつけこんだ、「我々の仲間になれば奪われた地権を与えよう」

アステカの人たちを殺し建物を壊していったのは実はスペインにのせられた先住民だったと。

もうひとつは、スペイン人がもってきた病気。ペスト、天然痘、チフス、はしか。

こっちにない菌に抵抗力がなくあっという間に感染。はからずも細菌兵器になったわけです。

子どもから親へ。献身的に子どもへ口移しに食事を与えて親世代が次々感染し広まっていったといわれています。

10年のうちに人口が1/10になったと。

そのあとスペインの勢力がマヤ圏にやってきます。

当時のマヤはもう衰退期になっていて→武力→征服→街づくり・・・というわけです。

18:30 EL CASTELLANO ホテルに到着。

 

 ホテルにあった地図だよぉ Meridaってわかる?? 

19:30 夕食

ミネストローネ、ポーク、野菜、パスタ、レモンパイ

スープにいっぱいライムを絞るんだ。すっぱくておいしくなるぅ~Good

一緒のテーブルになったご夫婦とお話できましたぁ!(^^)!

なんだかこじんまり愛嬌のあるお部屋だったよ♪

ではでは、また明日ぁ~


メキシコ

2011-05-01 | 海外旅行

朝だよー 日差しがあっかるいねぇ!!

カンクンは1860年に開発が始まってカリブ海に面した高級ホテルゾーンが20キロ続いています。

高級ホテルの条件はなんといってもゴルフ&スパ!

アメリカナイズされたリゾート地。

ちなみにホテルのお水は『C』=お湯、『F』=お水

朝食、ビュフェスタイルだからいろいろ食べてみたくなるぅ~

7:30出発、バスに乗ること2時間「トゥルム遺跡」へ。

ここからは現地のガイドを担当してくださったアラオさんのお話で旅が始まります(^^)v

1980年までカンクンはマングローブの林だったそうです。

マイアミに近いのでアメリカが投資をして一大リゾートを作り、現在は世界の観光地に踊りでました。

カン=ヘビ

ホテルゾーンの入り江がヘビのように長い、ヘビが多い、そんなとこからついた名だそうです。

メキシコの世界遺産は31か所。(日本は今14の登録、もうすぐ中尊寺と小笠原入りそうだね)

たくさんの世界遺産の登録があるなぁ…

遺跡だけじゃなく、16C~19Cの300年間に建てられた

スペイン風の史跡なんかもそのうちに多くはいっているってこと。

(メキシコの人たちは世界遺産を自然に喜べるのかなぁ…って複雑にしちゃう)

観光は外貨獲得の大きな柱なんです。

1位は…工業製品、自動車産業だそうです。海外の資本がたくさん入ってる。

メキシコの国土は日本の5.3倍、でも人口は1億3千人(ゆったりだねぇ)

北はアメリカ東はべりーぜという国に接しています。

べりーぜは黒人の人が多く、ガテマラはマヤの遺跡をそのまま残されています。

メキシコよりも古いのに、スペインが大好きな金や銀がなくって…

相手にされなかったことが幸いしたとか。

さて、ユカタン半島は山が少なく、地上に川がないそうです。

だから、まっす~ぐな道路ができちゃいます。バスも行け行けドンドンって感じ。

石灰岩によってできているカルスト地形。何万年前には海の底。

地球の巨大な力、地殻変動で盛り上がった地形です。(日本では秋吉台が有名ですね!)

このカルスト台地、雨が降っても台地に水がたまらないし、表土もわずか20~30cmしかないそうで、

メキシコには広大なジャングル緑を茂らせていますが、

どれも木が根を張れない低木のジャングルということになるそうです。

 この、川がない、水がない-なのにどうして何万人も暮らすことができたのか??

商業都市を築けたのか??600年~1000年もの間、どうして栄えることができたのか?

そしてどうして滅んでいったのか??なぞは深まるばかりです。。。

 

9:25 トゥルム遺跡に到着!!

