7月7日の田中宇さんの「アフリカの統合」と言う記事の中に次の文言が有ったのが、気になっていた。
(引用)
欧米は、アフリカを分割し、独裁ぐらいしか政府を維持する方法がないような国家の枠組みをアフリカ各地に作った上で、独裁をやめろとか、民主化しろとか言っている。分割状態は経済的にもアフリカの発展を阻害し、恒久的に欧米からの援助が必要な援助中毒に陥らされている。欧米がやっているのは善悪観を操作する巧妙な国際知能犯罪であるが、国際情勢を知らない日本人は簡単に騙されている。騙されていることが、日本が先進国の仲間入りさせてもらえる条件とも言える。 (引用終わり)
国際情勢を知らない日本人は簡単に騙されている。騙されていることが、日本が先進国の仲間入りさせてもらえる条件とも言える。 とある.
これを見て思ったのは、私などのような馬鹿な日本人は別として、日本人の中のエリート、賢い日本人達は本当に騙されてきていたのだろうか?と言う疑問であった。
騙されている振りをして、欧米があくどい事をして作り上げ維持し続けている世界の経済体制の中にちゃっかり組み込まれる事によって、経済的に利益を上げる事が出来る事を利用して来たのが、戦後の日本の国の経営方針だったのではないだろうか?
マスコミに載らない海外記事の7月11日の記事
「二都物語:テヘランとテグシガルパ」にも書いておられるが、アメリカはイランが選挙で不正をやって、それに怒ってデモをしている国民を武力で弾圧し、誰が発砲したかの詳細は分からないまま、デモ参加者の中に死者まで出したと、アメリカ国内で連日大々的にイランの現政権が如何に非民主的であるかを証明するべく、大々的に報道しているそうである。
その一方南米のホンジュラスで、軍部が現職のセラヤ大統領を自宅から拉致して国外に追放した事や、
そのセラヤ大統領が、飛行機で帰国する事になって、空港に大統領の支持者1500人が出迎えようと待ち受けているところに、ホンジュラスの軍が発砲し、少なくとも一人の青年が撃ち殺されたと言う事実があるのに、アメリカのマスコミではほとんど報道されていないそうである。
イランの場合は選挙の不正の疑い
それも、あくまでも疑いに過ぎないし、殺されたデモ傍観者を殺したのが誰であったかもはっきりしているわけではなく、あくまでも推測に過ぎないのに対して、
ホンジュラスの場合は、国軍が現職大統領を拉致した上、帰国を阻む為に軍隊を空港に出して、出迎えの国民を、軍の銃で撃ち殺したのを大勢の人が見ていて、確実に有った事が確認できる事なのである。
それなのに不確かな事でも、イランの事は連日一面トップで大々的に、民主主義の敵として報道し、
明らかに民主主義を踏みにじっているホンジュラス軍の悪事については、セラヤ大統領がアメリカにとって面白からぬ政策を実行していた人物であるが故に、
民主的に選ばれた大統領を、軍が暴力で排除しても見てみぬ振りをして、ほとんど騒がないと言う「ダブルスタンダード」を、同時進行形でやっているのである。
こういう事情を、日本のエライ人達もみんな知っていながら、そ知らぬふりをしていたのではないだろうか。
そしてイランのデモ隊がどうのこうのの報道だけを、大々的にさせていたのだった。(今は中国の新疆ウイグル自治区の暴動の報道に熱心であるようだけど・・・・・)
日本には憲法9条が有り、どんな戦争にも出かけるわけには行かないと言う大義名分を掲げている事ができるから、悪い事には手を染めないでいることが出来た。
しかし、欧米がアフリカや南米で続けてきた、人を人とも思わないと言う表現がぴったりの、
民主主義とは対極をなすような方法を使って甘い汁を吸い続けてきている欧米列強に、
ぴったりと寄り添って、日本は世界の一等国のような地位を手に入れたのであった。
(憲法9条を楯に、かまととを決め込む日本の政治家のやり方にアメリカが、そのツケを返せと迫ってきているのが、昨今のアメリカからの年次改革要望書などなのかもしれない。)
幕末に日本では、尊王攘夷派と開国派とで、国中が大もめにもめていたそうであるが、
その頃から西欧列強の悪辣な事は、日本でも識者の間では知れ渡っていた事だそうである。
その西欧列強と仲良くなど出来ないという純潔派と、
例え西欧列強が悪辣であっても日本が生きていく為には、レンコン食ってでも何とか生き延びるべきであると言う、現実派との戦いだったのではないだろうか?
