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 歩かない旅人

 彼がなした馬鹿げたこと・・・彼がなさなかった馬鹿げたことが・・・人間の後悔を半分づつ引き受ける。ヴァレリー

銀座数寄屋橋付近の赤尾敏の思い出

2016-11-25 11:02:49 | 雑誌『Hanada』を読んで

 

 

   

  私も20代に成り立ての頃を思わず思い出してしまいます。コラム主の加地伸行氏は、私より2歳年上ですから、同じ風景を、私の場合は有楽町にはよく出かけましたから度々赤尾敏氏の数寄屋橋街頭演説は見ています。

  

  小柄な瘦身の赤尾敏氏が宣伝カーの上から、行く度に何やら怒鳴り散らしていたように見えました。当時の若者にとって右翼とは暴力団の別動隊だという説が、もっともらしく語られそう信じていました。

  

  今考えると赤尾敏氏の右翼的演説の一部は今でも何となく残っていますが、当時の私は朝日新聞の読者でもあり、街宣右翼と共に、社会的害悪の一つぐらいにしか思っていませんでした。    

 

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  月刊雑誌『Hanada 』2017年度新年号記事より

  禍ひは、敵を軽んずるより 大なるはなし。 『老子』六十九章

   

  巻頭コラム 【一定不易】  加地 伸行

  

  その昔、赤尾敏という硬骨漢がいた。もう人々の記憶から消えてしまっている。老生、もとより面識はない。

  しかし、いつだったか、上京した折、彼の街頭演説を聞いたことがあった。勿論偶然であった。

  彼は〈いわゆる右翼〉であり、当時のインテリは彼を蔑んでいた。なぜか。理由は簡単であった。往事、戦後民主主義が全盛であり、それに従うのが正しく、それと異なる意見は徹底的に否定された。そうした風潮の頃、それに乗って勢いがあったものこそ社会党であった。

  

  しかし、戦後民主主義の化けの皮が剝げ落ちてゆくのと並行して、社会党は凋落・・・今や見る影もない。

  かって戦後民主主義は、社会党全盛の例のように、日本社会の〈いわゆる知識人〉主流に乗っていた。当然、赤尾流の意見は否定されていた。それも〈右翼〉の名の下に。

  しかも赤尾の主張に対して、先ずは謙虚に聞くどころか、端から無視しての否定であった。それは、論破したのではなくて、右翼は悪。問答無用という否定、あえて言えば〈言論封殺〉という最も卑しい手法であった。

  老生、今も想い出す。街頭演説で赤尾が訴えていた主張を。その中心は、日本人による自主防衛であった。

  

  その「自国は自国民で護る」という主張は、全く正しい。それが出来なかった国家は、侵略され、蹂躙され、属国となる。その例は歴史を顧みれば山ほどある。しかしそれを主張した赤尾は、人々から、もちろんメディアからも無視され軽蔑されて終わった。

  あの街頭演説から四十年は過ぎたが、同じような感じ、一種の既視感を否めなかったのが、今回のトランプ報道だった。

 すでに勝敗は決し、トランプがアメリカの次期大統領となった。しかし、その投票までのトランプ報道は、蔑視以外の何物でもなかった。メディアの悪い癖で、自分らは高い知性であり、愚劣な物の登場は許さない、それも〈生理的〉に許さないというような差別感丸出しであった。

  

 例えば、トランプはポピュリズム(大衆への迎合主義)と罵倒した。しかし、政治哲学ではあるまいし、政治は本来多かれ少なかれポピュリズムではないのか。

  夢のような政治哲学は、机上の論に過ぎない。例えば、軍備はすべてやめようという〈御立派な政治哲学〉を語るのは簡単であるが、それが実現できる政治などどこにも存在しない。

  トランプ報道で面白かったのは、トランプが当選するとは思わなかった、いや思えなかったとする〈報道の反省〉である。

  

  これこそポピュリズムでなくて何であろう。読者や視聴者が自分のところから離れるのが恐ろしいという、算盤片手の反省の弁。そこに誠意など欠片(かけら)もない。真実は対抗馬のクリントン当選願望にすぎなかった。

  では、トランプの政策は、本当に愚かなのか。例えば、メキシコとの国境に建造物(一部はフェンス)を。これは、低技能者や失業者への対策として悪くない。

  高層ビルを建てる時のような高度な技術は不要。今必要なのは、無技術者・低技能者らに対してどういう仕事を与えるのかという、一種の社会福祉的施策なのである。

  これは日本においてもいずれ出てくる問題である。かっては重労働業が存在いていたが、技術革新とコストダウンとによってそうした仕事が激減した。

  そのため、重労働業に就くのが良かった人らに仕事がなくなり、〈やむをえず大学進学〉している。当然、就職先はない。その人たちの不満が しだいにマグマ溜まりとなっているのが見えないのか。

  

  トランプの公約を日本人の誰が。トランプの公約を日本人の誰が嗤えようか。明日は我が身である。

  古人曰く、禍は(わざわい)は敵を軽んずるより大なるはなし、と。

 

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  今当時を振り返ってみますと、赤尾敏氏は実に、あまり影響力もない事を、飽きずにやり続けたことに驚きます。今のようにテレビもろくになかった時代で、映画全盛の時代でしたから。

  私が有楽町に行くのも映画の封切館があの近辺に固まっていたからです。赤尾敏の演説も話を聞くより、その周りを囲んでいる集団につまり赤尾敏氏の門下生とも言うべき連中です。

  

  浅沼稲次郎暗殺をした山口二矢が、赤尾敏総裁の大日本愛国党のもと党員だという事は当時大ニュースに成って居ましたが、暗殺当時は離党していたため、その後のことは私も忘れています。

  

  様々な点で今思い出していますが、赤尾敏氏は明治32年生まれですから、私とは39歳違います。私がよく見たのは赤尾敏氏60代の後半の頃でしょう。今と違って定年は55歳から60歳の頃ですから、当時としては元気のいいお爺さんに見えました。

  周りを取り囲む若者たちは、実に野蛮で胡散臭い連中に見えたのも事実です。今の行動右翼はネット活動から発達したものですが、当時の赤尾敏氏は戦前一回衆院に当選した時代遅れの愛国者に見えたのも、当時のメディアが作り上げた世論にどっぷり浸かっていたからでしょう。

  

  今生きていたらどうなっているでしょう。こういう保守世論が、市民権を持って、世論を動かしだし始めていることは隔世の感があります。それにしても、アメリカのメディアの失策は、日本のメディアにはいい薬でしょう。

  しかし今日本の中で一番遅れているのは、メディアの世界かも知れません。


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