歩かない旅人

 彼がなした馬鹿げたこと・・・彼がなさなかった馬鹿げたことが・・・人間の後悔を半分づつ引き受ける。ヴァレリー

政治の本質を一言で言えば「権力」だと

2017-10-28 16:41:55 | 雑誌『Hanada』を読んで

 

      

 

  久しぶりに雑誌から取り上げてみます。加地伸行氏のコラムです。

ウイクペディアでその人物来歴を調べました。下記のとおりです。

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  人物・来歴[編集]

     大阪市出身。保守派の論客としても知られる。新しい歴史教科書をつくる会賛同者。産経新聞オピニオン面「正論」欄の執筆メンバー。2008年、第24回正論大賞受賞。

    「論語」の実践活動で、教育論を主に言論・講演活動を行っている。“儒教の本質は、生命の連続を大事にすることである。 祖先からずっと伝わってきている生命を後世に伝えるために自分はここにいる。それは自分だけでなく、他人もみんな伝わってきた生命なのだから、それを絶つな”と説く。

     教育目的の徴兵制復活を唱え、2012年に国立大学の秋入学移行が論議された折には、高校卒業から大学入学までの半年間で新入生の心身を鍛え直すために自衛隊への正式な入隊を義務付けよと主張した。

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   テレビで偉そうにしている政治学者に対してこう書いています,政治学者として何かと顔を出す政治学者と称する東大教授姜某などはその最たるものですが、バラエティ番組に出てくる東海大の金某とは法政の田島某など出まくっていますが

      

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     こんな連中、学生時代に多少はお勉強が出来たので後に教授職を得たのであろうが、真の勉強はしてこなかったのだろう。

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     と書かれています。まさに的を得た意見だと思います。真の勉強などせずに受験勉強ばかりしていたのでしょう。故渡渡部一氏の書かれた中に「受験勉強の搾りかすにだけはなるな」という箇所がありますが、まさに高学歴の無知無能者が大勢いるのが気になります。

 

 

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  月刊雑誌『Hanada』平成29年 12月号より

  《 一 定 不 易 》

        

           評論家     加地 伸行

  老生、テレビの政治問題バライティショウを観ていると、コメンテーターとやらが、衆議院解散に対して大義が無いと言う、それも何人もがそう言う。

  驚いた。今どき(大儀)などという死語を振り回すとは、何処の右翼かと思ったら、何と左筋の連中であった。

          

  いいや、それだけではい。専門が政治学と称する大学教授が、解散が首相の勝手で行われるのは憲法違反であると抗議し、苦しい屁理屈を並べ立てていた。もちろん非学問的な感想レベル。

  率直に言って、学識がなく、その程度の知識、いやその程度の思いつきで、よく(教授)が務まる者である。

  こんな連中、学生時代に多少はお勉強が出来たので後に教授職を得たのであろうが、真の勉強はしてこなかったのだろう。

  すなわち、文系学問の採集にして最大のテーマである《人間とは何か》に対して、何一つ考えて来ず、ただ「第何条の意味は・・・」という話をしただけの《優等生の成れの果て》である。

  いいか、政治の本質を一言で示して見よ、それが出来なくて何が政治学だ。政治の本質とは、《権力》ではないのか。

        

  ししかし、それを露骨に言わぬが花。そこで御用学者がそれを美辞で塗(まぶ)すのだ。すなわち「大儀は・・・」と。

  《昔の優等生》にはさらに問おう。その《権力の本質》とは何か、一言で表せ、と。

  おそらく答えられまい。考えた事など無いからである。《権力の本質》とは《人事権と予算配分権と》である。これに尽きる。こういう本質論は、哲学・文学・歴史学といった文学部系の研究の中から生まれてくる。

  とお説教しても、どうせ分かるまい。分かる能力も分かろうとする習慣もないからである。というふうに、老生、他人の悪口を言いだすと留まるところがなくなるので、総選挙の結果を意味するところについて一言。

  大騒ぎしても、結果、大勢はさして変わらない。ところが、図式的に言えば、立場の異なる二大政党があって、国民はそのどちらかを選んでゆくと言う政治地図が好ましいと政治家や政治学者やメディアどもは言う。

  それ、本気で言っているのか。イギリスの保守党対労働党、アメリカの共和党対民主党のように。

        