そして政権をとったら、尊皇攘夷を唱えていた維新の志士達が、一気に開国を容認し、西欧列強に媚びる為、鹿鳴館でダンスまでするようになったのである。
私達も今の世界経済がどういう風に動いているかを薄々は感じていながらも、それによってもたらされた便利な生活を捨てる事の出来る者は、ほとんど無いだろう。
今更電気もガスも無い山の中で、木の根を食べて生きてはいけない。
国を運営する人達も、そんな感じからずるずると対米従属を続けてきて、気が付いたら此処まで来てしまっていたと言う事なのかも知れない。
しかし物には限度と言うものが有るのではなかろうか?
生物を食べなければ生きられないから、魚を取ったり牛や豚や鶏を飼い、殺して食べているのを、牛や魚が可哀そうと言って非難したら、お前はどうやって生きてきたのだと言われるかもしれないけれど、
牛を飼うにしても豚を飼うにしても、生きているうちくらいは生きる喜びを少しは感じる事の出来る飼い方をするという配慮くらいあってもよいのにと思うような、豚や鶏の飼い方にまで、現在の効率主義は行ってしまっている。
他の国から巻き上げるにしても、民族皆殺しにしてでも欲しい物を手に入れると言う感じの戦争を、無制限に容認していては、
戦争が勝利で終わったとしても、次には戦勝国の国民といえども、
庶民が同じ無慈悲な効率主義で、苦しめられる事になるのではないだろうか?
物には限度がある!という姿勢を忘れてはいけないと思う。
私達がバタリー式鶏小屋や、メキシコに有るという巨大な豚小屋のような、
非人道的な扱いに落とされないためには、弱い者に対する思いやりを忘れてはいけないのではないだろうか。
追記
レンコン喰うと言うのは、九州地方の方言だったようです。
【蓮根食う】気を利かせる。知って知らんふりすること。蓮根の穴(=先が見通せる)に掛けた言い回し。博多だけじゃのーて、九州各地でも使われよー方言ですたいね(へっぱくBLOGさんより)
(引用)
欧米は、アフリカを分割し、独裁ぐらいしか政府を維持する方法がないような国家の枠組みをアフリカ各地に作った上で、独裁をやめろとか、民主化しろとか言っている。分割状態は経済的にもアフリカの発展を阻害し、恒久的に欧米からの援助が必要な援助中毒に陥らされている。欧米がやっているのは善悪観を操作する巧妙な国際知能犯罪であるが、国際情勢を知らない日本人は簡単に騙されている。騙されていることが、日本が先進国の仲間入りさせてもらえる条件とも言える。 (引用終わり)
国際情勢を知らない日本人は簡単に騙されている。騙されていることが、日本が先進国の仲間入りさせてもらえる条件とも言える。 とある.
これを見て思ったのは、私などのような馬鹿な日本人は別として、日本人の中のエリート、賢い日本人達は本当に騙されてきていたのだろうか?と言う疑問であった。
騙されている振りをして、欧米があくどい事をして作り上げ維持し続けている世界の経済体制の中にちゃっかり組み込まれる事によって、経済的に利益を上げる事が出来る事を利用して来たのが、戦後の日本の国の経営方針だったのではないだろうか?