スペイン人たちがやってきて、メキシコの中で一番最初に目にしたマヤの街。

1000~1400年ごろマヤ文明末期に栄えたという遺跡。

神秘的な謎に胸を酔わせながらも…

遺跡周辺では現在の息吹が(^^)v  

いずれのところもそうだけど、元気にお土産屋さんが並んでます。

しかもカラフルなんだなー全部。メキシコっていえばプロレスだよねー

このマスク、ネット販売で3000円ー

私も格安で買ってオークションで売りさばいてやるぅぅ~って思ってた。

 

遺跡の入り口からこのトラムに5~6分乗ります!歩けない距離じゃないけどさ。

チケットだよぉ~ いよいよ遺跡に!

 メソ(中央)アメリカをつくる国はメキシコ、ベリーゼ、ガテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル。

B.C.1000年からガテマラから栄えて北上しチェチェンイッツアまで続くそうです。

「マヤ」ということばは『夜明け』という意味がこめられ、

トゥルムはマヤゾーンの中で一番最初に太陽をみることができる地。

聖域として王様や貴族の城塞が堅固に残っています。

マヤ部族は日本の戦国時代と同じ様相で、群雄割拠。

覇権を競い、同盟、婚姻などさまざまな知略とともに王様は場所をかえて栄えます。

建築様式は、オルメカ=メキシコの母

カンペチェのあたりにB.C.2500~B.C.300年に栄えたオルメカ文明の

基本的な天文学や数学の原型、やしきの作り方をひきついでいるそうです。

マヤアーチ!! ローマ・ギリシアの天井アーチによく似ています。

さてさてアーチをくぐるとタイムスリップ。

一番最初にお出迎えしてくれるのが、イグアナの君。

 

ハイビスカスの赤!!

トゥルムはカリブ海に面してガテマラで採掘できるヒスイを船で輸入する地。

メキシコで一番大事なヒスイはメキシコでは取れなかったんですね…

サンゴ礁の浜では大型の船は入港できない…その地の利を活かして

北と南と西を石で囲み外敵を防止。海と遺跡はまさにここだけ!

ここは見張り台といわれています。のろしをあげて灯台の役目とか「ここはトゥルムだよ」って感じ。

古代の人たちの“海”の考え方は「地上の海」と「天上の海」、雲は天上の波。

天上の海は真水で、雨を落としてくださいと祭儀を行ったようです。

映画「カリブ愛のシンフォニー」の撮影で。こんなに神聖な場所で!!

 ここからの景色が一番好き!!

この後さまざまな遺跡を巡ったけど…ここがステキだった。

カリブ海のコバルトブルーの明るさ、波しぶきの音の“動”

そして、重鎮とした遺跡のたたずまいの“静”

躍動感と荘厳さの二つがあいまってなんともいえない感動がありました!

 ウチワサボテンのお花、花びらがツヤってしててとても魅力的(^^)v

今は遺跡の色合いとしては残っていないけど、

当時は、漆喰を塗りその上にベンガラで着色。フレスコの技法で美しい“朱”で輝いてたそうです。

当時の人の“赤色”は「人間の血」と「太陽」、まよけの色として大切にされていたそうです!

実は…スペインはコルテス以前にメキシコに探検隊をだしたそうです。

途中座礁して遭難。何人かがトゥルムに上陸。

ほとんどがイケニエのされますが、捕虜となり命が助かったものが2名。

アギラルという神父とボンサロという船頭。

大航海時代の船には必ず神父さんが乗っていたそうです。

莫大な資金を商人だけでは集めることができなかったので国にお金を借りに行きます。

その時の条件が「新天地からの売上!?20%を上納すること」

そして、「カトリックの布教をすること」、いわば神父さんはそのお目付け役って感じでしょうか。

この二人はイケニエを免れた!?後、王様に家をもらって暮らしていました。

すると「行方不明者が現地に住んでいる」

そんなうわさが本国に届いて、ここへコルテスがやってきます。

コルテスは巧みに、ビーズやガラス玉をマヤの人に与えて「二人を連れてこい」と探します…そんなニュースを二人が知ることに…

二人はコルテスに助けてもらえると思ったでしょうねー

でも、当時ボンサロはもう現地で結婚もして子供もあり、王様にも大切にされていて本国に帰る気持ちはありませんでした。

反面、アラギルは…神父さまゆえに独身をかたくなに独身を通していて

本国に帰ることを望みます。ひとり船をこいでコルテスに合流します。

そして、その後このアラギルがコルテスの征服の案内人となっていったそうです。

落ちない手形^^;  ・・・不渡手形??・・・

当時の棟梁のサインなんだって!

