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思い立ったが吉日

たぶん魂の叫び

世界観の錯綜を修正する

2013年10月29日 | (FE)創作日記
 なんだろうね。
 ドラゴンナイトのバランスも取れないのだから。

 ネットをうようよしていたら、FE考察とかしているブログがあった。
 好きな人は好きなんだよね。こういうくだらないことを考えるのが。
 さて、気分をよくして以下に移る。

 あらゆる面で知識が浅いことは見て見ぬふりをする。
 ああ、時間をおくと、どうしても醒めてしまう。
 ああ、前置きと言い訳ばかりで無駄に文章が浪費されていく。

1 世界の広さがわからない。
 クルト王子によるイザーク遠征は実に2章の半ばまで続いている。この間、シグルドはヴェルダン軍の侵略からユングヴィを解放し、湖を迂回してヴェルダンを制圧し、さらにはアグストリアに攻め入った。
 地図上で考えたなら、シグルドもかなりの大遠征をしている。まあ、それは問題にしない。
 考えたいのは、なんらかの根拠をもとにして、世界の広さを規定したいわけである。その意味で具体的な数値が出ているとしたら、歴史年表で帝国時代に大虐殺された数だろうか。
 しかし、この人数が予想以上に多いので、世界観設定に困る気がした。
(300年前のロプト帝国設立時の大粛清で10万人、また数年後のエッダの虐殺で数万。と)

 なおあえて書いておくが、ぐぐった情報を100%信用してはならない。これはWeb上の情報が信用ならないという意味ではなく、一方向だけの偏った情報で物事を考えてはならないという意味である。というのも、めんどくさいからそれらしい情報をあてにして、他多数を調べることを怠っている自身に対する戒めである。

 さて、日本での関ヶ原合戦(1600年)時の人口が1800万ぐらいらしい。
 応仁時(1467)で900万。

 中世西欧1300年ごろで7300万 ただしどこまでを西欧にしているかわからない情報である。
 フランスが1000年~1328年に600万から2100万に増加したとか、ある。
 確定ではないとWebページ自体にも書いてあるが。

 なお、自分の浅学では、14世紀は中世西欧の末期だと考えている。確かこのあとペストが流行するはずだが、他、経済的な問題もあわせ、絶対王政期へと移っていく最初。いやいや、左記はかなり適当にいっている。改めて勉強しなおしたい。

 せっかくなので人口的に少し書いておく。
 日本近世の、というか、加賀100万石に言う100万石とはなんであるのか。
 ぐぐればすぐわかる。
 1石とは、人間1人を一年間養うことの出来る単位である。
 なので100万石とは、100万人を養うことの出来る国力を持っているということになる。
 さて、
 以前調べたWebページを忘れたので適当メモになるが、
 1605年のデータで、1000石の軍役人数は、鉄砲2弓2矛5馬1の10人。
 単純計算、100万石なら1万人の動員となる。
 なお、この1000石10人は、多分少ない気がする。陣夫とか云々。まあいいか。

 なお、以下に記すが、グランベルをフランスと同じ程度の面積で考えるとしたら、人口も、どうだろう。一応1000万程度に設定しておいた。
 すると、最大要因で10万になる。


 単純計算、面積的にはイザークはグランベルの半分だろうか。だとすると5万。
 数的に言えばグランベルが2倍なわけだが、しかし全員を遠征するのも、たしかにアグストリアとヴェルダンと同盟状態だとしても、ありえないだろう。
 そうなるとどれぐらいの遠征軍を送れるのか。
 よく言うではないか、攻城戦は10倍の兵力がいると。

 しかも、防衛側の人員は単純な軍役人数の計算に当てはまらないだろう。
 まあ、そのことはいい。
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