マスコミに載らない海外記事の7月11日の記事
「二都物語:テヘランとテグシガルパ」にも書いておられるが、アメリカはイランが選挙で不正をやって、それに怒ってデモをしている国民を武力で弾圧し、誰が発砲したかの詳細は分からないまま、デモ参加者の中に死者まで出したと、アメリカ国内で連日大々的にイランの現政権が如何に非民主的であるかを証明するべく、大々的に報道しているそうである。
その一方南米のホンジュラスで、軍部が現職のセラヤ大統領を自宅から拉致して国外に追放した事や、
そのセラヤ大統領が、飛行機で帰国する事になって、空港に大統領の支持者1500人が出迎えようと待ち受けているところに、ホンジュラスの軍が発砲し、少なくとも一人の青年が撃ち殺されたと言う事実があるのに、アメリカのマスコミではほとんど報道されていないそうである。
イランの場合は選挙の不正の疑い
それも、あくまでも疑いに過ぎないし、殺されたデモ傍観者を殺したのが誰であったかもはっきりしているわけではなく、あくまでも推測に過ぎないのに対して、
ホンジュラスの場合は、国軍が現職大統領を拉致した上、帰国を阻む為に軍隊を空港に出して、出迎えの国民を、軍の銃で撃ち殺したのを大勢の人が見ていて、確実に有った事が確認できる事なのである。
それなのに不確かな事でも、イランの事は連日一面トップで大々的に、民主主義の敵として報道し、
明らかに民主主義を踏みにじっているホンジュラス軍の悪事については、セラヤ大統領がアメリカにとって面白からぬ政策を実行していた人物であるが故に、
民主的に選ばれた大統領を、軍が暴力で排除しても見てみぬ振りをして、ほとんど騒がないと言う「ダブルスタンダード」を、同時進行形でやっているのである。
こういう事情を、日本のエライ人達もみんな知っていながら、そ知らぬふりをしていたのではないだろうか。
そしてイランのデモ隊がどうのこうのの報道だけを、大々的にさせていたのだった。(今は中国の新疆ウイグル自治区の暴動の報道に熱心であるようだけど・・・・・)
日本には憲法9条が有り、どんな戦争にも出かけるわけには行かないと言う大義名分を掲げている事ができるから、悪い事には手を染めないでいることが出来た。
しかし、欧米がアフリカや南米で続けてきた、人を人とも思わないと言う表現がぴったりの、
民主主義とは対極をなすような方法を使って甘い汁を吸い続けてきている欧米列強に、
ぴったりと寄り添って、日本は世界の一等国のような地位を手に入れたのであった。
(憲法9条を楯に、かまととを決め込む日本の政治家のやり方にアメリカが、そのツケを返せと迫ってきているのが、昨今のアメリカからの年次改革要望書などなのかもしれない。)
幕末に日本では、尊王攘夷派と開国派とで、国中が大もめにもめていたそうであるが、
その頃から西欧列強の悪辣な事は、日本でも識者の間では知れ渡っていた事だそうである。
その西欧列強と仲良くなど出来ないという純潔派と、
例え西欧列強が悪辣であっても日本が生きていく為には、レンコン食ってでも何とか生き延びるべきであると言う、現実派との戦いだったのではないだろうか?
そして政権をとったら、尊皇攘夷を唱えていた維新の志士達が、一気に開国を容認し、西欧列強に媚びる為、鹿鳴館でダンスまでするようになったのである。
私達も今の世界経済がどういう風に動いているかを薄々は感じていながらも、それによってもたらされた便利な生活を捨てる事の出来る者は、ほとんど無いだろう。
今更電気もガスも無い山の中で、木の根を食べて生きてはいけない。
国を運営する人達も、そんな感じからずるずると対米従属を続けてきて、気が付いたら此処まで来てしまっていたと言う事なのかも知れない。
しかし物には限度と言うものが有るのではなかろうか?
生物を食べなければ生きられないから、魚を取ったり牛や豚や鶏を飼い、殺して食べているのを、牛や魚が可哀そうと言って非難したら、お前はどうやって生きてきたのだと言われるかもしれないけれど、
牛を飼うにしても豚を飼うにしても、生きているうちくらいは生きる喜びを少しは感じる事の出来る飼い方をするという配慮くらいあってもよいのにと思うような、豚や鶏の飼い方にまで、現在の効率主義は行ってしまっている。
他の国から巻き上げるにしても、民族皆殺しにしてでも欲しい物を手に入れると言う感じの戦争を、無制限に容認していては、
戦争が勝利で終わったとしても、次には戦勝国の国民といえども、
庶民が同じ無慈悲な効率主義で、苦しめられる事になるのではないだろうか?
物には限度がある!という姿勢を忘れてはいけないと思う。
私達がバタリー式鶏小屋や、メキシコに有るという巨大な豚小屋のような、
非人道的な扱いに落とされないためには、弱い者に対する思いやりを忘れてはいけないのではないだろうか。
追記
レンコン喰うと言うのは、九州地方の方言だったようです。
【蓮根食う】気を利かせる。知って知らんふりすること。蓮根の穴(=先が見通せる)に掛けた言い回し。博多だけじゃのーて、九州各地でも使われよー方言ですたいね(へっぱくBLOGさんより)
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