 マヤの創造神 イツァムナーを擬人化した横顔 ムンとしてます。

目の下のいれずみかすかにわかる??

目をあけてるのとつむってる姿の2つがあります。

いろんなモチーフが刻んであります!

光、雨、ミツバチなどなど。。。の神様。

 

当時のメキシコのミツバチは尾っぽに棘がなかっそうです。

スペインがやってきて、いっぱい蜂蜜をとりたいから、棘ありミツバチをもってきました。

現代になってもっと役に立つミツバチを作ろうと、ブラジルから獰猛な蜂をもってきました。

交配させて、人間の勝手で新しい蜂を作ろうとしたんですねー

ところが、その獰猛な蜂が研究所から逃げ出して…ふえた…

今現在、その獰猛な蜂にさされて人がたくさん亡くなってる、人がいが広がってるようです。

インドの木、綿がとれます!めずらしいなぁ。

古代の戦の鎧に使用してたんだって!鉄砲とかないから、綿の鎧でOk 。

メキシコの神木 セイバの木

動物を寄せ付けないように、棘棘がでたり、途中から太くなったりするんだー

遺跡を後にーまたまたトラムに乗り込みます!

30mのポールから足にロープをかけて遠心力でクルクルまわって降りてくるんよ。

遺跡前の広場でパフォーマンス!

なんだか気になるおみやげがいっぱいだなぁー

バスに乗ってホテルに帰りま~す(^^♪

車中はアラオさんのお話で楽しい時間です!

マヤは天文学がとても栄えますが、それはなぜか??

チェチェンイツァの春分と秋分の光臨現象は最たるもの。

なぜ大切だったのか。人類が最初に発達させた学問が天文学だったわけです。

メキシコ原産の食べ物にはトウモロコシ、豆、かぼちゃ、トマト。

農業が始まると、定着します。種をまく・・・収穫する・・・

時間という周期を知ることが大切になります。

その、時の流れをどう計るのかを考えたってことが始まりだそうです。

いつ雨がふって、いつ収穫するのか・・・

まず、地上で時間をはかるものさしを考える。

乾季、雨季、昼、夜、自然の移り変わりで時を計ろうとします。

でも、自然の周期には・・・エルニーニャ現象など時としておこり

地上だけではとても計りにくいということに気づきます。

そして・・・ふと空を見上げます。

-太陽が動いています-

春分、秋分の日をさかいに夏至、冬至。左右に動いている。

このことを発見して季節を発見する。

地上でわからなかったものさし。空は変わらない。

太陽、月、金星の周期が絶対に変わらないことを知ります。

こうやって天文学は生活に密着しながら・・・

生活を営むために生まれて発達していったそうです。生きていくための学問だったんですね。

13:15 ホテル到着 お昼ごはんです!

トルティーヤスープ・牛肉のファヒータ・マンゴームース

メキシコの主食はトルティーヤorナンだそうです。

これにいろいろ包んでいただきます。

ホットソースは別にしてあって自分の好みに応じて調整します。

みどりのソースはアボガド・ほうづき(みどりのうちに収穫して食品に!)

コーヒーのサービスに回ってきてくれましたぁ~

カメラを向けるといい感じの微笑みをくれます(^^♪

午後からはカンクンの市内へ。

お写真Pointがたぁ~くさんあります。

どれもカラフルで心が躍るぅ~

お土産やさんでしばし遊んで・・・ホテルのビーチに!

みんな、こんな感じでリゾートしてます!家族やカップル(^^♪

カリブ海のコバルトブルーには3つの条件が必要らしいです。

水・海底が白い砂・太陽光線

カンクンの白い砂にはマジックがあるそうです??

どんなに暑くなっても、砂が熱くならない!!