  愚かな話である。なぜか。欧米の連中は、二項対立でものを考える。陰か陽か、善か悪か、生か死か・・・というふうに。

  そこから弁証法(二つの正反対の意見の対立や矛盾の論議から新しい考えを生み出してゆく論法)という考え方が生まれる。

  例えば二大政党という視点となる。その真似をしようと言うわけだ。明治以来の欧米の猿真似である。

  しかし、われわれ東北アジア人の思考は、二項対立では無くて二項割合(二項比率)なのである。例えば、陰と陽との二つが対立すると考えるのではなくて、全体を百としてパーセンテージで見るのだ。

  前回は陰が20%、陽が80%、今回は陰が10%、陽が90%というふうに。俗にいえば、あいつは悪い奴だが、いいところもある。というような見かた、それが日本人なのである。

  世には、時間と空間と、という両物差しがあるが、その内の空間を軸に取って見てみると、われわれ日本人は二項割合でものを見る。その延長上からは、対立する二大政党といった観点は出て来ない。

  一強多弱、あるいは二強(連合)多弱・・・となるのが自然なのである。

  もしも二大政党を理想とするならば、二項対立的に立憲民主党・社民党・共産党らが過半数近くにまで伸びなくてはならないが、そうなっていないではないか。つまり、日本人は、二項対立など望まない、いや 思考の内にないのである。この心の深層を知るべきだ。

  ◆・・古人曰く、剛と軟と、孰(いず)れか(どちらが)堅き(丈夫か)、と。〔この質問を受けた家臣がこう答えた。〕

  臣(しん)年八十、歯 皆堕つるも、舌(した)尚〔いまだに〕存(そん)す、と。

 

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  政治の本質を一言で言えば「権力」だと言いきりました。権力の本質は「人事権と予算配分権」だと簡潔に示してくれました。チャイナや北朝鮮の「権力」は人事権も予算配分権も、民意など考慮に入れず、権力の思うが儘になって居ます。

  バカに権力を与えるほど恐ろしいことはありませんし、この世界ではそういうバカが多く権力を握った時代です。チャイナなどその繰り返しでここまで来ました。暖衣飽食、助平の限りを尽くし、民の反乱や飢餓や、天災によって、自ら滅びの身を進みました。

        

  独裁政治のチャイナの事を新聞は大きく取り上げていますが、批判的記事は多分、産経新聞以外書いてはいないでしょう。何しろ産経新聞はチャイナの中央総会とやらに立ち入り禁止を喰らっているからです。他のメディアはチャイナの権力者に媚びているのです。

       

  チャイナに対して、おべっか記事は絶対に書かない。そんな、産経新聞に対する嫌がらせでしょうが、大国らしくない子供っぽいやり方です。そろそろ終わりを迎えるかも知れない裸の王様です。

  しかし日本のメディアは、尻尾を振ってチャイナの御用記事を書きまくっているでしょう。今回の選挙でもチャイナによる尖閣諸島付近に出没する違法行為については、報道しない自由を謳歌しています。しかも北の脅威もなるべく避けて通っています、

  今回の衆院選挙の国難突破に対する、各党の姿勢を問う選挙であったはずですが、そこにはテレビも新聞もあまり取り上げません。小池百合子叩きにうつつを抜かしていますが、期待して持て囃したのもメディアです。肝心な問題は棚上げにしたまま、平気なのです。

      

  日本も早く公明党と自民党は立場を鮮明にした方が、将来的に良くなると思っているのですが、そこの穴をあける役目を果たしたのが、東京ファーストの勝利と都議会自民の敗退でした。どこよりも大切な東京では、さっさと自民を切ってファーストに付きました。

  ここ東京都は、宗教法人創価学会を左右する許認可権を握っています。公明党政治連盟会長は東京都議会議員が、衆参議員を差し置いて成っていた時期が長く続きました。創価学会にとって東京は、何が何でも死守しなければならない、存在権をかけた戦いなのです。

           

  公明党の党是は池田名誉会長を守り、常に与党の側に付き、与党として生きて行く、そうしなければ、政治に手を染めた意味がない。さらに創価学会が国教となるのを夢見た時代もありました。今は生き残りの方が比重は重いですが。

 

 

 


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