日本じゃあこんなするどい太陽光線をあびたビーチはアッチくて歩けませんよねぇ。

カンクンの砂は貝と珊瑚でできているそうです。

熱伝導がわるくて、熱をとりこまない&ためないってわけです。

珊瑚ですから、砂の粒子に活性炭のように細かい穴があいていて、きめが細かい。

体について、はらっても痛くない・・・フワフワした優しい砂なんです。

そう、教えてもらったら・・・自分で確かめたいよねー

うん!気持ちいいー 

足だけつけてみたけど、泳ぎたくなっちゃったなぁ~

今日の夕食はピスタチオとストロベリーのアイスに決定。。。

こんな感じでビーチのベッドで食べましたぁ。

まだまだ明るいけど、もう6時くらいなんだよ。

貝殻発見。自然の生む色合いってどうしてこんなにやさしいの…

実は、実は…このハイアットの前の海岸は…

4年前のハリケーンで壊滅状態になったそうです。

 今のホテルも空港も吹っ飛んで立て直したそうです。

メキシコの外貨獲得の3位を占めている観光業、国家事業として立て直したとのこと。

今のハイアットあたりの砂に貝殻や石ころがあるのはトラックでの埋め立てだそうです。

本来の海の砂はもっともっとキレイできめ細かいらしいです。

私には十分キレイだと思いました♪

ところで、ハリケーンには名前がつきますが、どうやってつくと??

ハリケーンをうける被害の国々が交互に名前をだして…それをリストに名前をつけるんですって!

それも、おもしろいシステムだぁ~って感心。

少し日も落ちてきましたぁ~

お部屋に戻りま~す。

ホテルのShopのアクセサリー Oh~ゴージャス!!

ベッドの上で記念撮影!

今日買ったマグネットだよ。・・・五体満足で帰国できるか…心配。。。

特にカメさんの右手の付け根んとこさぁ~危なっかしいんだ…

元気なうちに写真撮っとかないと。

カメラの写真を振り返ってたとき図らずもシャッターがきれた~ Sexy Shotだよん

いい夢を ウフ♪

have a nightmare…だって??


メキシコ

2011-04-30 | 海外旅行

『メキシコ古代文明とカンクンの休日』 (4/30-5/9)出発です。

出発前に震災があって旅行にでかけるのが心苦しいって…思ってた日もあったけど

今日を迎えてやっぱり出発できてよかったーって思ってます!

 

計画停電で、成田空港にたどりつくことがとても心配で始発ででましたぁ。

おかげで…“成田エクスプレス”乗れたぞー

電光掲示板 あっメキシコシティの週間天気予報だぁ(^^♪

5/1、2日は雨だって…あとはお天気なんだなぁー

気温もそんなに高くないんだぁ。。。へぇ~

お腹すいたので空港でイタリアンバジルチキン食べる。

フランスの国旗のお店なのにイタリアン・・・

すっごく オイチィー・・・ドリンクはやっぱカゴメ。

ペソに両替!!

ホセ・マリア・モレーロス・イ・ パボン

メキシコ独立戦争英雄の一人

裏:モレリアの水道橋だそうです。

アエロメヒコの飛行機だぁ。。。

これ乗ってくんだねー メキシコシティまで13時間!

◆出入国カード

前回アメリカで入国係官に赤ペン先生みたく

「こう書きなさい」風に添削されて相当あせったけど今日は大丈夫。

機内食第一号

色は悪いけどお味はよかった。パスタだよー   トマトジュース…しょっぱい…

映画は「ラプンツェル」

わぁ~い。。。    眠気も覚める。カワイイナー(*^_^*)

朝食なの??機内食。

メキシコシティ到着したよー

空港のおみやげ屋さん。マグネットかなりおもしろいなー

ほしいけど結構高め。

荷物を乗せ変えて、ここからカンクンへ!

無事飛んでくれてありがとーねっ。

カンクン到着!国内線はメタリックカラーだったんだ。

なんとも不思議な写真になったねー

『HYATT REGENCY CANCUN』

ホテルのエントランス、夜の撮影でこんな色合いになった!

今日の夜ごはんはお弁当。

さぁ~明日から始まるんだよぉ~

今日は疲れたねぇ。。。おやすみぃ。